[御義口伝 下 本文]その六
【
法師功徳品四箇の大事】
第一 法師功徳の事
御義口伝に云く、法師とは五種法師なり。功徳とは六根清浄の果報なり。
所詮・今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は六根清浄なり。されば妙法蓮華経の法の師と成つて大なる徳(さいわい)有るなり。功は幸(さいわい)と云う事なり。
又は悪を滅するを功(く)と云い、善を生ずるを徳(とく)と云うなり。功徳とは即身成仏なり又六根清浄なり。法華経の説文の如く修行するを六根清浄と得意可きなり云云。
第二 六根清浄の事
御義口伝に云く、眼(まなこ)の功徳とは法華不信の者は無間に堕在し、信ずる者は成仏なりと見るを以て眼の功徳とするなり。法華経を持ち奉る処に眼の八百の功徳を得るなり。眼とは法華経なり。此の大乗経典は諸仏の眼目と云へり。
今・日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉る者は眼の功徳を得るなり云云。耳・鼻・舌・身・意、又又此くの如きなり云云。
第三 又如浄明鏡(うにょ・じょうみょうきょう)の事
御義口伝に云く、法華経に鏡の譬(たとえ)を説く事・此の明文なり。六根清浄の人は瑠璃明鏡(るり・みょうきょう)の如く三千世界を見ると云う経文なり。
今・日蓮等の類(たぐ)い・南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、明鏡に万像を浮ぶるが如く知見するなり。此の明鏡とは法華経なり。別しては宝塔品なり。又は我が一心の明鏡なり。
所詮(しょせん)瑠璃と明鏡との二つの譬へを説かれたり、身根清浄の下なり。色心不二なれば何れも清浄の徳分なり。浄とは不浄に対して浄と云うなり。明とは無明に対して明と説くなり。鏡とは一心なり。浄は仮諦、明は空諦、鏡は中道なり。悉見諸色像(しっけんしょしきぞう)の悉(ことごとく)は十界なり。
所詮・浄明鏡とは色心の二法、妙法蓮華経の体なり。浄明鏡とは信心なり云云。又三千大千世界を知見するとは三世間の事なり。
第四 是人持此経 安住希有地(けうじ)の事
御義口伝に云く、是人とは日本国の一切衆生の中には法華の行者なり。希有地とは寿量品の事理の顕本を指すなり。是を又分別品には「仏説希有法」と説かれたり。別しては南無妙法蓮華経なり。
今日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉る者の希有の地とは、末法弘通の明鏡たる本尊なり。惣じては此の品の六根清浄の功徳は十信相似即なり。対告衆の常精進菩薩は十信の第三信と云えり。然りと雖も
末法に於ては、法華経の行者を指して常精進菩薩と心得可きなり。此の経の持者は是則精進の故なり。