[御義口伝 下 本文]その五
第一 其有衆生 聞仏寿命 長遠如是 乃至能生 一念信解 所得功徳 無有限量の事
御義口伝に云く、一念信解の信の一字は一切智慧を受得(じゅとく)する所の因種なり。
信の一字は名字即の位なり。仍つて信の一字は最後品の無明を切る利剣なり。
信の一字は寿量品の理顕本を信ずるなり、解とは事顕本を解するなり。此の事理の顕本を一念に信解するなり。一念とは無作本有の一念なり。此くの如く信解する人の功徳は限量有る事・有る可からざるなり。
信の処に解あり、解の処に信あり。然りと雖も信を以て成仏を決定(けつじょう)するなり。今日蓮等の類(たぐ)い・南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり云云。
第二 是則能信受 如是諸人等 頂受此経典の事
御義口伝に云く、法華経を頭に頂くと云う明文なり。如是諸人等の文は広く一切衆生に亘(わた)るなり。然らば三世十方の諸仏は妙法蓮華経を頂き受けて成仏し給う。仍つて上の寿量品の題目を妙法蓮華経と題して次に如来と題したり。秘す可し云云。今日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉るは此の故なり云云。
第三 仏子住此地(ぶっし・じゅう・しじ) 則是仏受用の事
御義口伝に云く、此の文を自受用の明文と云えり。
此地とは無作の三身の依地なり。仏子とは法華の行者なり。仏子は菩薩なり。法華の行者は菩薩なり。住とは信解の義なり。
今日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉る者は妙法の地に住するなり。
仏の受用の身なり。深く之を案ず可し云云。 【
随喜品二箇の大事】
第一 妙法蓮華経 随喜(ずいき)功徳の事
御義口伝に云く、随とは事理に随順するを云うなり。喜とは自他共に喜ぶ事なり。事とは五百塵点の事顕本に随順するなり。理とは理顕本に随うなり。
所詮寿量品の内証に随順するを随とは云うなり。然るに自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり。
所詮・今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時、必ず無作三身の仏に成るを喜とは云うなり。然る間・随とは法に約し、喜とは人に約するなり。人とは五百塵点の古仏たる釈尊。法とは寿量品の南無妙法蓮華経なり。是に随い・喜ぶを随喜とは云うなり。惣じて随とは信の異名なり云云。唯信心の事を随と云うなり。されば二巻には「此の経に随順す。己が智分に非ず」と説かれたり云云。
第二 口気無臭穢(くけ・むしゅうえ) 優鉢華之香(うばっけしこう) 常從其口出(じょうじゅう・ごくしゅつ)の事
御義口伝に云く、口気とは題目なり、無臭穢(むしゅうえ)とは弥陀等の権教・方便・無得道の教を交(まじ)えざるなり。優鉢華之香とは法華経なり。末法の今は題目なり。方便品に如優曇鉢華(にょ・うどんばっけ)の事を一念三千と云えり。之を案ず可し。
常とは三世常住なり。其口とは法華の行者の口なり。出とは南無妙法蓮華経なり。今日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉るは常従其口出なり云云。
[御義口伝 下 本文]その六に続く