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日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 11月 01日

第六に本迹相対して一念三千を明かすことを示すとは 二 【三重秘伝抄】

 
 問ふ、本尊抄の文(すべから)久遠下種の一類に約す、何ぞ必ずしも二乗の人ならんや。
 答ふ、天台大師の三種の教相の中の第二()(どう)の始終の時は三周得道は皆是大通下種の人なり、若し第三師弟の遠近(おんごん)顕われ(おわ)れば(ことごと)く久遠下種の人と成るなり、且く二乗の人の如きは大通(だいつう)覆講(ふっこう)の時に発心(ほっしん)未発心の二類あり、若し久遠下種を忘失せざるは法華を説くを聞き(すなわ)ち発心するなり、若し其れ久遠下種を忘失(もうしつ)するは妙法を聞くと(いえど)(しか)未だ発心せざるなり。故に玄の六に云く、不失心の者は薬を与うるに(すなわ)ち服して父子を結ぶことを()、其の失心せる者は良薬を与ふと雖も而も()えて服せず等云云。(せん)の六五十四に云く、(もと)の所受を忘るるが故に失心と曰う等云云。彼の発心の中にも亦二類あり、()わく第一は不退、第二は退大なり、()の未発心の人は即ち(これ)第三類なり。而るに今日(こんにち)得道の二乗、多分は第二退大にして少分は第三類なり。(あに)久遠下種の人に非ずや、古来の学者()の旨に達せず云云。
 問ふ、引く所の玄籤の文は即ち是迹門第九眷属(けんぞく)(みょう)中の文なり、迹妙の中に(おい)て何ぞ本門の事を明かすべけんや。
 答ふ、此れは
(これ)取意の釈なり、大師言えること有り、未だ是れ本門ならずと雖も意を取って説くのみ云云。若し(しか)らずんば何ぞ迹妙の第一、境妙の中に(たい)の意を明かすに(なお)本行菩薩道の時を取って以て之を釈するや。

日享上人註解

○久遠下種の一類とは、問者の意は久遠下種の機類の範囲を狭少に見て今日の二乗は全く大通下種と仮定したる上の問いのやうである。

○三周の得道とは、法説周に依りて舎利(しゃり)(ほつ)得道し譬説(ひせつ)って迦葉(かしょう)迦旃延(かせんねん)等四大声聞得道し、因縁説周に依って布楼那(ふるな)憍陳如(きょうじんにょ)等の五百弟子等得道するを云ふのである。

○大通下種○大通覆講(ふっこう)とは、大通智勝仏は王子の十六(しゃ)()()いに依って二万(こう)を過ぎて始めて妙法華経を説かれたが、十六沙弥及び少分の声聞は信受して法益を得たけれども、多分の衆生は疑いを起して信じなかった、()れで後に十六王子の沙弥が父王の仏の説をクリカエシ(覆)て法華経を説かれた、それを聞いて(ようや)(しん)()することを得た。これらを大通下種等と云ふのである。

○発心とは、底下(ていげ)薄地(はくじ)の凡夫が発する名字(みょうじ)の発心より観行および相似(そうじ)等の上位の発心に至るまでを云ふ。

〇彼の発心○二類とは、次上の大通下種の時の発心である、二類は()(じょう)喩品(ゆほん)の文に在る。

○不退とは、十六王子に依って下種せられた後に菩薩の行を退せずに終に無上菩提を得た菩薩たちである。

○退大とは、御経文には見えないけれども義に於いては必ず有るべし。宝記にも此の説が有る位で本師亦義立して第三類と為されたのである。

○今日とは、釈迦仏の在世で教相の上の通用語である。

○迹妙第一〇二諦の意等とは、玄義三の文で迹門の十妙を明かす中に、二諦を説くこと重々にて七種の二諦を五味に約して開麁(かいそ)顕妙せらるゝ時、始め鹿(ろく)(おん)より般若に至るまで、皆是法華の方便なりやの問いに対して、答えて曰く寂滅(じゃくめつ)已来全く法方便である、通以来法華方便である、又久遠本仏成道以来法華方便であ次第して最後行菩薩道衆生法華方便種々俗二諦ぢゃてある、即ち本門寿量文意って迹門境妙天台であら、(ここ)眷属(けんぞく)(みょう)いて本門下種じたって差支有らうか寛師御意である。

第六に本迹相対して一念三千を明かすことを示すとは 三 に続く

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by johsei1129 | 2014-11-01 20:26 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)


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