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日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 10月 17日

日寛上人、一行の御文から万法をひらく【三重秘伝抄第一】

三重秘伝第一


日寛つつし


 正徳第三癸巳(みつのとみ)予四十九歳の秋、時々御堂に於て開目抄を講じ、而て文底秘沈(もんていひちん)の句に至るに其の義甚深にして其の意難解(なんげ)なり。所以に文に三段を分ち義に十門を開く。草案已に畢りて清書未だ成らず、(むな)しく笈の中に(おさ)めて之を披くに(いとま)あらず。
 而る後、享保第十乙巳、予六十一歳の春、
逅邂(こうかい)之を閲するに疎略(やや)多し、故に(ほぼ)添削を加う、敢えて未治の本を留むることなかれ。
 然るに此の抄の中には多くの
大事(だいじ)を示す、此れは是れ(ひとえ)令法(りょうぼう)久住(くじゅう)の為なり、末弟等深く吾が意を察せよ云云。


 日享上人 註解 

○三重等とは、(ごん)(じつ)本迹(ほんじゃく)(しゅ)(だつ)の三相対にして下の第二、文相の大旨を示す等の下に明らかである。此の三重の妙旨は興目嫡流(ちゃくりゅう)にのみ伝ふる所で他門の日蓮各宗の知る所ではないから秘伝と云ふのである。
○抄とは、普通の解釈の通りでよい。本師経釈祖判に依りて此れを抄録せられたのである。
○第一とは、再治本の六巻の第一にある調巻の次第である、草庵本も亦此の序文に依れば第一の始めであったのである。

○於御堂等とは、正徳元年六月師範本山隠居日永上人の召に応じ、上総国細草檀林の化主を辞して登山し、学頭寮に入り事実初代の学頭と為りて祖書の(こう)(えん)である、永上人経営家であった日宥(にちゆう)勇退以後廃絶(まま)蓮蔵中興学頭寮隠棲し、愛弟本師期待()講学復興た、本師講筵学寮であった聴衆等都合間々御堂開目抄(ばか)い。此れ已下享保(きょうほ)三月廿昇進六巻抄草本ったものであろう

○文底秘沈の句とは、本抄の冒頭に標出する開目抄の一念三千云云の文である。

○三段、十門とは、本抄始めの釈文に委しく名目を出してある。

 草案とは稿本即ち、したがきである。

○虚とは、格別に使用せずして(いたずら)手文庫込んだのをふ。

○逅邂とは、普通邂逅と書く、偶然であり何の気無しに云ふと同じ。

○添削とは、足らざるを添へ余れるを削って加減能くする。

○未治本とは、草稿の儘で一回も修治を経ぬ書き放しのもの、未治本として現在する物は雪山文庫に在る末法相応抄であること前の総序に委しく書いてをいた。

○大事とは、宗門の一大事仏家の肝心たる法華本門寿量文底事の一念三千等,他宗他門の徒の(うかが)ひ知る(あた)一大事である。

○末弟等とは、近く直接に此れを云へば当時の僧弟子達で間接には当流の信者即俗弟に被り、遠く此れを云へば未来の僧俗一般に及ぶのである。

○吾が意とは、正義宣揚令法久住の御意衷である。

 已上の註解は本抄の序の文より摘出して加へたのであるが、已下五巻一々に序文が設けられてある。


               一念三千に十門の義 に続く

三重秘伝抄 目次  六巻抄 目次 


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by johsei1129 | 2014-10-17 23:48 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)


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