2019年 10月 21日
【新尼御前御返事】 ■出筆時期:文永十二年(西暦1275年)二月十六日 五十四歳 御作。 ■出筆場所:身延山中 草庵にて。 ■出筆の経緯:本御書は大聖人の故郷である安房国東条郷に在住している新尼から、大尼(夫の母)の願いで、御供養の甘海苔をご供養するとともに御本尊のご下付を願い出たことに対する返書となっている。 大尼御前は、所領が地頭の東条景信より没収されようとした時、大聖人の働きもあり、その策謀を阻止できた経緯もあり、一旦は大聖人に帰依するようになった。しかしその後、竜の口法難、佐渡流罪と大聖人が大難に遭われ弟子・信徒に対しても鎌倉幕府の圧力が強まると、法華経の信仰を捨ててしまう。このことにより、難が起きても変わらず大聖人への帰依を貫かれた新尼御前に御本尊の下付はできるが、大尼御前に下付することは叶わないと、法華経への信仰の咎(とが)に対し、厳しい姿勢を示している。 ■ご真筆:岡崎市長福寺(断簡所蔵)。 身延山久遠寺 曽存(かつては存在したが焼失)。 ![]() [新尼御前御返事 本文] あまのり(甘海苔)一ふくろ送り給び畢んぬ。又大尼御前よりあまのり・畏(かし)こまり入つて候。 此の所をば身延の嶽(たけ)と申す。駿河の国は南にあたりたり。彼の国の浮島(うきしま)がはらの海ぎはより此の甲斐の国・波木井(はきり)の郷・身延の嶺へは百余里に及ぶ。余の道・千里よりもわづらはし。富士河と申す日本第一のはやき河・北より南へ流れたり。此の河は東西は高山なり。谷深く・左右は大石にして、高き屏風を立て並べたるがごとくなり。河の水は筒の中に強兵(がっぴょう)が矢を射出したるがごとし。此の河の左右の岸をつたい、或は河を渡り・或時は河はやく・石多ければ舟破れて微塵となる。かかる所をすぎゆきて身延の嶺と申す大山あり。東は天子の嶺・南は鷹取りの嶺・西は七面の嶺・北は身延の嶺なり。高き屏風を四ついたて(衝立)たるがごとし。峯に上つて・みれば草木森森たり、谷に下つてたづぬれば大石連連たり。大狼(おおかみ)の音(こえ)・山に充満し、猿猴(ましら)のなき・谷にひびき、鹿のつま(妻)をこうる音あはれしく、蝉のひびき・かまびすし。春の花は夏にさき・秋の菓は冬になる。たまたま見るものは・やまかつ(山人)が・たき木をひろうすがた、時時(よりより)とぶらう人は・昔なれし同朋(ともどち)なり。彼の商山の四皓(しこう)が世を脱れし心(ここ)ち、竹林の七賢が跡を隠せし山もかくやありけむ。 峯に上つて・わかめや・をいたると見候へば、さにてはなくして・わらびのみ並び立ちたり。谷に下つてあまのりや・をいたると尋ぬれば、あやまりてや・みるらん、せり(芹)のみしげり・ふしたり。古郷の事・はるかに思いわすれて候いつるに、今此のあまのりを見候いて・よしなき心・をもひいでて・う(憂)くつらし。かたうみ(片海)いちかは(市河)こみなと(小湊)の磯のほとりにて昔見しあまのりなり。色形あぢわひもかはらず、など我が父母かはらせ給いけんと・かたちがへ(方違)なる・うらめしさ・なみだをさへがたし。
此れはさて・とどめ候いぬ。但大尼御前の御本尊の御事おほせつかはされて・おもひわづらひて候。其の故は此の御本尊は天竺より漢土へ渡り候いし・あまたの三蔵、漢土より月氏へ入り候いし人人の中にもしるし・をかせ給はず。西域・慈恩伝・伝燈録等の書(ふみ)どもを開き見候へば、五天竺の諸国の寺寺の本尊・皆しるし尽して渡す。又漢土より日本に渡る聖人・日域より漢土へ入る賢者等のしるされて候寺寺の御本尊皆かんがへ尽し、日本国最初の寺・元興寺(がんごうじ)・四天王寺等の無量の寺寺の日記、日本紀と申すふみより始めて多くの日記にのこりなく註して候へば、其の寺寺の御本尊又かくれなし。其の中に此の本尊は・あへてましまさず。 人疑つて云く経論になきか、なければこそ・そこばくの賢者等は画像にかき奉り、木像にも・つくりたてまつらざるらめと云云。而れども経文は眼前なり。御不審の人人は経文の有無をこそ尋ぬべけれ。前代につくりかかぬを難ぜんと・をもうは僻案(びゃくあん)なり。例せば釈迦仏は悲母・孝養のために忉利天(とうりてん)に隠れさせ給いたりしをば、一閻浮提の一切の諸人しる事なし。但・目連尊者・一人此れをしれり。此れ又仏の御力なりと云云。仏法は眼前なれども機なければ顕はれず、時いたらざればひろまらざる事、法爾(ほうに)の道理なり。例せば大海の潮の時に随つて増減し、上天の月の上下にみちかくるがごとし。 