一、偽書を造つて御書と号し、本迹一致の修行を致す者は師子身中の虫と心得可き事。
※注:一例として五老僧の一人日朗は、大聖人遷化の日に先師日蓮から自身に付属があったとする「日朗御譲状」なる右記の内容の書を偽造している。「譲与 南無妙法蓮華経・・・中略・・・一期之功徳無残所悉所付属日朗也。・・・略・・・ 弘安五年十月三日 日蓮 花押」
一、謗法を呵責(かしゃく)せずして遊戲雑談(ゆげぞうだん)の化儀、並びに外書・歌道を好む可からざる事。
※注:大聖人は
松野殿御返事 で「受けがたき人身を得て適(たまた)ま出家せる者も、仏法を学し謗法の者を責めずして徒らに遊戯雑談のみして明し暮さん者は、法師の皮を著(き)たる畜生なり。法師の名を借りて世を渡り、身を養うといへども、法師となる義は一もなし。法師と云う名字をぬすめる盗人なり」と、似非法師の存在を厳しく断じている。日興上人もこの先師の意向をそのまま受け継いでいる。
一、檀那の社参・物詣(ものもうで)を禁ず可し。何に況んや其の器にして一見と称して謗法を致せる悪鬼乱入の寺社に詣(もう)ず可けんや。返す返すも口惜(くちお)しき次第なり。是れ全く己義に非ず、経文御抄等に任す云云。 ※注:(経文御抄等に任す):大聖人は
新池御書 にて「此の国は謗法の土なれば守護の善神は法味にうへて社(やしろ)をすて天に上(のぼ)り給へば、社には悪鬼入りかはりて多くの人を導く。仏陀・化をやめて寂光土へ帰り給へば堂塔・寺社は徒らに魔縁の栖と成りぬ。国の費(ついえ)・民の歎きにて・いらか(甍)を並べたる計りなり。是れ私の言にあらず、経文にこれあり習ふべし」と記している。
一、器用の弟子に於ては師匠の諸事を許し閣(さしお)き、御抄以下の諸聖教(しょしょうぎょう)を教学す可き事。 ※注:大聖人は報恩抄にて「仏法を習い極めんとおもはば、いとまあらずば叶うべからず。いとまあらんとをもはば父母・師匠・国主等に随いては叶うべからず。是非につけて出離の道をわきまえへ・ざらんほどは、父母師匠等の心に随うべからず」云々と、仏法を学ぶ弟子のあるべき姿を示している。
報恩抄 参照
[日興遺誡置文 本文]その三に続く