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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 11月 05日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】八

[御義口伝 下 本文]その八

【常不軽品三十箇の大事】

 第十一 於四衆中説法 心無所畏の事
御義口伝に云く四衆とは日本国の中の一切衆生なり説法とは南無妙法蓮華経なり、心無所畏とは今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と呼ばわる所の折伏なり云云。

第十二 常不軽菩薩豈異人乎 則我身是の事
御義口伝に云く過去の不軽菩薩は今日の釈尊なり、釈尊は寿量品の教主なり寿量品の教主とは我等法華経の行者なり、さては我等が事なり今日蓮等の類(たぐい)は不軽なり云云。

第十三 常不値仏 不聞法 不見僧の事
御義口伝に云く此の文は不軽菩薩を軽賤(きょうせん)するが故に三宝を拝見せざる事二百億劫地獄に堕ちて大苦悩を受くと云えり、今末法に入つて日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者を軽賤せん事は彼に過ぎたり、彼は千劫此れは至無数劫なり末法の仏とは凡夫なり凡夫僧なり、法とは題目なり僧とは我等行者なり、仏とも云われ又凡夫僧とも云わるるなり、深覚円理名之為仏の故なり円理とは法華経なり云云。

第十四 畢是罪已 復遇常不軽菩薩の事
御義口伝に云く若し法華誹謗の失(とが)を改めて信伏随従する共浅く有りては無間に堕つ可きなり、先謗強きが故に依るなり千劫無間地獄に堕ちて後に出づる期有つて又日蓮に値(あ)う可きなり復遇(ぶぐう)日蓮なるべし。

第十五 於如来滅後等の事
御義口伝に云く不軽菩薩の修行は此(かく)の如くなり仏の滅後に五種に妙法蓮華経を修行すべしと見えたり、正しく是故(ぜこ)より下廿五字は末法日蓮等の類いの事なるべし、既に是の故にとおさえて於如来滅後と説かれたり流通の品なる故なり、惣じては流通とは未来当今の為なり、法華経一部は一往は在世の為なり再往は末法当今の為なり、其の故は妙法蓮華経の五字は三世の諸仏共に許して未来滅後の者の為なり、品品の法門は題目の用なり体の妙法・末法の用たらば何ぞ用の品品別ならむや、此の法門秘す可し秘す可し、天台の「綱維(こうい)を提(ひっさ)ぐるに目として動かざること無きが如し」等と釈する此の意なり、妙楽大師は「略して経題を挙ぐるに玄に一部を収む」と、此等を心得ざる者は末法の弘通に足らざる者なり。

第十六 此品の時の不軽菩薩の体の事
御義口伝に云く不軽菩薩とは十界の衆生なり、三世常住の礼拝の行を立つるなり吐く所の語言は妙法の音声なり、獄卒が杖を取つて罪人を呵責(かしゃく)するが体の礼拝なり敢て軽慢(きょうまん)せざるなり、罪人我を責め成すと思えば不軽菩薩を呵責するなり折伏の行是なり。

第十七 不軽菩薩の礼拝住処の事 十四箇所の礼拝住処の事之有り

御義口伝に云く礼拝の住処とは多宝塔中の礼拝なり、其の故は塔婆とは五大の所成なり五大とは地水火風空なり此れを多宝の塔とも云うなり、法界広しと雖も此の五大には過ぎざるなり故に塔中の礼拝と相伝するなり秘す可し秘す可し云云。

第十八 開示悟入礼拝住処の事
御義口伝に云く開示悟入の四仏知見を住処とするなり、然る間方便品の此の文を礼拝の住処と云うなり此れは内に不軽の解を懐くと釈せり、解とは正因仏性を具足すと釈するなり開仏知見とは此の仏性を開かしめんとて仏は出現し給うなり

第十九 毎自作是念の文礼拝住処の事
御義口伝に云く毎の字は三世なり念とは一切衆生の仏性を念じ給いしなり、仍(よ)つて速成就仏身と皆当作仏(かいとうさぶつ)とは同じき事なり仍つて此の一文を相伝せり、天台大師は「開三顕一○開近顕遠」と釈せり秘す可し秘す可し云云。

第二十 我本行菩薩道の文礼拝住処の事
御義口伝に云く我とは本因妙の時を指すなり、本行菩薩道の文は不軽菩薩なり此れを礼拝の住処と指すなり。

[御義口伝 下 本文]その九に続く


by johsei1129 | 2019-11-05 06:42 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
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