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日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 11月 01日

第六に本迹相対して一念三千を明かすことを示すとは 四【三重秘伝抄】


問ふ啓蒙(けいもう)の第五-二十八に云く「未発迹(みほっしゃく)の未の字、本迹一致の証拠なり、已に発迹(ほっしゃく)顕本(けんぽん)(おわ)れば迹は即ち是本なるが故なり」云云、此の義如何。
 難じて曰く、若し爾らば未顕真実の未の字は権実一致の証拠なりや、其の故は(すで)に真実(あらわ)畢れば権は即ち(これ)実なるが故なり。日講重ねて会して云く「権実の例難(びゃく)(あん)の至りなり、若し必ずしも一例ならば則ち宗祖何ぞ予が読む所の迹と名けて但方便品を()、予が誦む所の権と名けて弥陀経を誦まざるや」等云云。

大弐(だいに)(かん)()として云く此の難(はなは)だ非なり、何となれば権実本迹(とも)に法体に約す、故に是一例なり、若し其れ読誦(どくじゅ)は修行に約す故に時に(したがっ)て同じからず、日講(なお)修行を以て法体に混乱す、況んや三時の()(きょう)を知らんをや、(まさ)に明文を引て彼が邪謬(じゃびゅう)を顕わすべし云云。

玄の七-三十三に云く「問ふ、三世諸仏(みな)顕本せば最初実成は(なん)(すれ)本を顕すと()ん、答ふ、必ずしも(みな)本を顕わさず。乃至問ふ、若し仏に()(じょう)()(じょう)あり発迹・不発迹有らば亦(まさ)に開三顕一・不開三顕一有るべしや」等云云。

文の九-十八に云く「法華に遠を開し(おわ)って(じょう)不軽(ふきょう)(なん)ぞ更に(ごん)なるや、若し(しか)らば会三帰一(おわ)って(また)応に会三帰一せざるべし」等云云。

文の六-二に云く「有る人言わく此の品は是迹なり、何となれば如来の成道(すで)に久し、乃至中間(ちゅうげん)の中止も亦是迹なり、私に(おも)えらく、義理乃ち然れども文に在りて便ならず、何となれば仏未だ本迹を説かざるに(なん)(たちま)ちに預領(よりょう)せん、かくの(ごと)ならば未だ三を()せざるに已に応に一を悟るべし」等云云。

「此の品」とは即ち信解品なり、記の九本-三十四に云く、本門顕われ(おわっ)て更に(ごん)ならば迹門()し已て会せざるや」云云。

治病抄に云く「法華経に(また)二経あり、所謂(いわゆる)迹門と本門となり、本迹の相違は水火天地の違目なり、例せば爾前と法華経との違目よりも(なお)相違有り」云云・天台・章安・妙楽・蓮祖並びに是(びゃく)(あん)なりや、日講如何(いかん)
 又修行に約して若し一例を示さば、(およ)そ蓮祖は是末法本門の導師なり。故に(しょう)には本門、(ぼう)には迹門なり、故に「予が誦む所の迹」と名けて方便品を誦みたまえり。天台(また)是れ像法迹門の導師なり、故に正には法華、傍には爾前なり、故に亦弥陀(みだ)(きょう)等を誦む、而も亦他人の読誦(どくじゅ)に異なるか、口に権を説くと雖も内心実法に違わず云云。(あに)予が誦む所の権と名づけて弥陀経を読むに非ずや、日講如何。()


日享上人註解

○「未だ迹を発せず未の字」等とは、此の様な愚論当時盛んであったものと見ゆ、現代でも殲滅(せんめつ)と云ふことには成ってゐまい。

○大弐○莞爾とは、大弐は本師の別号で総序に書いてをいた、莞爾は少しくホウエム(かお)である。

○約法体○約修行とは、法体は理なり、不次第なり、平等なり。(ごん)(じつ)本迹(ほんじゃく)の理・法体不思議の一の辺・是皆諸仏道同・万法一如(いちにょ)蛣蜣(きつこう)六即・法界何一つ平等ならぬは無いが、修行は実践的であるから全く此れに反してをる、()であり次第であり差別である、又権実本迹自然勝劣がある。(いわん)正像末法体(ほったい)あり本已(ほんい)()(ぜん)(ほん)()()(ぜん)もある、法体修行混淆(こんこう)一致平等せん文盲(きわ)である、(ただ)現代減少時々(いず)がある、法体平等(ここ)仮定当流別頭一念三千等(みだ)(こうむ)い。

○玄七に云わくとは、三世料簡(りょうけん)であ顕本不顕本()(じょう)()(じょう)り、発迹(ほっしゃく)不発迹あり開三顕一不開三顕一って、修行次第差別である、事理本迹混合修行法体平等()からうか引用してる。

○文九〇記九等とは、寿量品題号の下の文である、(すで)寿量品如来遠本(おんぽん)であ仮令(たとい)不軽(ふきょう)(ぼん)不軽菩薩(ごん)(じょう)て、久遠(くおん)寿命(ちぢ)ものい、迹門本門して何処(どこ)三帰一であ三帰一(はず)意味で、本師(ここ)(すで)もの無意味化しうか記九釈文引用である。

○会三帰一とは、声聞と縁覚と菩薩の人と四諦(したい)因縁六度()法華一仏乗人法である。

○玄六等とは、(しん)解品(げほん)である。有人(あるひと)である。

○預領とは、仏未だ本迹を説かれぬのに此の品は是迹なりと(あらかじ)領解(りょうげ)出来やう、若出来()悟るやうである。

○天台章安等とは、上に引ける文句の六・九・記九及び治病抄の文意(すで)本迹区別てあに、(びゃく)(あん)天台・章安・妙楽大師蓮祖僻人(びゃくにん)である。

第六に本迹相対して一念三千を示すとは 五 に続く


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by johsei1129 | 2014-11-01 23:34 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)


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