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日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 10月 25日

第三に一念三千の数量を示すとは【三重秘伝抄】

第三に一念三千の数量を示すとは、

 (まさ)に三千の数量を知らんとせば(すべから)く十界・三世間・十如の相を了るべし。十界は常の如し、八大地獄に各十六の別処あり、故に一百三十六通じて地獄と号するなり。餓鬼は正法念経に三十六種を明かし、正理論に三種・九種を明かす。畜生は魚に六千四百種、鳥に四千五百種、獣に二千四百種、合して一万三千三百種、通じて畜生界と名づくるなり。修羅は身長八万四千()(じゅん)、四大海の水も(ひざ)に過ぎず、人は即ち四大洲、天は即ち欲界の六天と色界の十八天と無色界の四天となり。二乗は身子・目連等の如し。菩薩は本化・迹化の如し、仏界は釈迦・多宝の如し云云。
 三世間とは()(おん)と衆生と国土となり。五陰とは色・受・想・行・識なり、言う所の陰とは正しく九界に約し、善法を陰蓋(いんがい)するが故に陰と名づくるなり、(これ)は因に()いて名を得。又陰は是れ積聚(せきじゅ)なり、生死重沓(じゅうとう)す、故に陰と名づく、是は果に就いて名を得たり。若し仏界に約せば常楽重沓し、慈悲覆蓋(ふくがい)するが故なり。次ぎに衆生世間とは十界通じて衆生と名づくるなり、五陰(かり)に和合するを名づけて衆生と云うなり、仏界は(これ)尊極の衆生なり。故に大論に曰わく、衆生の無上なるは仏(これ)なりと。(あに)凡下(ぼんげ)に同じからんや云云。三に国土世間とは則ち十界の居る所なり、地獄は赤鉄に(より)て住し、餓鬼は(えん)()の下五百由旬に住し、畜生は水陸空に住し、修羅は海の(ほとり)海の底に住し、人は大地に(より)て住し、天は空殿に依て住し、二乗は方便土に依て住し、菩薩は実報土に依て住し、仏は寂光土(じゃっこうど)に依て住し(たま)り云云。並びに世間とは即ち是差別の義なり、所謂(いわゆる)十種の()(おん)不同なる故に五陰世間と名づけ、十種の衆生不同なる故に衆生世間と名づけ、十種の所居不同なる故に国土世間と名づくるなり。
 十如是とは相・性・体・力・作・因・縁・果・報等なり。如是とは(たと)ば臨終に黒色なるは地獄の相、白色なるは天上の相等の如し。如是とは十界の善悪の性、其の内心に定まり後世まで改まらざるを性と云うなり。如是とは十界の身体色質なり。如是とは十界各々の作すべき所の功能なり。如是とは三業を運動し善悪の所作を行ふなり、善悪に(わた)りて習因習果あり、先念は習因、後念は習果なり。是(すなわ)ち悪念は悪を起こし、善念は善を起こす。後に起す所の善悪の念は前の善悪の念に由る故に前念は習因即ち如是因なり、後念は習即ち如是果なり。善悪の体を(うるお)す助縁は(これ)如是縁なり。習因習果等の業因に(むく)て正しく善悪の(むくい)くるは(これ)如是報なり。初めの相を本とし後の報を末とし、此の本末の其の(きわま)りて中道実相なるを本末究竟(くきょう)(とう)と云うなり云云。
 正しく一念三千の数量を示すとは、(まさ)に知るべし玄・文両部の中には(なら)びに(いま)だ一念三千の名目を明かさず、(ただ)百界千如を明かすなり、止観の第五巻に至りて正しく一念三千を明かすなり。此に二意あり、一には如是に約して数量を明かす、所謂(いわゆる)百界・三百世間・三千如是なり。二には世間に約して数量を明かす、所謂百界・千如是・三千世間なり。開合異なると雖も同じく一念三千なり云云。()


日享上人註解

○色受想行識とは、色は色形で衆生の肉体及び草木国土等である、受は衆生が外界に在る物を我が身に受け納るゝこと、想は一たび受け()れたるものを常に想うて忘れぬこと、行は此の想ひに()りて起す所の所業である、識は以上の事をより起さしむる意識(すなわ)ちこゝろである。

○衆生等とは、地獄餓鬼等の十種の生類が共に生じ共に住し共に滅する辺を云ふのである。

○方便土とは、欲、色、無色の三界の外に在る世界で証果の阿羅漢のみ住する所である。

実報土(じっぽうど)とは、方便土の(ごと)く三界の外で菩薩行道の果報に依りて住する黄金世界である。

○寂光土とは、前の方便実報両土の如く限られた界外の事土でなく、界内界外、浄土、穢土(えど)を問はず事理不二で自受用報身仏の大功徳清浄なる楽土ずるをふのである。

(にょ)()とは、如は空の義、真の義・()()の義・事の義・如是と合字すれば中の義に成り、(くう)仮中(けちゅう)の三(たい)を成ずるので相性体等の十如是は即空仮中道の実相である。

○相とは、外に在りて見るべきもの即ち皮相である。

○性とは、内に在りて見るべからざるもの、即ち性分である。

○体とは、外相と内性とを裏表に(そな)へて一身を支持するもの。

○力○()とは、力は原動力で作は動力の現はれたるもの。

○因〇縁とは、因は主因で縁は助縁で(なお)主判の関係と同じ。

〇果○報とは、果は必然の結果で報は必然の報酬である、即ち果報の関係には前後冥現の別がある。

○本末等とは、九如の末の報が即ち次ぎの始めの相となるから十如の本末の連鎖となりて循環(きわま)り無き点位は此の第十の本末究竟(くきょう)(とう)である。

○玄文両部○百界千如とは、文句には十界の(おのおの)に十界を具へ又()れに十如是を具ふるから千如となる事だけを明かし、玄義には一法界に九法界を具ふれば百法界に千如是となる(よし)を明かしてあるだけで、共に未だ三千の数には説き及ぼして無い。

○開合雖異とは、三千如是は開であり三百世間は合である、又三千世間は開であり千如是は合である。開は広がる意味、合は(ちぢ)意味である

第四に一念に三千を具する相貌を示すとは に続く

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by johsei1129 | 2014-10-25 15:27 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)


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