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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 11月 26日

法華経を一句よみまいらせ候へば釈迦如来の一代聖教をのこりなく読むにて候なるぞと説いた【千日尼御返事】

【千日尼御返事(せんにちあまごへんじ)】
■出筆時期:弘安三年七月二日(西暦1280年) 五十九歳 御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:故阿仏房の妻千日尼に宛てられた書。阿仏房は承久の乱で佐渡へ流された順徳上皇につかえた武士といわれている。念仏を強く信仰していたが、佐渡流罪となった大聖人と念仏僧との法論「塚原問答」を聞き、念仏の信仰を捨て妻共々大聖人に帰依し大聖人を支えることになった。大聖人が身延山入山以後も高齢にもかかわらず三度も供養のため身延山に登山し、弘安二年三月二十一日、九十一歳でその生涯を全うする。本書は阿仏房亡き後も法華経の信仰を貫く千日尼に対し「法華経を一句よみまいらせ候へば・釈迦如来の一代聖教をのこりなく読むにて候なるぞ」と説くとともに、跡を継いだ子の藤九郎守綱が、昨年は父の舎利を頚に懸け身延山に登り法華経の道場に収め、今年は再度七月一日に身延山に登り慈父の墓を拝見したことを「子にすぎたる財なし」と讃えられている。尚、本御書のご真筆は阿仏房が自宅に開基した妙宣寺に現在所蔵されている。

