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日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 08月 04日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】十六

[御義口伝 下 本文]その十六

【無量義経六箇の大事】

第一 無量義経徳行品第一の事
御義口伝に云く無量義の三字を本迹観心に配する事、初の無の字は迹門なり其の故は理円を面とし不変真如の旨を談ず、迹門は無常の摂属なり常住を談ぜず但し「是法住法位世間相常住」と明かせども是れは理常住にして事常住に非ず理常住の相を談ずるなり、空は無の義なり但し此の無は断無の無に非ず相即の上の空なる処を無と云い空と云うなり、円の上にて是を沙汰するなり、本門の事常住無作の三身に対して迹門を無常と云うなり、守護章には有為の報仏は夢中の権果・無作の三身は覚前の実仏と云云、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は無作の三身覚前の実仏なり云云。

第二 量の字の事
御義口伝に云く量の字を本門に配当する事は量とは権摂の義なり、本門の心は無作三身を談ず此の無作三身とは仏の上ばかりにて之を云わず、森羅万法を自受用身の自体顕照と談ずる故に迹門にして不変真如の理円を明かす処を改めずして己が当体無作三身と沙汰するが本門事円三千の意なり、是れ即ち桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見すれば是れ即ち量の義なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は無作三身の本主なり云云。

第三 義の字の事
御義口伝に云く義とは観心なり、其の故は文は教相義は観心なり所説の文字を心地に沙汰するを義と云うなり、就中無量義は一法より無量の義を出生すと談ず、能生は義・所生は無量なり是は無量義経の能生・所生なり、法華経と無量義経とを相対する能所に非ざるなり無相不相名為実相の理より万法を開出すと云う、源が実相なる故に観心と云うなり、此くの如く無量義の三字を迹門・本門・観心に配当する事は法華の妙法等の題と今の無量義の題と一体不二の序正なりと相承の心を相伝せむが為なり。

第四 処の一字の事
御義口伝に云く処の一字は法華経なり、三蔵教と通教とは無の字に摂し別教は量の字に摂し円教は義の字に摂するなり、此の爾前の四教を所生と定めさて序分の此の経を能生と定めたり、能生を且く処と云い所生を無量義と定めたり、仍つて権教に相対して無量義処を沙汰するなり云云。

第五 無量義処の事
御義口伝に云く、法華経八巻は処なり、無量義経は無量義なり。
無量義は三諦・三観・三身・三乗・三業なり。
法華経に於一仏乗・分別説三と説いて法華の為の序おな分と成るなり。
爰を以て隔別の三諦は無得道・円融の三諦は得道と定むる故に、四十余年未顕真実と破し給えり云云。

第六 無量義経の事
御義口伝に云く無量義処とは一念三千なり、十界各各無量に義処たり、此の当体其の侭実相の一理より外は之
れ無きを諸法実相と説かれたり、其の為の序なる故に一念三千の序として無量義処と云うなり、処は一念無量
義は三千なり、我等衆生朝夕吐く所の言語も依正二法共に無量に義処りたり、此れを妙法蓮華経とは云うなり
然る間法華の為の序分開経なり云云。


[御義口伝 下 本文]その十七に続く




by johsei1129 | 2014-08-04 19:24 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
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