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日蓮大聖人『御書』解説

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2022年 04月 08日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 上】十四

[御義口伝 上 本文]その十四

安楽行品五箇の大事】
第一 安楽行品の事

 御義口伝に云く、妙法蓮華経を安楽に行ぜむ事、末法に於て今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに、難来たるを以て安楽と意得可きなり。

第二 一切法空の事

 御義口伝に云く此下に於て十八空之有り。十八空の体とは南無妙法蓮華経是なり。十八空は何れも妙法の事なり。

第三 有所難問 不以小乗法答 但以大乗 而為解説 令得一切種智の事

  御義口伝に云く、対治の時は権教を以て会通(えつう)す可からず。
 一切種智とは南無妙法蓮華経なり。一切は万物なり。種智は万物の種なり。妙法蓮華経是なり。
 又云く、一切種智とは我等が一心なり。一心とは万法の惣体なり。之を思う可し。

第四 無有怖畏(むうふい) 加刀杖等(かとうじょうとう)の事

 御義口伝に云く、迹化の菩薩に刀杖の難之れ有る可からずと云う経文なり。勧持品は末法法華の行者に及加刀杖者・数数見擯出(さくさくけんひんずい)と。此の品には之無し。彼は末法の折伏の修行、此の品は像法摂受の修行なるが故なり云云。

第五 有人来欲難問者 諸天昼夜 常為法故 而衛護之の事

 御義口伝に云く、末法に於て法華を行ずる者をば諸天守護之(これ)有る可し。常為法故の法とは南無妙法蓮華経是なり。


涌出品一箇の大事】
 第一 唱導之師の事

 御義口伝に云く、涌出の一品は悉く本化(ほんげ)の菩薩の事なり。本化の菩薩の所作としては南無妙法蓮華経なり。此れを唱と云うなり。導とは日本国の一切衆生を霊山浄土へ引導する事なり。末法の導師とは本化に限ると云うを師と云うなり。
 此の四大菩薩の事を釈する時、疏(じょ)の九を受けて輔正記の九に云く「経に四導師有りとは今四徳を表す。上行は我を表し、無辺行は常を表し、浄行は浄を表し、安立行は楽を表す。有る時には一人に此の四義を具す。二死の表に出づるを上行と名け、断常の際を踰(こ)ゆるを無辺行と称し、五住の垢累(くるい)を超ゆる故に浄行と名け、道樹にして徳円(まど)かなり・故に安立行と曰うなり」と。
 今日蓮等の類(たぐい)・南無妙法蓮華経と唱え奉る者は皆地涌の流類(るるい)なり。
 又云く、火は物を焼くを以て行とし、水は物を浄(きよ)むるを以て行とし、風は塵垢(じんく)を払うを以て行とし、大地は草木を長ずるを以て行とするなり。四菩薩の利益(りやく)是なり。四菩薩の行は不同なりと雖も倶に妙法蓮華経の修行なり。
 此の四菩薩は下方に住する故に釈に「法性之淵底・玄宗之極地」と云えり。下方を以て住処とす。下方とは真理なり。輔正記に云く「下方とは生公(しょうこう)の云く、住して理に在るなり」と云云。此の理(り)の住処より顕はれ出づるを事と云うなり。
 又云く千草万木・地涌の菩薩に非ずと云う事なし。されば地涌の菩薩を本化と云えり。本とは過去久遠五百塵点よりの利益として無始無終の利益なり。
 此の菩薩は本法所持の人なり。本法とは南無妙法蓮華経なり。此の題目は必ず地涌の所持の物にして迹化の菩薩の所持に非ず。
 此の本法の体より用(ゆう)を出だして止観と弘め、一念三千と云う。惣じて大師人師の所釈も此の妙法の用を弘め給うなり。
 此の本法を受持するは信の一字なり。元品の無明を対治する利剣は信の一字なり。無疑曰信(むぎわっしん)の釈、之を思ふ可し云云。

 就註法華経御義口伝巻上        日蓮 在御判

 弘安元年戊寅正月一日            執筆 日興




by johsei1129 | 2022-04-08 20:21 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)


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