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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 11月 07日

法華経如来寿量品は一代聖教の肝心、三世諸仏の説法の大要なりと説いた【太田左衛門尉御返事】

【太田左衛門尉御返事】
■出筆時期:弘安元年四月二十三日(西暦1278年) 五十七歳 御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書を送られた太田左衛門尉(太田乗明)は、祖父が鎌倉幕府の問注所(幕府直轄の司法機関)の執事(長官)を努め、自身も問注所の役人を勤めていた。元は真言信徒であったが、松葉ケ谷の法難で大聖人が近隣の富木常忍のもとに身を寄せられた際、大聖人の説法に触れ帰依することになる。その後は富木常忍ともども大聖人の熱心な信徒となり『三大秘法抄』『転重軽受法門』等の重要法門を記した御書を送られている。本書は太田乗明が五十七になり大厄の年を迎え身心に苦労多く出来(しゅったい)候と伝えた手紙に対しての返書となっている。大聖人は法華経の肝心である方便品、寿量品を説き、また「法華経と申す御経は身心の諸病の良薬なり」と、一層法華経への信仰に励むよう激励されている。
 尚、乗明の子は出家し日高となり、富木常忍が下総・葛飾郡若宮に開基した法華経寺の二代目となり、後に太田家が葛飾郡中山に本妙寺を開基すると若宮の法華経寺と合併させ、現在の中山法華経寺となっている。
■ご真筆: 現存していない。

[太田左衛門尉御返事 本文]

 当月十八日の御状、同じき廿三日の午(うま)の剋計りに到来。軈(やがて)拝見仕(つかまつ)り候い畢んぬ。御状の如く、御布施・鳥目十貫文・太刀・五明(おうぎ)一本・焼香廿両給い候。
 抑(そもそも)専ら御状に云く、某今年は五十七に罷(まか)り成り候へば大厄(たいやく)の年かと覚え候。なにやらんして正月の下旬の比(ころ)より卯月(うづき)の此の比に至り候まで・身心に苦労多く出来候。本より人身を受くる者は必ず身心に諸病相続して五体に苦労あるべしと申しながら更(ことさら)に云云。

 此の事最第一の歎きの事なり。十二因縁と申す法門あり。意は我等が身は諸苦を以て体と為す。されば先世に業を造る故に諸苦を受け、先世の集煩悩が諸苦を招き集め候。過去の二因・現在の五果・現在の三因・未来の両果とて三世次第して一切の苦果を感ずるなり。在世の二乗が此等の諸苦を失はんとて空理に沈み、灰身滅智(けしんめっち)して菩薩の勤行・精進の志を忘れ、空理を証得せん事を真極(しんごく)と思うなり。仏・方等の時、此等の心地を弾呵し給いしなり。然るに生を此の三界に受けたる者、苦を離るる者あらんや。羅漢の応供(おうぐ)すら猶此くの如し。況んや底下の凡夫をや。さてこそいそぎ生死を離るべしと勧め申し候へ。

 此等体(これら・てい)の法門はさて置きぬ。御辺は今年は大厄と云云。昔・伏羲(ふぎ)の御宇に黄河と申す河より亀と申す魚、八卦(はっけ)と申す文(ふみ)を甲に負ひて浮き出でたり。時の人・此の文を取り挙げて見れば、人の生年より老年の終りまで厄(やく)の様を明したり。厄年の人の危ふき事は少水に住む魚を鴟鵲(とび・からす)なんどが伺ひ、燈(ひ)の辺(ほとり)に住める夏の虫の火中に入らんとするが如くあやうし。鬼神ややもすれば此の人の神(たましい)を伺ひ・なやまさんとす。神内(しんない)と申す時は諸の神、身に在り・万事心に叶う。神外(しんげ)と申す時は諸の神・識の家を出でて万事を見聞するなり。
 当年は御辺は神外と申して諸神・他国へ遊行すれば、慎んで除災得楽を祈り給うべし。又木性の人にて渡らせ給へば今年は大厄なりとも春夏の程は何事か渡らせ給うべき。至門性経に云く「木は金に遇つて抑揚し、火は水を得て光滅し、土は木に値いて時に痩せ、金は火に入つて消え失せ、水は土に遇つて行かず」等云云。
 指して引き申すべき経文にはあらざれども、予が法門は四悉檀を心に懸けて申すならば、強(あなが)ちに成仏の理に違わざれば且らく世間普通の義を用ゆべきか。
 然るに法華経と申す御経は身心の諸病の良薬なり。されば経に云く「此の経は則ち為(こ)れ閻浮提(えんぶだい)の人の病の良薬なり。若し人病有らんに是の経を聞くことを得ば、病即消滅して不老不死ならん」等云云。又云く「現世は安穏にして後生には善処ならん」等云云。又云く「諸余の怨敵皆悉く摧滅せん」等云云。
 取分(とりわけ)奉る御守り方便品・寿量品、同じくは一部書きて進らせ度く候へども、当時は去り難き隙(ひま)ども入る事候へば・略して二品奉り候。相構え・相構えて御身を離さず重ねつつ(包)みて御所持有るべき者なり。
 此の方便品と申すは迹門の肝心なり。此の品には仏・十如実相の法門を説きて十界の衆生の成仏を明し給へば、舎利弗等は此れを聞いて無明の惑を断じ、真因の位に叶うのみならず、未来華光如来と成りて成仏の覚月を離垢(りく)世界の暁の空に詠ぜり。十界の衆生の成仏の始めは是なり。当時の念仏者・真言師の人人、成仏は我が依経に限れりと深く執するは、此等の法門を習学せずして・未顕真実の経に説く所の名字計りなる授記を執する故なり。
 貴辺は日来(ひごろ)は此等の法門に迷い給いしかども、日蓮が法門を聞いて賢者なれば本執を忽ちに飜し給いて法華経を持ち給うのみならず、結句は身命よりも此の経を大事と思食す事・不思議が中の不思議なり。是れは偏に今の事に非ず、過去の宿縁開発せるにこそ・かくは思食(おぼし)すらめ。有り難し・有り難し。
 
