人気ブログランキング |

日蓮大聖人『御書』解説

nichirengs.exblog.jp
ブログトップ
2019年 10月 21日

法華経見宝塔品に説かれている宝塔は末法に入つて法華経を持つ男女の姿であると断じた【阿仏房御書】

【阿仏房御書(宝塔御書)】
■出筆時期:文永十二年三月十三日(西暦1275年) 五十四歳御作。
■出筆場所:身延山中・草庵にて
■出筆の経緯:佐渡ヶ島流罪中、妻の千日尼ともども大聖人を厚く外護された阿仏房に宛てられた書。阿仏房から法華経・見宝塔品第十一に説かれている「大地より涌出した七宝の宝塔」について問われたことへの、返書となっている。大聖人は本書で「我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり、妙法蓮華経より外に宝塔なきなり。法華経の題目宝塔なり、宝塔又南無妙法蓮華経なり。」と断じている。また「宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ。子にあらずんば・ゆづる事なかれ」と記して、宝塔つまり大御本尊を阿仏房にご下付されたことを伝えている。尚、この御本尊は現在阿仏房が自宅を寺として開基した妙宣寺に所蔵されている。
■ご真筆: 現存しない。

[阿仏房御書] 本文

御文(おんふみ)委く披見いたし候い了んぬ。抑宝塔の御供養の物、銭一貫文・白米・しなじなをくり物たしかに・うけとり候い了んぬ。此の趣御本尊・法華経にも・ねんごろに申し上げ候・御心やすくおぼしめし候へ。

一御文に云く、多宝如来・涌現の宝塔・何事を表し給うやと云云。此の法門ゆゆしき大事なり。宝塔をことわるに、天台大師文句の八に釈し給いし時、証前起後の二重の宝塔あり。証前は迹門、起後は本門なり。或は又閉塔は迹門、開塔は本門、是れ即ち境智の二法なり。しげきゆへにこれををく。所詮三周の声聞、法華経に来て己心の宝塔を見ると云う事なり。

 今日蓮が弟子檀那又又かくのごとし、末法に入つて法華経を持つ男女のすがたより外には宝塔なきなり。若し然れば、貴賤上下をえらばず南無妙法蓮華経ととなうるものは、我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり、妙法蓮華経より外に宝塔なきなり。法華経の題目宝塔なり、宝塔又南無妙法蓮華経なり。
 今、阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり、此の五大は題目の五字なり。然れば阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房、此れより外の才覚無益(むやく)なり。聞・信・戒・定・進・捨・慚の七宝を以てかざりたる宝塔なり。多宝如来の宝塔を供養し給うかとおもへばさにては候はず、我が身を供養し給う。我が身又三身即一の本覚の如来なり。

 かく信じ給いて南無妙法蓮華経と唱え給へ。ここさながら宝塔の住処なり。経に云く「法華経を説くこと有らん処は我が此の宝塔其の前に涌現す」とはこれなり。あまりにありがたく候へば、宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ。子にあらずんば・ゆづる事なかれ。信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ。出世の本懐とはこれなり。 阿仏房しかしながら北国の導師とも申しつべし。浄行菩薩うまれかわり給いてや、日蓮を御とふらい給うか。

 不思議なり不思議なり。此の御志をば日蓮はしらず、上行菩薩の御出現の力にまかせたてまつり候ぞ。別の故はあるべからずあるべからず。宝塔をば夫婦ひそかにをがませ給へ。委くは又又申すべく候、恐恐謹言。

 三月十三日              日 蓮 花押

阿仏房上人所(もと)へ

by johsei1129 | 2019-10-21 22:20 | 阿仏房・千日尼 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://nichirengs.exblog.jp/tb/23156533
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。


<< 法華経の文字は皆悉く生身妙覚の...      末法に日本国に於て地涌の菩薩、... >>