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日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 11月 01日

第五に権実相対して一念三千を明かすことを示すとは  二 【三重秘伝抄第一】

 
 問ふ、(ちょう)(かん)が華厳抄八十三十三に云く、彼の経の中に記小久成を明かす等云云。
 答ふ、従義の
補註(ほちゅう)三に之を破す、見るべし。
 問ふ、真言宗の云く大日経の中に一念三千を明かす、故に義釈一四十一に云く、世尊(すで)に広く心の実相を説く彼に諸法実相と言うは即ち是此の経の心の実相なり云云。
 答ふ、大日経の中に()小久(しょうく)(じょう)を明かさず何ぞ一念三千を明かさんや、故に彼の経の心の実相は(ただ)是れ小乗偏(しょうじょうへん)(しん)の実相なり、何ぞ法華の諸法実相に同じからんや。弘一下五に云く、婆沙(ばしゃ)の中に処々に皆実相と云ふ、是くの如き等の名大乗と同じ是れを以って(まさ)(すべから)く義を以て判属すべし云云。守護章中中十三に云く、実相の名有りと(いえど)も偏真の実相なり是の故に名同義異なり云云。
 宗祖云く爾前迹門(にぜんしゃくもん)の円教すら(なお)仏因に非ず況んや大日経等の諸小乗教等をや、故に知んぬ大日経の中の心の実相は小乗(へん)(しん)の実相なりと。
 問ふ、彼の宗云く「大日経に二乗作仏久遠(くおん)(じつ)(じょう)を明かす、是の故に弘法大師の雑問答十七に云く、問ふ此の金剛等の中の()()延力(えんりき)、大那羅延力、執金剛とは若し意有りや。答ふ、意無きに非ず、上の那羅延力は大勢力を以て衆生を救ふ、次の大那羅延力は是不共(ふぐ)の義なり、謂く、一闡提人(いっせんだいにん)は必死の病、二乗定性は已死の人なり余教の救ふ所に非ず、唯此の秘密神通の力のみ即ち能く救療す、不共力を顕わさんが為に大を以て之を()かつ云云。義釈九四十五に云く、我一切本初等とは(まさ)に秘蔵を説かんとするに先ず自ら徳を(たん)ず、本初即ち是れ寿量の義なり」云云。
 答ふ、弘法()いて列衆の中の大那羅延を以て二乗作仏を顕わす、実に是れ不便の引証なり、彼の経の始末(すべ)て作仏の義なし、若し有りと言はゞ其の(こう)国名号(こくみょうごう)等は如何、況んや(また)法華の中の彰灼(ひょうしゃく)なる二乗作仏を隠没して余教の救ふ所に非ずと云うは(むし)ろ大謗法に非ずや。
 次に我一切本初とは是法身
本有(ほんぬ)の理に約す、何ぞ今経の久遠実成に同じからんや、証真云く、秘密経に云く我一切本初とは本有の理に帰す故に本初と云うと云云。妙楽大師の弘の六末六に云く(あまね)く法華已前の諸経を(たず)ぬるに実に二乗作仏の文及び如来久遠の寿(とし)を明したるもの無し等云云。妙楽大師は唐の末天宝年中の人なり、故に真言教を(あまね)く之を昭覧す。故に知ぬ真言教の中に記小久成一向に之れ無きを、如何(いかん)ぞ一念三千を明すと云わんや、而も彼の宗の元祖は法華経の宝珠を盗み取りて己が家財となすが故に(えん)(おう)(せめ)(こう)るなり。
 宗祖云く一代経中、此の経(ばか)り一念三千の(たま)(いだ)けり、余経の理は珠に似たる黄石(こうせき)なり、(いさご)(しぼ)るに油なく石女(うまずめ)に子無きが如し、諸経は智者(なお)仏に成らず此の経は愚人も仏因を()べし等云云。