 次に寿量品と申すは本門の肝心なり。又此の品は一部の肝心、一代聖教の肝心のみならず、三世の諸仏の説法の儀式の大要なり。教主釈尊・寿量品の一念三千の法門を証得し給う事は、三世の諸仏と内証等しきが故なり。但し此の法門は釈尊一仏の己証のみに非ず、諸仏も亦然なり。我等衆生の無始已来・六道生死の浪に沈没せしが、今教主釈尊の所説の法華経に値い奉る事は、乃往(むかし)過去に此の寿量品の久遠実成の一念三千を聴聞せし故なり。有り難き法門なり。
 華厳・真言の元祖・法蔵・澄観・善無畏・金剛智・不空等が、釈尊・一代聖教の肝心なる寿量品の一念三千の法門を盗み取りて、本より自(みずから)の依経に説かざる華厳経・大日経に一念三千有りと云つて取り入るる程の盗人にばかされて、末学深く此の見(けん)を執す。墓無し・墓無し。結句は真言の人師の云く「争つて醍醐を盗んで各自宗に名く」と云云。又云く「法華経の二乗作仏・久遠実成は無明の辺域。大日経に説く所の法門は明(みょう)の分位」等云云。華厳の人師云く「法華経に説く所の一念三千の法門は枝葉、華厳経の法門は根本の一念三千なり」云云。是跡形も無き僻見(びゃっけん)なり。真言・華厳経に一念三千を説きたらばこそ、一念三千と云う名目をばつかはめ。おかし・おかし、亀毛兎角(きもう・とかく)の法門なり。
 正しく久遠実成の一念三千の法門は前四味並びに法華経の迹門十四品まで秘(ひめ)させ給いて有りしが、本門正宗に至りて寿量品に説き顕し給へり。此の一念三千の宝珠をば妙法五字の金剛不壊(ふえ)の袋に入れて、末代貧窮(びんぐ)の我等衆生の為に残し置かせ給いしなり。正法・像法に出でさせ給いし論師・人師の中に此の大事を知らず。唯竜樹・天親こそ心の底に知らせ給いしかども・色にも出ださせ給はず。天台大師は玄・文・止観に秘せんと思召ししかども・末代の為にや、止観・十章・第七正観の章に至りて粗書かせ給いたりしかども、薄葉(うすは)に釈を設けて・さて止み給いぬ。但理観の一分を示して事の三千をば斟酌(しんしゃく)し給う。彼の天台大師は迹化(しゃっけ)の衆なり。此の日蓮は本化の一分なれば盛んに本門の事の分を弘むべし。
 然るに是くの如き大事の義理の篭(こも)らせ給う御経を書きて進(まい)らせ候へば・弥(いよいよ)信を取らせ給うべし。勧発品に云く「当に起つて遠く迎えて・当に仏を敬うが如くすべし」等云云。安楽行品に云く「諸天昼夜に常に法の為の故に而も之を衛護す。乃至天の諸の童子以て給使(きゅうじ)を為さん」等云云。譬喩品に云く「其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり」等云云。
 法華経の持者は教主釈尊の御子なれば争でか梵天・帝釈・日月・衆星も昼夜・朝暮に守らせ給はざるべきや。厄の年、災難を払はん秘法には法華経に過ぎず。たのもしきかな・たのもしきかな。
 さては鎌倉に候いし時は細細(こまごま)申し承わり候いしかども、今は遠国に居住候に依りて面謁(めんえつ)を期する事・更になし。されば心中に含みたる事も使者玉章(たまぐさ)にあらざれば申すに及ばず。歎かし歎かし。当年の大厄をば日蓮に任せ給へ。釈迦・多宝・十方分身の諸仏の・法華経の御約束の実不実は是れにて量るべきなり。又又申すべく候。

弘安元年戊寅(つちのえとら)四月廿三日   日 蓮 花押

太田左衛門尉殿御返事




by johsei1129 | 2019-11-07 07:06 | 大田乗明・尼御前 | Trackback | Comments(0)


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