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■ご真筆: 佐渡・妙宣寺所蔵(重要文化財)。


[千日尼御返事] 本文

 こう入道殿の尼ごぜん の事なげき入つて候、又こい(恋)し・こいしと申しつたへさせ給へ。
 鵞目一貫五百文、のり(海苔)、わかめ(海藻)、ほしい(干飯)しなじなの物給び候い了んぬ。法華経の御宝前に申し上げて候。
 法華経に云く「若し法を聞く者有らば一(ひとり)として成仏せざること無し」云云。文字は十字にて候へども法華経を一句よみまいらせ候へば・釈迦如来の一代聖教をのこりなく読むにて候なるぞ。故に妙楽大師の云く「若し法華を弘むるは凡そ一義を消するも、皆一代を混じて其の始末を窮めよ」等云云。始(し)と申すは華厳経・末(まつ)と申すは涅槃経。華厳経と申すは仏・最初成道の時、法慧・功徳林等の大菩薩・解脱月菩薩と申す菩薩の請(しょう)に趣いて仏前にて・とかれて候。其の経は天竺・竜宮城・兜率天(とそつてん)等は知らず、日本国にわたりて候は六十巻・八十巻・四十巻候。末と申すは大涅槃経、此れも月氏・竜宮等は知らず我が朝には四十巻・三十六巻・六巻・二巻等なり。此れより外の阿含経・方等経・般若経等は五千・七千余巻なり。此れ等の経経は見ず・きかず候へども、但法華経の一字・一句よみ候へば、彼れ彼れの経経を一字も・をとさず・よむにて候なるぞ。譬へば月氏・日本と申すは二字、二字に五天竺・十六の大国・五百の中国・十千の小国・無量の粟散国の大地・大山・草木・人畜等をさまれるがごとし。譬へば鏡はわづ(僅)かに一寸・二寸・三寸・四寸・五寸と候へども、一尺・五尺の人をもうかべ、一丈・二丈・十丈・百丈の大山をもうつす。
 されば此の経文をよみて見候へば、此の経をきく人は一人もかけず仏になると申す文なり。九界・六道の一切衆生・各各・心心かわれり。譬へば二人・三人・乃至百千人候へども一尺の面の内しち(実)にに(似)たる人一人もなし。心のにざるゆへに面もにず、まして二人・十人・六道・九界の衆生の心いかんが・かわりて候らむ。されば花をあいし・月をあいし、す(酸)きをこのみ・にがきをこのみ、ちいさきをあいし・大なるをあいし・いろいろなり。善をこのみ悪をこのみ・しなじななり。かくのごとく・いろいろに候へども、法華経に入りぬれば唯一人の身・一人の心なり。譬へば衆河の大海に入りて同一鹹味(かんみ)なるがごとく、衆鳥の須弥山に近ずきて一色なるがごとし。提婆が三逆も羅睺羅(らごら※注1)が二百五十戒も同じく仏になりぬ。妙荘厳王の邪見も、舎利弗が正見も同じく授記をかをほれり。此れ即ち無一不成仏のゆへぞかし。
 四十余年の内の阿弥陀経等には舎利弗が七日の百万反・大善根を・とかれしかども、未顕真実ときらわれしかば・七日ゆ(湯)をわかして大海になげたるがごとし。ゐ(韋)提希が観経をよみて無生忍を得しかども正直捨方便とすてられしかば、法華経を信ぜずば返つて本の女人なり。大善を用うる事なし、法華経に値わざればなにかせん。大悪をも歎く事無かれ、一乗を修行せば提婆が跡をもつぎなん。此等は皆無一不成仏の経文のむなしからざるゆへぞかし。
 されば故阿仏房の聖霊は今いづくにか・をはすらんと人は疑うとも、法華経の明鏡をもつて其の影をうかべて候へば、霊鷲山の山の中に多宝仏の宝塔の内に東むきにをはすと日蓮は見まいらせて候。若し此の事そらごとにて候わば日蓮が・ひがめにては候はず。釈迦如来の「世尊法久後・要当説真実」の御舌も・多宝仏の「妙法華経・皆是真実」の舌相も・四百万億那由佗の国土にあさのごとく・いね(稲)のごとく・星のごとく・竹のごとく、ぞくぞくと・すきまもなく列(つら)なつて・をはしましし諸仏如来の一仏も・かけ給はず・広長舌を大梵王宮に指し付けて・をはせし御舌どもの、くぢらの死にて・くさ(腐)れたるがごとく・いわし(鰯)のよりあつまりて・くされたるがごとく、皆一時にく(朽)ち・くされて十方世界の諸仏・如来・大妄語の罪に・をとされて、寂光の浄土の金るり(瑠璃)大地はたと・われて提婆がごとく・無間大城にかつぱと入り、法蓮香比丘尼がごとく身より大妄語の猛火ぱと・いでて・実報華王の花のその(園)一時に灰燼(かいじん)の地となるべし。いかでか・さる事は候べき。故阿仏房一人を寂光の浄土に入れ給はずば、諸仏は大苦に堕ち給うべし。ただ・をいて物を見よ・ただをいて物を見よ。仏のまこと(実)そら(虚)事は、此れにて見奉るべし。
 さては・をとこは・はしらのごとし、女は・なかわ(桁)のごとし。をとこは足のごとし・女人は身のごとし。をとこは羽のごとし・女はみ(身)のごとし。羽とみと・べちべちに・なりなば・なにを・もつてか・とぶべき。はしら・たうれなば・なかは(桁)地に堕ちなん、いへに・をとこなければ人のたましゐ(魂)なきがごとし。くうじ(公事)を・たれにか・いゐあわせん、よき物をば・たれにか・やしなうべき。一日二日たがいしを・だにも・をぼつかなく・をもいしに、こぞの三月(やよい)の二十一日に・わかれにしが、こぞ(去年)もまちくらせどまみゆる事なし。今年もすでに七つきになりぬ。たとい・われこそ来らずとも・いかに・をとづれ(音信)はなかるらん。ちりし花も又さきぬ・おちし菓(このみ)も又なりぬ。春の風も・かわらず、秋のけしきも・こぞ(去年)のごとし。いかに・この一事のみ・かわりゆきて本のごとく・なかるらむ。月は入りて又いでぬ・雲はきへて又来る。この人人の出でてかへらぬ事こそ、天も・うらめしく・地もなげかしく候へ。さこそ・をぼすらめ、いそぎ・いそぎ法華経をらうれう(粮料)と・たのみまいらせ給いて・りやうぜん浄土へ・まいらせ給いて・みまいらせ・させ給うべし。
 抑(そもそも)子はかたきと申す経文もあり「世人・子の為に衆(もろもろ)の罪を造る」の文なり。鵰(くまたか)・鷲(わし)と申すとりは・をやは慈悲をもつて養へば、子は・かへりて食とす。梟鳥(ふくろう)と申すとりは生れては必ず母をくらう。畜生かくのごとし。人の中にも・はるり王は心もゆかぬ父の位を奪い取る。阿闍世王は父を殺せり。安禄山は養母をころし・安慶緒と申す人は父の安禄山を殺す。安慶緒は又史師明に殺されぬ。史師明は史朝義(しちょうぎ)と申す子に又ころされぬ。此れは敵(かたき)と申すも・ことわり(理)なり。善星比丘と申すは教主釈尊の御子なり。苦得外道をかたらいて度度父の仏を殺し奉らんとす。又子は財(たから)と申す経文も・はんべり。所以(ゆえ)に経文に云く「其の男女追つて福を修すれば大光明有つて地獄を照し、其の父母に信心を顕さしむ」等と申す。設い仏説ならずとも眼の前に見えて候。