日享上人註解

○澄観とは、唐の人、大いに華厳宗を中興し五台山に在りて天下の帰依を集め数百の著書も有り心身共に偉大なりし清涼大師である。

○従義とは、宋の人浄覚の如く四明に反せり、補註は天台三大部を釈したるもの其の他著書多し。

○義釈とは、唐の代に善無畏三蔵の旨を受けて一行禅師が大日経を釈したもの、一行は天台系であって又無双の博学である。

○彼言諸法実相とは、法華経方便品の十如実相を指すが、真言宗の側から法華を彼と云ひ大日経を此経と使ひ別くるのである。

○偏真実相とは、真俗二諦の中で真諦の空理に傾きて立てた実相であるから法華の即仮即空即中の三諦円融の実相とは小大権実天地雲泥の相違である。

○須く義を以って判属すべしとは、名は同じく実相であるけれども義意の異なる分には偏真・()()但中・不但中と区別して義類同のものを其の一々に判属せしめ、大小混乱せぬやうに為すべきであると云はれた。

○守護章中中とは、伝教大師の守護国界章で上中下の三巻が各上中下に調巻せられてある、又法相宗当対破の書である。

○宗祖云くとは、観心本尊抄の御文である。

○不共之義とは、共不共と対して猶普通と特別の如く用ひてあること共般若不共般若と同例である、大那羅延執金剛の力は普通の勢力にあらず、一種特別の大々勢力ありと云ってる。

○一闡提人とは因果(はつ)()とて過去、未来有る事を信ぜず、聖仏を尊敬せず、一寸先は闇なんどゝ非義非行を(たくま)しゅうする徒であるから、必死とて仏法の生命は無きものである。

○二乗定性とは、深密瑜伽(じんみつゆが)の大乗経論に五性(ごしょう)(かく)(べつ)と云ふことを説く、の中に成性(じょうしょう)と云ふのは他の教導の有無にはらず、決定して二乗となる機類で、其の証果の二乗は沈空尽滅して仏性を断滅しているから已死(いし)と云ったものである。

○我一切本初とは、大日経転字輪漫荼(まんだ)()品第八の文で、我の中に阿声あ阿字(もと)不生の義に依りて一切の依止し、寿量の義を作ったのであろう、義釈の文には本抄所引の徳を(たん)ずと云ふ下に「此の法信じ難きを以ての故に(まさ)に法華を説かんとするときまた自ら歎ずるが如し」とあって、法華経と大日経とを同轍(どうてつ)に見()して本初即是寿量の義であるとしてる、此の如く法華の寿量と混同して強いて理同の釈を作るは頭隠して尻隠さずの(つたな)さが見ゆる。

○彼経始末とは、大日経一部の何れにもと云ふ事である。

彰灼(しょうしゃく)とは火の様らかなる法華経方便品已下に舎利(しゃり)(ほつ)、目連等の大羅漢を始めとして学無学の比丘比丘尼の(あきら)かなる授記作仏を云ふ。

(ほっ)(しん)本有(ほんぬ)とは大日如来のである、法身本有の寿量は諸仏通同又生仏一如である、大日経のみに限らうや、法華経の如きは一般の法身の顕本で無くて特に応如来の(じつ)(じょう)顕本であるから諸経に分絶(ぶんた)無き法華の諸経中王の規模である。

○妙楽大師等とは、真言教は唐玄宗の時始めて支那に渡り粛宗(しゅくそう)代宗の時まで盛んに行われた、其の善無畏、金剛等の渡来が妙楽大師と同時代である。

○彼の宗の元祖等とは、善無畏三蔵は天台の法華経の一念三千諸法実相の妙義を盗んで真言密経を飾り立て、一行禅師をして大日経の義釈を作らせて法華経と真言経とを同等にした罪悪の為で閻魔(えんま)法王の責めにあふたのである。

○宗祖云わく等とは、観心本尊抄の御文である。(編者注;正しくは開目抄)

○石女とは、子を産む事(あた)はざる婦人である。

第六に本迹相対して一念三千を明かすことを示すとは 一 に続く

三重秘伝抄 目次
六巻抄 目次




by johsei1129 | 2014-11-01 12:53 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)
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