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日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 10月 25日

第四に一念に三千を具する相貌を示すとは 【三重秘伝抄】


 第四に一念に三千を具する
相貎(そうみょう)を示すとは、

 問う、止観第五に云わく、此の三千一念の心に在り等云云、一念の微少何ぞ三千を()せんや、
 答う、凡そ今経の意は具遍を明かす、故に法界の全体一念に具し、一念の全体法界に遍す。
(たと)ば一微塵(みじん)に十方の分を具へ、一滴の水の大海に(あまね)きが如し云云。

華厳経に云く、心は(たく)みなる画師の種々の五陰を造る、一切世間の中に法として造らざること無し等云云。
 問う、画師は(ただ)(これ)一色(えが)く、何ぞ四心を画くことを得んや。
 答ふ、色心(とも)に画く故に種々の五陰を造ると云うなり。故に止観第五二十一に云く、善画は像を写すに真に(せま)り、骨法精霊の生気飛動するが如し云云。誰か鐘馗(しょうき)を見て喜ぶと云うべけんや、誰か布袋(ほてい)を見て(いか)れると云うべけんや。故に知んぬ、善く心法を画くなり、止観に又(さん)()を明かす云云。
 又二寸三寸の鏡の中に十丈・百丈・乃至山河を現ず、況んや石中の火・木中の花、誰か之を疑ふべけんや。
 弘の五上に心論を引て云く、()(どう)女長者、伴を随え海に入り宝を()らんと欲し、母に従りてより去らんことを求む。母の云く、吾唯汝のみあり何んぞ吾を捨てゝ去るや、母()の去らんことを恐れ、便ち其の足を(とら)う、童女便ち手を以て母の髪を捉うるに一(けい)の髪落つ、母すなわち放ち去る。海洲の上に至るに熱鉄輪の空中より()の頂上に下臨するを見る、便ち誓いを発して言わく、願わくば法界の苦皆我が身に集まれと、誓願力を以ての故に火輪遂に落ち(ここ)(おい)身を捨て天に生まる、母に違ひて髪を損ずるは地獄の心を成し、弘誓の願いを発すは即ち仏界に属す等云云。一念の心中(すで)に獄と仏とを(そな)ふ、中間の互具は准説(じゅんせつ)して知るべし云云。
 本尊抄に云く、数々(しばしば)他面を見るに、(ある)時は喜び、或時は(いか)り、或時は(たいら)かに、或時は(むさぼり)現われ、或時は(おろか)現われ、或時は諂曲(てんごく)なり。瞋るは地獄、貪るは餓鬼、痴は畜生、諂曲なるは修羅・喜ぶは天・平かは人なり、乃至(ないし)世間の無常は眼前に在り、人界に(あに)二乗界なからんや。無顧(むこ)の悪人(なお)妻子を慈愛す、菩薩界の一分なり、乃至末代に凡夫出生して法華経を信ず、人界に仏界を具するが故なり略抄。法華経を信ずる等の文、深く之を思うべし云云。
 妙楽云わく、仏界の心強きを(なづ)けて仏界となし、悪業深重なるを名けて地獄となす云云。既に法華経を信ずる心強きを名けて仏界となす。故に知んぬ、法華経を(そし)る心強きを悪業深重と号し、地獄界と名づくるなり。

故に知んぬ一念に三千を()すること明らかなり。

日享上人 註解

○一念心とは、ヒトヲモヒの心、(すなわ)刹那(せつな)止観一念三千る。

○華厳経に云はくとは、経の十八、如来林菩薩の説ける()(もん)である。

○一色とは、一色とは(ゆい)(しき)青等色、()他種々間色ではい。

○四心とは、未念・欲念・念・念已(ねんい)精神作用未念ときはんととき念ひつときである。

○色心(とも)は、骨格容貌(もと)り、ふ。

○善画とは、巧妙なる画工の事である。

○骨法精霊とは、骨法は物体の色法、精霊は其の心法である、其れが絵画で無くて真の生物の如く生々(いきいき)して美人画愛着幽霊図恐怖る、名画()った飛び去り、(つな)った寓話であ

○鐘馗とは、鬼神の名を人名に取ったのであらう、後漢に李鐘馗あり隋に(きょう)鐘馗、揚鐘馗、唐に張鐘馗と云ふ人があった、明皇帝が大鬼小鬼を制するを夢に見て呉道子に画かせた、更に此れを版画にして臣下に賜はった、是が即ち鐘馗の図で怒髪(どはつ)天に逆だち(つるぎ)()げて鬼を叱咤(しった)する状、真に恐るべきもの、此れが(ここ)に云う鐘馗である
○布袋とは、又支那の僧で
豊頬曲(ほうきょうきょく)()大耳(だいじ)笑貌(しょうぼう)便々巨大布袋小児懐従(かいじゅう)である。

()は、摩訶止観解釈せる妙楽弘決(ぐけつ)()(ぎょう)十巻上下った上巻である。

○海州とは、大海の中の島嶼(とうしょ)である

○熱鉄輪とは、焼けて赤くなった鉄丸。

○法界苦とは、十方世界に充ちたらん一切の苦しみである。

○火輪とは、火の玉の事。

○准説等とは、上に引ける慈童女の一念の中に極悪の地獄の心と極善の仏の心とを同時に(そな)ば、中間畜生にも無論の事である、(また)畜生人間十界互具慈童女長者わるである。

○平とは、喜怒哀楽等の情が(ひとえ)に際立ちて顕はれをらぬ事。

〇貪とは、ヤタラに物を欲しがる事。

○癡とは、物の道理が少しも分からぬ事。

諂曲(てんごく)とは、修羅(しゅら)の性格の一面で勝他の目的の為には(おのれ)()げて他に(へつら)ふこある。

無顧(むこ)悪人は、アトサキ見ず無法者眷属(けんぞく)愛撫(あいぶ)地獄修羅心中菩薩(そな)ってい現証である

凡夫(ぼんぷ)出生等は、凡夫(そく)(ごく)即身成仏実現末法大白法(だいびゃくほう)久遠(くおん)名字(みょうじ)妙法(なが)(みなも)仏界である。



   第五に権実相対して一念三千を明かすことを示すとは 一 に続く

三重秘伝抄 目次




by johsei1129 | 2014-10-25 22:34 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)


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