 天竺に安足(あんそく)国王と申せし大王は・あまりに馬をこのみて・か(飼)いしほどに、後には・かいなれて鈍馬(どんめ)を竜馬(りょうめ)となすのみならず・牛を馬ともなす。結句は人を馬と・なしてのり給いき。其の国の人あまりに・なげきしかば知らぬ国の人を馬となす。他国の商人(あきびと)の・ゆきたりしかば薬をかいて・馬となして御まやう(厩)につなぎ・つけぬ。なにと・なけれども・我が国はこいしき上・妻子ことにこいしく・しのびがたかりしかども、ゆるす事なかりしかば・かへる事なし。又かへり・たりとも・このすがたにては由なかるべし、ただ朝夕には・なげきのみにして・ありし程に、一人(ひとり)ありし子・父のまちどき(待時)すぎしかば・人にや殺されたるらむ・又病にや沈むらむ。子の身として・いかでか父をたづねざるべきと・いでたちければ・母なげくらく、男も他国より・かへらず、一人の子も・すてて・ゆきなば我いかんがせんと・なげきしかども、子・ちちのあまりに・こいしかりしかば安足国へ尋ねゆきぬ。ある小屋に・やどりて候しかば家の主(あるじ)申すやう、あらふびんや、わど(和殿)のは・をさなき物なり・而もみめかたち人にすぐれたり。我に一人の子ありしが他国にゆきて・し(死)にやしけん・又いかにてやあるらむ。我が子の事を・をもへば・わどのをみてめ(目)も・あてられず。
 いかにと申せば此の国は大なるなげき有り。此の国の大王・あまり馬をこのませ給いて不思議の草を用い給へり。一葉せばき草をくわ(喰)すれば人・馬となる。葉の広き草をくわすれば馬・人となる。近くも他国の商人(あきびと)の有りしを・この草をくわせて馬となして第一の御まやに秘蔵して・つながれたりと申す。
 此の男・これ(此)をきいて・さては我が父は馬と成りてけりと・をもひて・返つて問う、其の馬は毛は・いかにと・といければ・家の主(あるじ)答えて云く、栗毛なる馬の肩白く・ぶちたりと申す。此の物・此の事をききて・とかうはからいて王宮に近づき・葉の広き草をぬすみとりて・我が父の馬になりたりしに食せしかば本のごとく人となりぬ。其の国の大王・不思議なる・おもひをなして・孝養の者なりとて父を子に・あづけ給へり。其れよりついに人を馬となす事は・とど(止)められぬ。

 子ならずば・いかでか尋ねゆくべき。目連尊者は母の餓鬼の苦をすくひ、浄蔵浄眼は父の邪見をひるがいす。此れよき子の親の財(たから)となるゆへぞかし。而るに故阿仏聖霊は日本国・北海の島のいびす(夷)のみ(身)なりしかども、後生ををそれて出家して後生を願いしが、此の人日蓮に値いて法華経を持ち、去年(こぞ)の春・仏になりぬ。尸陀(しだ)山の野干は仏法に値いて生をいとひ、死を願いて帝釈と生れたり。阿仏上人は濁世の身を厭(いと)いて仏になり給いぬ。其の子藤九郎守綱は此の跡をつぎて一向法華経の行者となりて、去年(こぞ)は七月二日・父の舎利を頚(くび)に懸け、一千里の山海を経て甲州・波木井(はきり)身延山に登りて法華経の道場に此れをおさめ、今年は又七月一日(ふづき・ついたち)身延山に登りて慈父のはかを拝見す。子にすぎたる財なし、子にすぎたる財なし。南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。

 七月二日        日 蓮 花押

 故阿仏房尼御前御返事

 追伸、絹の染袈裟一つまいらせ候、豊後房に申し候べし。既に法門・日本国にひろまりて候。北陸道をば豊後房なびくべきに、学生ならでは叶うべからず。九月十五日已前に・いそぎ・いそぎまいるべし。かずの聖教をば日記のごとく・たんば房にいそぎ・いそぎつかわすべし。山伏房をばこれより申すにしたがいて・これへは・わたすべし。山伏の現にあだまれ候事・悦び入つて候。


※注1 羅睺羅(らごら又はらふーら) : 釈迦の実子。釈尊覚知後6年後に故郷に戻った時出家したと伝えられている。釈尊の元で修行し、釈迦十大弟子の一人で密行第一と称されるまでになったと言う。




by johsei1129 | 2019-11-26 20:59 | 阿仏房・千日尼 | Trackback | Comments(0)


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