日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 09月 14日

末法に法華経を信じる者は過去に十万億の仏を供養せる故であることを説いた書【法華証明抄】

【法華証明抄(ほっけしょうめいしょう】
■出筆時期:弘安五年(西暦1282年)二月二十八日、六十一歳。
■出筆場所:身延山 草庵。
■出筆の経緯:本書は伯耆房(日興上人)を通して富士上野郷の地頭で強信徒の南条時光に宛てられた御書です。南条時光は大聖人に帰依した鎌倉幕府の役人(番役)で、後に富士上野郷の地頭となる南条兵衛七郎の次男として誕生する。幼くして父を失うが母とともに大聖人への信仰を貫き、後に上野郷の地頭職を引き継ぐ。富士熱原の法難の時は、日興上人を支え法華宗の頭領として幕府に睨まれながらも、大聖人門下の僧・信徒を庇護された。それらの獅子奮迅の活動の影響もあり、時光は二十四歳の時重病に陥る。
そのことを聞きつけた大聖人は、「すでに仏になるべしと見へ候へば、天魔・外道が病をつけてをどさんと心み候か、命はかぎりある事なり・すこしも・をどろく事なかれ」と、天魔に負けず法華経の信仰を貫くよう激励されている。大聖人による直々の励ましもあり時光は大病を克服、74歳で天寿を全うしている。大聖人はこの時光の深い信仰心に対し、「上野賢人殿」の称号を贈っている。

大聖人滅後、日興上人は波木井実長との信仰上の相違で身延山を離山するが、日興上人を師兄と慕う時光は日興上人を自領内に迎え入れ、正応3年(1290年)一帯の土地を寄進。富士・大石寺の開基檀那となる。さらに正中元年(1323年)には、亡くなった妻・妙蓮の一周忌供養のため、下条堀之内の自邸を改め妙蓮寺(現・日蓮正宗 妙蓮寺)を建立した。また、日興上人の後を継いだ三祖・日目上人は南条時光の甥にあたる。

尚、本御書で特筆すべきは、大聖人は本文の前に「法華経の行者 日蓮 花押」と認められていることだ。このように本文の前に○○日蓮と記す御書は、現在伝えられている四百数十編以上に及ぶ御書の中で、例えば『観心本尊抄(本朝沙門 日蓮 選)』、『選時抄(釈子 日蓮 述ぶ)』、「法華取要抄(扶桑沙門 日蓮これを述ぶ)』等、極めて限られた重要法門を説いた御書しか存在していない。この点だけ見ても、如何に大聖人が南条時光を大事に思われ、大病回復を強く願われていたかが偲ばれる。

■ご真筆: 西山本門寺など三寺に分在。時代写本:日興上人筆(富士大石寺所蔵)

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[ご真筆 冒頭部※花押が余白に認められている。]

[法華証明抄(別名:死活抄) 本文]

                                   法華経の行者 日蓮 花押

 末代悪世に法華経を経のごとく信じまいらせ候者をば、法華経の御鏡にはいかんがうかべさせ給うと拝見つかまつり候へば、過去に十万億の仏を供養せる人なりとたしかに釈迦仏の金口の御口より出でさせ給いて候を、一仏なれば末代の凡夫はうたがいやせんずらんとて、此より東方に、はるかの国をすぎさせ給いておはします宝浄世界の多宝仏、わざわざと行幸ならせ給いて釈迦仏にをり向いまいらせて、妙法華経皆是真実と証明せさせ給い候いき。此の上はなにの不審か残るべき。なれどもなをなを末代の凡夫はをぼつかなしとをぼしめしや有りけん。十方の諸仏を召しあつめさせ給いて、広長舌相と申して無量劫よりこのかた永くそらごとなきひろくながく大なる御舌を、須弥山のごとく虚空に立てならべ給いし事は、をびただしかりし事なり。かう候へば、末代の凡夫の身として法華経の一字・二字を信じまいらせ候へば、十方の仏の御舌を持つ物ぞかし。いかなる過去の宿習にて・かかる身とは生るらむと悦びまいらせ候上、経文は過去に十万億の仏にあいまいらせて供養をなしまいらせて候いける者が、法華経計りをば用いまいらせず候いけれども、仏くやう(供養)の功徳莫大なりければ、謗法の罪に依りて貧賤の身とは生れて候へども、又此の経を信ずる人となれりと見へて候。此れをば天台の御釈に云く「人の地に倒れて還つて地より起つが如し」等云云。地にたうれたる人はかへりて地よりをく。法華経謗法の人は三悪並びに人天の地にはたうれ候へども、かへりて法華経の御手にかかりて仏になるとこと(断)わられて候。

しかるにこの上野の七郎次郎は末代の凡夫、武士の家に生れて悪人とは申すべけれども心は善人なり。其の故は日蓮が法門をば上一人より下万民まで信じ給はざる上、たまたま信ずる人あれば或は所領或は田畠等にわづらひをなし、結句は命に及ぶ人人もあり。信じがたき上、ちち・故上野は信じまいらせ候いぬ。又此の者敵子となりて、人もすすめぬに心中より信じまいらせて、上下万人にあるいはいさめ或はをどし候いつるに、ついに捨つる心なくて候へばすでに仏になるべしと見へ候へば、天魔・外道が病をつけてをどさんと心み候か。命はかぎりある事なり。すこしもをどろく事なかれ。又鬼神めらめ此の人をなやますは、剣をさかさまにのむか、又大火をいだくか、三世十方の仏の大怨敵となるか、あなかしこ・あなかしこ、此の人のやまいを忽になをして・かへりてまほりとなりて鬼道の大苦をぬくべきか。其の義なくして現在には頭破七分の科に行われ、後生には大無間地獄に堕つべきか。永くとどめよとどめよ。日蓮が言をいやしみて後悔あるべし、後悔あるべし。

二月廿八日
伯耆房に下す。

[法華証明抄(別名:死活抄) 本文] 完。

by johsei1129 | 2014-09-14 00:15 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)
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