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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 11月 23日

末法の本仏の立場で法門の勝劣を本迹に立て分けて講説した相伝書【百六箇抄】四

[百六箇抄 本文]その四

三十一、脱迹の父子の本迹
 応仏は本、迹仏は迹なり。「子、父の法を弘むるに世界の益あり」云云。

三十二、 脱迹の師弟の本迹
 義理共に上の如し。「是れ我が弟子、応に我が法を弘む可し」云云。

三十三、 脱益の感応の本迹
 久遠の天月の影を中間・今日の脱益の水に移すなり。「衆生久遠に仏の善巧(ぜんぎょう)を蒙る」とは是なり。

三十四、脱益の寂照(じゃくしょう)の本迹
 理の上の寂照は妙覚乃至観行等の解了なり。理即の凡夫は無躰有用(むたい・うゆう)の本迹なり。

三十五、脱益の随縁・不変の本迹
  在世と像法と之同じ。真如の義理なり。随縁も不変も共に理の一段の本迹なり。

三十六、 脱益の九法妙の本迹
 三法妙に各三法妙を具すれば九法妙なり。法中の心法妙より起る所の生仏二妙なり。本迹は知るべし。

三十七、脱益の八相・八苦習合の本迹
 八相は本、八苦は迹。同躰の権実是なり。

三十八、脱益の潅頂(かんちょう)等の本迹
 潅頂とは至極なり。後世の仏菩薩の潅頂は法華経なり。
迹門の潅頂は方便読誦・欲令衆生・開仏知見なり。本門の潅頂は寿量品読誦・然我実成仏已来なり。

三十九、 脱益の説所と戒壇の本迹
 
  事戒    理戒 
 霊山は本・天台山は迹。久遠と末法とは事行の戒 事戒・理戒。今日と像法とは理の戒躰なり。

四十、脱益の三世三仏の利益の本迹
 世世番番の教主は本、所化の衆生は迹なり。世世已来、常に我が化を受け、番番に出世し、師と倶に生ず。

四十一、脱益の証明(しょうみょう)多宝仏塔の本迹
 妙法蓮華経・皆是真実は本。多宝仏は迹なり。迹門八品乃至本門之を指すなり云云。

四十二、脱益の序・正・流通現文の本迹
 経文釈義の如く、理の上の正宗・流通・序文なれども本は勝れ・迹は劣るなり。然るに迹は本無今有なれば・久遠の迹を脱として今日の本を説くなり云云。

四十三、脱益の摂受・折伏の本迹
 天台は摂受を本とし、折伏を迹とす。其の故は、像法は在世の熟益冥利(じゅくやく・みょうり)の故なり。福智具足の故にと云えり。

四十四、脱益の二妙の本迹
 相待妙は迹、絶待妙は本なり。「妙法の外に更に一句の余経も無し」云云。「独一法界の故に絶待と名づく」の釈・之を思う可し。

四十五、脱益の十妙の本迹
 本果妙は本、九妙は迹なり。在世と天台となり。機の上の理なり。仏は本因妙を本とし、所化は本果妙を本と思えり。

四十六、脱益の六重所説の本迹
 已今を本と為し、余は迹なり。「本迹殊なりと雖も不思議一」云云。理具の本迹なれば一部倶に迹の上の本迹なり。

四十七、脱益の六即所判の本迹
 妙覚は本、余は迹なり。玄の九に云く「初めの十住を因と為し、十行を果と為す。十行を因と為し、十廻向を果と為す。十廻向を因と為し、十地を果と為す。十地を因と為し、等覚を果と為す。等覚を因と為し、妙覚を果と為す」云云。

四十八、脱益の十不二門の本迹
 理の上の不変の不二にして、事行の不二門には非るなり。

四十九、脱益の十界互具の本迹
 理具の十界互具にして事行の互具には非ざるなり。九界の理を仏界の理に押し入るる方ならでは脱せざるなり。

五十、脱益の十二因縁・四諦の本迹
 経に云く「無明乃至老死」云云。苦・集・滅は迹なり。道諦は本なり。

[百六箇抄 本文]その五に続く




by johsei1129 | 2019-11-23 19:03 | 血脈・相伝・講義 | Trackback | Comments(0)


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