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日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 09月 09日

法華経の行者を供養する功徳は釈迦仏を無量の宝を尽して供養せる功徳に勝れたりとあかした【新池御書】二

[新池御書 本文]その二

 噫(ああ)、過ぎし方の程なきを以て知んぬ、我等が命今幾程もなき事を。春の朝に花をながめし時、ともなひ遊びし人は、花と共に無常の嵐に散りはてて、名のみ残りて其の人はなし。花は散りぬといへども又こん春も発(ひら)くべし。されども消えにし人は亦いかならん世にか来るべき。秋の暮に月を詠めし時、戯(たわむ)れむつびし人も、月と共に有為(うい)の雲に入りて後、面影ばかり身にそひて物いふことなし。月は西山に入るといへども、亦こん秋も詠むべし。然れどもかくれし人は今いづくにか住みぬらん、おぼつかなし。無常の虎のなく音は耳にちかづくといへども聞いて驚くことなし。屠所(としょ)の羊の今幾日か無常の道を歩まん。雪山の寒苦鳥は寒苦にせめられて、夜明なば栖つくらんと鳴くといへども、日出でぬれば朝日のあたたかなるに眠り忘れて又栖をつくらずして一生虚く鳴くことをう。一切衆生も亦復是くの如し。地獄に堕ちて炎にむせぶ時は、願くは今度人間に生れて諸事を閣(さしお)ひて三宝を供養し、後世菩提をたすからんと願へども、たまたま人間に来る時は、名聞名利の風はげしく、仏道修行の灯は消えやすし。無益の事には財宝をつくすにおしからず。仏法僧にすこしの供養をなすには是をものうく思ふ事、これただごとにあらず。地獄の使のきをふものなり。寸善尺魔と申すは是なり。

 其の上此の国は謗法の土なれば、守護の善神は法味にうへて社(やしろ)をすて天に上り給へば、悪鬼入りかはりて多くの人を導く。仏陀は化をやめて寂光土へ帰り給へば、堂塔・寺社は徒に魔縁の栖と成りぬ。国の費え民の歎きにて、いらかを並べたる計りなり。是れ私の言にあらず経文にこれあり、習ふべし。 諸仏も諸神も謗法の供養をば全く請け取り給はず、況や人間としてこれをうくべきや。春日大明神の御託宣に云く、飯に銅の炎をば食すとも、心穢(けが)れたる人の物をうけじ。座に銅の焔(ほのお)には坐すとも、心汚れたる人の家にはいたらじ。草の廊(ろう)、萱(かや)の軒にはいたるべしと云へり。縦令(たとい)千日のしめを引くとも、不信の所には至らじ。重服深厚の家なりとも有信の所には至るべし云云。是くの如く善神は此の謗法の国をばなげきて天に上らせ給いて候。心けがれたると申すは法華経を持たざる人の事なり。此の経の五の巻に見えたり。謗法の供養をば銅焔とこそおほせられたれ。神だにも是くの如し。況や我等凡夫としてほむらをば食すべしや。人の子として我が親を殺したらんものの、我に物をえさせんに是を取るべきや。いかなる智者聖人も無間地獄を遁るべからず。又それにも近づくべからず与同罪恐るべし恐るべし。

[新池御書 本文]その三に続く




by johsei1129 | 2014-09-09 23:06 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
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