[百六箇抄 本文]その六
【種の本迹勝劣 五十五箇条】
一、事の一念三千・一心三観の本迹 釈迦三世の諸仏・声聞・縁覚・人・天の唱る方は迹なり、南無妙法蓮華経は本なり。 二、久遠元初直行(くおんがんじょ・じきぎょう)の本迹 名字本因妙は本種なれば本門なり。本果妙は余行に渡る故に本の上の迹なり。
久遠の釈尊の口唱を今日蓮・直(ただち)に唱うるなり。
三、久遠実成直体(じきたい)の本迹 久遠名字の正法は本種子なり。名字童形(どうぎょう)の位の釈迦は迹なり。我本行菩薩道是なり。日蓮が修行は久遠を移せり。久遠本果成道は本の迹なり。名字の妙法を持つ処は直躰の本門なり。直に唱え奉る我等は迹なり。
四、久遠自受用報身の本迹 男は本・女は迹、知り難き勝劣なり。能く能く伝流口決(でんる・くけつ)す可き者なり。
五、久遠の本因を事円と為すの本迹 上行所伝の妙法は名字本有(みょうじ・ほんぬ)の妙法蓮華経なれば事理倶勝の本なり。日蓮並びに弟子檀那等は迹なり。
六、色法即身成仏の本迹 親の義なり父の義なり。涌出品より已後我等は色法の成仏なり。不渡余行(ふとよぎょう)の妙法は本、我等は迹なり。
七、色法妙法蓮華経の本迹 男子と成つて名字の大法を聞き、己己・物物・事事、本迹を顕はす者なり。
又今日の二十八品、品品の内の勝劣は通号は本なり・勝なり。別号は迹なり・劣なり云云。
妙楽の疏記の九に云く「故に知んぬ、迹の実は本に於て猶虚(なお・こ)なり」と。籤(せん)の十に云く「今日は初成を以て元始と為し爾前、迹門は大通を以て元始と為し迹門、本門は本因を以て元始と為す本門」と。此の釈は元始の本迹、遠近(おんごん)の勝劣を判ずるなり。
本果妙は然我実成仏已来、猶迹門なり。迹の本は本に非ざるなり。本因妙は我本行菩薩道、真実の本門なり。
本の迹は迹に非ず云云。我が内証の寿量品は迹化も知らず云云。重位秘蔵の義なり。本迹と分別する上は、勝劣は治定なれども、末代には知り難き故に云云。
八、久遠従果向因の本迹 本果妙は釈迦仏、本因妙は上行菩薩。久遠の妙法は果、今日の寿量品は花なるが故に従果向因の本迹と云うなり。
九、本因の妙法蓮華経の本迹 全く余行に分かたざりし妙法は本、唱うる日蓮は迹なり。手本には不軽菩薩の二十四字是なり。又其の行儀も是なり云云。
十、不渡余行法華経の本迹 義理上に同じ。直達の法華は本門、唱うる釈迦は迹なり。今日蓮が修行は久遠名字の振舞に芥爾計(けに・ばかり)も違わざるなり。
[百六箇抄 本文]その七に続く