2019年 10月 21日
【曾谷入道殿許御書 本文】 その五 爰を以て滅後の弘経に於ても仏の所属に随つて弘法(ぐほう)の限り有り。然れば則ち迦葉・阿難等は一向に小乗経を弘通して大乗経を申べず。竜樹・無著等は権大乗経を申べて一乗経を弘通せず。設い之を申べしかども纔(わず)かに以て之を指示し、或は迹門の一分のみ之を宣べて全く化導の始終を談ぜず。南岳・天台等は観音・薬王等の化身と為(し)て小大・権実・迹本二門・化道の始終・師弟の遠近等悉く之を宣べ、其の上に已今当(いこんとう)の三説を立てて一代超過の由を判ぜること、天竺の諸論にも勝れ、真丹の衆釈にも過ぎたり。旧訳・新訳の三蔵も宛かも此の師には及ばず、顕密二道の元祖も敵対に非ず。然りと雖も広略を以て本と為して未だ肝要に能わず、自身之を存すと雖も敢へて他伝に及ばず。此れ偏に付属を重んぜしが故なり。 伝教大師は仏の滅後一千八百年像法の末に相当つて日本国に生れて小乗・大乗・一乗の諸戒一一に之を分別し、梵網・瓔珞(ようらく)の別受戒を以て小乗の二百五十戒を破失し、又法華普賢の円頓の大王の戒を以て諸大乗経の臣民の戒を責め下(おと)す。此の大戒は霊山八年を除いて・一閻浮提の内に未だ有らざる所の大戒場を叡山に建立す。然る間八宗共に偏執(へんしゅう)を倒し、一国を挙げて弟子と為る。観勒の流の三論・成実、道昭の渡せる法相・倶舎、良弁の伝うる所の華厳宗、鑒真(がんじん)和尚の渡す所の律宗、弘法大師の門弟等、誰か円頓の大戒を持(たも)たざらん。此の義に違背するは逆路の人なり、此の戒を信仰するは伝教大師の門徒なり。日本一州・円機純一・朝野遠近・同帰一乗とは是の謂(いい)か。 此の外は漢土の三論宗の吉蔵大師、並びに一百余人・法相宗の慈恩大師・華厳宗の法蔵・澄観・真言宗の善無畏・金剛智・不空・慧果・日本の弘法・慈覚等の三蔵の諸師は四依の大士に非ざる暗師なり・愚人なり。経に於ては大小・権実の旨を弁えず、顕・密両道の趣を知らず。論に於ては通申と別申とを糾さず、申と不申とを暁(あきら)めず。然りと雖も彼の宗宗の末学等、此の諸師を崇敬して之を聖人と号し・之を国師と尊ぶ。今先ず一を挙げんに万を察せよ。
弘法大師の十住心論・秘蔵宝鑰(ほうやく)・二教論等に云く「此くの如き乗乗・自乗に名を得れども後に望めば戯論(けろん)と作る」と。又云く「無明の辺域」又云く「震旦の人師等、諍つて醍醐を盗み各自宗に名く」等云云。釈の心は法華の大法を華厳と大日経とに対して・戯論の法と蔑(あなず)り、無明の辺域と下し、剰え震旦一国の諸師を盗人と罵る。此れ等の謗法・謗人は慈恩・得一の三乗真実・一乗方便の誑言(おうごん)にも超過し、善導・法然が千中無一・捨閉閣抛の過言にも雲泥せるなり。六波羅蜜経をば唐の末に不空三蔵月氏より之を渡す。後漢より唐の始めに至るまで、未だ此の経有らず。南三北七の碩徳・未だ此の経を見ず。三論・天台・法相・華厳の人師、誰人か彼の経の醍醐を盗まんや。又彼の経の中に法華経は醍醐に非ずというの文・之有りや不や。而るに日本国の東寺の門人等堅く之を信じて種種に僻見(びゃっけん)を起こし、非より非を増し、暗(くらき)より暗に入る。不便(ふびん)の次第なり。 彼の門家の伝法院の本願たる正覚の舎利講式に云く「尊高なる者は不二摩訶衍(まかえん)の仏、驢牛(ろご)の三身は車を扶くること能はず。秘奥なる者は両部曼陀羅の教、顕乗の四法の人は履(はきもの)をも取るに能えず」云云。三論・天台・法相・華厳等の元祖等を真言の師に相対するに牛飼にも及ばず・力者(りきしゃ)にも足らずと書ける筆なり。乞い願わくは彼の門徒等心在らん人は之を案ぜよ。大悪口に非ずや、大謗法に非ずや。所詮此等の誑言(きょうげん)は弘法大師の「望後作戯論」の悪口より起こるか。