【立正観抄(りっしょうかんしょう】
■出筆時期:文永十二年二月(西暦1275年)、五十四歳 御作。弟子最蓮房に宛てられた。
■出筆場所:身延山中 草庵。
■出筆の経緯:大聖人が佐渡ヶ島流罪中の文永九年一月十六日、他宗の僧らとの法論(塚原問答)を聞いて弟子になった天台の学匠・最蓮房から、当時の比叡山・天台宗が「天台の摩訶止観の修行は法華経に勝っているゆえに法華経を捨ててよい」という教義を打ち出した事に対し、「この教義ははたして正しいか否か、御教示願う」という手紙が身延の大聖人のもとに届き、これに答えられるために本抄を認められた。
大聖人は、「止観一部は法華経に依つて建立・・・・<中略>・・・一心三観の修行は妙法の不可得なるを感得せんが為なり、故に知んぬ法華経を捨てて但だ観を正とするの輩は大謗法・大邪見・天魔の所為なる」と断じている。
■ご真筆:現存しない。古写本:日進筆 身延山所蔵、日朝筆 日蓮正宗・富久成寺所蔵

[日朝(日目上人の弟子)筆古写本(日蓮正宗富久成寺所蔵)]
[立正観抄 本文] その一
法華止観同異決 日蓮 撰
当世天台の教法を習学するの輩(ともがら)、多く観心修行を貴んで法華本迹二門を捨つと見えたり。
今問う、抑(そもそも)観心修行と言うは天台大師の摩訶止観の説己心中所行法門の一心三観・一念三千の観に依るか。将又・世流布の達磨の禅観に依るか。若し達磨の禅観に依るといわば教禅は未顕真実・妄語方便の禅観なり。法華経・妙禅の時には正直捨方便と捨てらるる禅なり。祖師・達磨禅は教外別伝(きょうげべつでん)の天魔禅なり。共に是れ無得道・妄語の禅なり。仍って之を用ゆ可からず。
若し天台の止観・一心三観に依るとならば止観一部の廃立・天台の本意に背く可からざるなり。若し止観修行の観心に依るとならば法華経に背く可からず。
止観一部は法華経に依つて建立す。一心三観の修行は妙法の不可得なるを感得せんが為なり。故に知んぬ、法華経を捨てて但だ観を正とするの輩は、大謗法・大邪見・天魔の所為なることを。其の故は天台の一心三観とは法華経に依つて三昧開発するを、己心証得の止観とは云う故なり。