今此の御本尊は教主釈尊・五百塵点劫より心中に・をさめさせ給いて、世に出現せさせ給いても四十余年、其の後又法華経の中にも迹門はせすぎて宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕はし、神力品・属累に事極まりて候いしが、金色世界の文殊師利・兜史多(とした)天宮の弥勒菩薩・補陀落山(ふだらくさん)の観世音・日月浄明徳仏の御弟子の薬王菩薩等の諸大士、我も我もと望み給いしかども叶はず。是等は智慧いみじく才学ある人人とは・ひびけども・いまだ法華経を学する日あさし、学も始めなり、末代の大難忍びがたかるべし。我(われ)五百塵点劫より大地の底にかくしをきたる真の弟子あり、此れにゆづるべしとて上行菩薩等を涌出品に召し出ださせ給いて、法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字をゆづらせ給いて・あなかしこ・あなかしこ、我が滅度の後・正法一千年・像法一千年に弘通すべからず。末法の始めに謗法の法師・一閻浮提に充満して諸天いかりをなし、彗星(ほうきぼし)は一天にわたらせ、大地は大波のごとくをどらむ、大旱魃・大火・大水・大風・大疫病・大飢饉・大兵乱等の無量の大災難並びをこり、一閻浮提の人人・各各・甲冑(かっちゅう)をきて弓杖(きゅうじょう)を手ににぎらむ時、諸仏・諸菩薩・諸大善神等の御力の及ばせ給わざらん時、諸人・皆死して無間地獄に堕つること雨のごとく・しげからん時、此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば、諸王は国を扶け・万民は難をのがれん・乃至後生の大火炎を脱るべしと仏・記しをかせ給いぬ。 而るに日蓮・上行菩薩には・あらねども・ほぼ兼ねてこれをしれるは、彼の菩薩の御計らいかと存じて此の二十余年が間此れを申す。此の法門弘通せんには「如来現在・猶多怨嫉・況滅度後」「一切世間・多怨難信」と申して、第一のかたきは国主並びに郡郷等の地頭・領家・万民等なり。此れ又第二第三の僧侶が・うつたへに・ついて行者を或は悪口(あっく)し・或は罵詈(めり)し・或は刀杖(とうじょう)等云云。 而るを安房の国・東条の郷は辺国なれども日本国の中心のごとし。其の故は天照太神、跡を垂れ給へり。昔は伊勢の国に跡を垂れさせ給いてこそありしかども、国王は八幡・加茂等を御帰依深くありて天照太神の御帰依浅かりしかば、太神(おおみかみ)・瞋(いか)りおぼせし時、源右将軍と申せし人・御起請文をもつて・あをか(会加)の小大夫に仰せつけて頂戴し、伊勢の外宮にしのび・をさめしかば太神の御心に叶はせ給いけるかの故に・日本を手ににぎる将軍となり給いぬ。此の人・東条の郡(こおり)を天照太神の御栖(おんすみか)と定めさせ給う。されば此の太神は伊勢の国にはをはしまさず、安房の国・東条の郡にすませ給うか。例えば八幡大菩薩は、昔は西府にをはせしかども、中比(なかごろ)は山城の国・男山に移り給い、今は相州・鎌倉・鶴が岡に栖み給う。これも・かくのごとし。 日蓮は一閻浮提の内・日本国・安房の国・東条の郡(こおり)に始めて此の正法を弘通し始めたり。随つて地頭敵(かたき)となる。彼の者すでに半分ほろびて今半分あり。領家は・いつわりをろかにて或時は信じ・或時はやぶる。不定なりしが日蓮御勘気を蒙りし時、すでに法華経をすて給いき。日蓮先より・けさん(見参)のついでごとに難信難解(なんしん・なんげ)と申せしはこれなり。日蓮が重恩の人なれば扶けたてまつらんために此の御本尊をわたし奉るならば、十羅刹・定めて偏頗(へんぱ)の法師と・をぼしめされなん。又経文のごとく不信の人に・わたしまいらせずば日蓮・偏頗は・なけれども尼御前、我が身のとがをば・しらせ給はずして・うらみさせ給はんずらん。此の由をば委細に助阿闍梨(すけのあじゃり)の文にかきて候ぞ。召して尼御前の見参に入れさせ給うべく候。 御事にをいては御一味なるやうなれども、御信心は色あらわれて候。さどの国と申し此の国と申し、度度の御志ありてたゆむ・けしきは・みへさせ給はねば御本尊は・わたしまいらせて候なり。それも終(つい)には・いかんがと・をそれ思う事、薄冰(うすらい)をふみ、太刀に向うがごとし。くはしくは又又申すべく候。 それのみならず・かまくらにも御勘気の時、千が九百九十九人は堕ちて候人人も・いまは世間やわらぎ候かのゆへに、くゆる人人も候と申すげに候へども、此れはそれには似るべくもなく、いかにも・ふびんには思いまいらせ候へども、骨に肉をば・か(替)へぬ事にて候へば、法華経に相違せさせ給い候はん事を叶うまじき由、いつまでも申し候べく候、恐恐謹言。 二月十六日 日 蓮 花押 新尼御前御返事
by johsei1129
| 2019-10-21 18:45
| 弟子・信徒その他への消息
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