教主釈尊・多宝・十方の諸仏は法華経を以て已今当の諸説に相対して皆是真実と定め、然る後・世尊は霊山に隠居し、多宝諸仏は各本土に還りたまいぬ。三仏を除くの外・誰か之を破失せん。 就中(なかんづく)・弘法所覧の真言経の中に三説を悔い還すの文、之有りや不や。弘法既に之を出ださず、末学の智・如何せん。而るに弘法大師一人のみ法華経を華厳・大日の二経に相対して戯論・盗人と為す。所詮釈尊・多宝・十方の諸仏を以て盗人と称するか。末学等、眼を閉じて之を案ぜよ。 問うて曰く、昔より已来(このかた)未だ曾て此くの如きの謗言を聞かず。何ぞ上古清代の貴僧に違背して・寧(むし)ろ当今濁世の愚侶を帰仰せんや。答えて曰く、汝が言う所の如くば、愚人は定んで理運なりと思わんか。然れども此等は皆人の偽言に因つて如来の金言を知らざるなり。大覚世尊・涅槃経に滅後を警(いまし)めて言く「善男子・我が所説に於て・若し疑ひを生ずる者は尚受くべからず」云云。然るに仏・尚我が所説なりと雖も不審有らば之を叙用(じょゆう)せざれとなり。今・予を諸師に比べて謗難を加う。然りと雖も敢て私曲を構えず、専ら釈尊の遺誡に順(したが)つて諸人の謬釈(びゅうしゃく)を糾すものなり。 【【曾谷入道殿許御書 本文】 その六に続く
by johsei1129
| 2019-10-21 22:05
| 曾谷入道
|
Trackback
|
Comments(0)
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。
ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
|
アバウト
カレンダー
カテゴリ
全体 御書 INDEX・略歴 WRITING OF NICHIREN 観心本尊抄(御書五大部) 開目抄(御書五大部) 撰時抄(御書五大部) 報恩抄(御書五大部) 立正安国論(御書五大部) 御書十大部(五大部除く) 日蓮正宗総本山大石寺 血脈・相伝・講義 重要法門(十大部除く) 御義口伝 日興上人 日寛上人 六巻抄 日寛上人 御書文段 小説 日蓮の生涯 上 小説 日蓮の生涯 中 小説 日蓮の生涯 下 LIFE OF NICHIREN 日蓮正宗関連リンク 南条時光(上野殿) 阿仏房・千日尼 曾谷入道 妙法比丘尼 大田乗明・尼御前 四条金吾・日眼女 富木常忍・尼御前 池上兄弟 弟子・信徒その他への消息 釈尊・鳩摩羅什・日蓮大聖人 日蓮正宗 宗門史 創価破析 草稿 富士宗学要集 法華経28品 並開結 検索
以前の記事
2022年 08月 2022年 07月 2022年 05月 2022年 04月 2022年 03月 2022年 02月 2022年 01月 2021年 12月 2021年 11月 2021年 10月 2021年 09月 2021年 06月 2021年 05月 2021年 03月 2021年 02月 2021年 01月 2020年 12月 2020年 11月 2020年 10月 2020年 09月 2020年 08月 2020年 07月 2020年 06月 2020年 05月 2020年 04月 2020年 03月 2020年 02月 2020年 01月 2019年 12月 2019年 11月 2019年 10月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 06月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 01月 お気に入りブログ
最新のコメント
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
タグ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||