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日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 10月 31日

第五に権実相対して一念三千を明かすことを示すとは 一 【三重秘伝抄】


 第五に権実相対して一念三千を明かすことを示すとは、

 次の文に云く、此等の経々に二つの(とが)あり。一には(こう)()を存するが故に()(いま)だ権を()開せずとて迹門の一念三千を隠せり。二には始成と言うが故に(なお)未だ(しゃく)を発せずとて本門の久遠を隠せり。迹門方便品には一念三千、二乗作仏(さぶつ)を説きて()(ぜん)二種の(とが)一を(のが)れたり已上。
 此等の経々は四十余年の経々なり、行布とは即ち是れ差別の異名なり、所謂(いわゆる)の経々には十界の差別を存する故に()お未だ九界の権を開せず、故に十界()()の義なき故に迹門の一念三千の義を(かく)せりと云ふなり。
 問ふ(まさ)に迹門方便品は一念三千を説きて爾前二種の失一を脱れたりと云うべし、何ぞ二乗作仏等と云うや、
 答ふ一念三千は
(しょ)(せん)にして二乗作仏は(のう)(せん)なり、今能所(なら)べ挙ぐる故に一念三千二乗作仏等と云ふなり。()わく若し二乗作仏を明かさゞる(とき)菩薩凡夫も仏に作らず、是れ即ち菩薩に二乗を(そな)ふれば所具の二乗、仏に作らざる則は能具の菩薩(あに)作仏せんや。故に十法界抄に云く(しか)るに菩薩に二乗を具ふる故に二乗の沈空尽滅するは菩薩が即ち是菩薩の沈空尽滅(じんくうじんめっ)するなり云云。菩薩既に(しか)り、凡夫も亦(しか)なり故に九界も同じく作仏せざるなり、故に九界則仏界の義無き故に一念三千(つい)に顕わるることを得ざるなり、若し二乗作仏を明かす(とき)永不成仏の二乗猶成仏す、(いか)(いわん)や菩薩凡夫をや、故に九界即仏界にして十界互具一念三千(へい)(ねん)なり、故に今、一念三千二乗作仏と云ふなり、宗印の北峰に云はく三千是不思議の妙境なり、只法華の開顕に()りて二乗作仏十界互具す、是の故に三千の法一念に(とん)(えん)にして法華独妙なり文。
 問ふ、昔の経々の中に一念三千を明かさずんば天台(なん)華厳心造の文を引いて一念三千を証するや。
 答ふ、彼の経に
()小久(しょうく)(じょう)を明かさず、何ぞ一念三千を明かさんや。若し大師引用の意は浄覚云く、今の引用は会入(えにゅう)の後に従ふ等云云、又古徳云く、華厳は死法門にして法華は活法門なり云云。彼の経の当分は有名無実なる故に死法門と云ふ、楽天の云く竜門原の上の土、骨を()めて名を埋めずと、和泉式部云く、諸共に苔の下には朽ちずして埋もれぬ名を見るぞ悲しき云云。若し会入の後は(なお)蘇生(そせい)の如し、故に活法門と云ふなり。
()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

日享上人 註解

○次の文とは、標の文なる開目抄の一念三千云云の次の文

布とは、十界の因果を殊に菩薩の四十一位を竪に行列布置し、少しも円融不次第の義無きを云ふ。

○始成とは、釈迦仏は寂滅道場菩提樹下にして正覚を成じ始めて仏に成れりと云ふ爾前の諸経及び法華の迹門の説相である。

○未だ迹を発せずとは、爾前迹門の諸経に於いて道場正覚の仏と云っている間は垂迹示現の迹が臭気が取れぬと云ふ事である。

○迹門方便品とは、十如実相の略開三顕一より五仏章の広開三顕一等に即ち一念三千の理が有り舎利弗の正説が即ち二乗作仏である。

○昔とは、爾前の諸経の事である。

○所詮○能詮とは、詮は事理を能く説き明かす義で、二乗作仏に依りて一念三千の義を説明する事を得るから、二乗作仏の方は説明手、即ち能詮であり、一念三千の方は被説明の法即ち所詮である、能は自動で所は他動である、次の菩薩二乗の能具所具も此れに準じて知る事ができる。

○二乗沈空尽滅とは、阿羅漢等の二乗が(けん)思惑(じわく)を断じて空理に沈み、()(しん)滅智(めつち)して心身(すべ)滅の無余(むよ)涅槃(ねはん)に入るを云ふ。

○菩薩沈空尽滅とは、菩薩其の行程の始めに()いて塵沙惑(じんじゃわく)を起して空理に沈み、出仮利生の念無きものを云ふ。

(よう)不成仏(ふじょうぶつ)とは、声聞縁覚の二乗は無余涅槃に入りて身心(すべ)滅し、仏種を断ずるが故に未来永々成仏の機会無しと爾前の諸経に説かれてある。

○炳然とは、火のやうに明らかなること。

○不思議妙境とは、一心より一切の法を次第に生じたのか、一心が一時に一切の法を有ってをるのか、ドッチとも云へぬ唯是れ心が即一切法、一切法が即ち心で其の道理は(こころ)でも識ことも出来ず、語でも云はれぬ、誠に不思議な境界ぢやと、宗印が三千法を歎賞した文である。

○華厳心造とは、前に引ける如来林菩薩の心が一切法を造ると云ふ偈文である。

○記小久成とは、記小は迹門諸品の二乗(小)作仏の授記で、久成は本門寿量品の久遠実成の顕本である。

○浄覚とは(そう)代の智礼門下ってが、四明反旗著書沢山有る。

○会入の後に従うとは、華厳を開会して法華経に入れての上に華厳経を引用すれば、此れは法華が家の華厳であるから爾前経ぢゃからとて斥ふには及ばぬと浄覚の説である。

○楽天曰く竜門原上士等とは唐の白居易で其の白氏文集廿一にあり、和漢朗詠集や太平記等に引用してある有名な詩である。遺文三十軸、軸々金玉声、竜門原上士、埋骨不埋名とある下の句を今引用してある、其れは元宗簡の文集に楽天が題したのである、其の墓が竜門の原(洛陽の竜門で有名な石窟寺の附近ならん)の上りに在るから骨は其の処に埋めても宗簡の文名は天下に埋もれ朽ちずして永久に金玉の声ありと賞歎したのである。

○和泉式部云わく諸共に等とは、此の歌は和泉式部集の三に在る(金槐和歌集にもある)が詞書に「内侍ナクナリテ次ノ年七月ニ例給ハル衣ニ名ノカヽレタルヲ」とある、式部の女小式部内侍が死して後にも仕へ(はべ)上東門院彰子一条帝皇后年々衣服小式部内侍て、式部である、漢和例は法門法門であろう、枯れ文名小式部である。

   第五に権実相対して一念三千を明かすことを示すとは 二に続く

三重秘伝抄 目次
六巻抄 目次




by johsei1129 | 2014-10-31 22:49 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)
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