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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 11月 04日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 上】十二

[御義口伝 上 本文]その十二

提婆達多品八箇の大事】
  第一 提婆達多の事  文句の八に云く「本地は清凉(しょうりょう)にして迹(しゃく)に天熱を示す」と。

  御義口伝に云く、提婆とは本地は文殊なり。本地清凉と云うなり、迹には提婆と云うなり、天熱を示す是なり。
 清凉は水なり、此れは生死即涅槃なり。天熱は火なり、是は煩悩即菩提なり。今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るに、煩悩即菩提・生死即涅槃なり。
 提婆は妙法蓮華経の別名なり、過去の時に阿私仙人なり。阿私仙人とは妙法の異名なり。阿とは無の義なり、私無きの法とは妙法なり。文句の八に云く「無私の法を以て衆生に灑(そそ)ぐ」と云えり。阿私仙人とは法界三千の別名なり、故に私無きなり。一念三千・之を思う可し云云。

 第二 若不違我当為宣説(にゃく・ふ・いが・とういせんぜつ)の事

 御義口伝に云く、妙法蓮華経を宣説する事を・汝は我に違わずして宣説すべしと云う事なり。若の字は汝(にょ)なり。天台の云く「法を受けて奉行す」と。
 今日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉る者は日蓮に違わずして宣説す可きなり。阿私仙人とは南無妙法蓮華経なり云云。

 第三 採菓汲水・拾薪設食(さいかぎゅうすい・じゅうしんせつじき)の事

 御義口伝に云く、採菓とは癡(ち)煩悩なり、汲水とは貪(とん)煩悩なり、拾薪(じゅうしん)とは瞋(じん)煩悩なり、設食とは慢煩悩なり。此の下に八種の給仕之れ有り。此の外に妙法蓮華経の伝受之れ無きなり。
 今日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉るは即ち千歳給仕なり。是れ即ち一念三千なり。貪瞋癡慢を対治するなり。

 第四 情存妙法故 身心無懈倦(む・けげん)の事

 御義口伝に云く、身心の二字・色心妙法と伝受するなり。日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉りて即身成仏す。身心無倦(むけん)とは一念三千なり云云。

 第五 我於海中 唯常宣説の事

 御義口伝に云く、我とは文殊なり、海とは生死の海なり、唯とは唯有一乗法なり、常とは常住此説法なり。
 妙法蓮華経とは法界の言語音声なり。今日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉る是なり。生死の海即真如の大海なり。我とは法界の智慧なり、文殊なり云云。

 第六 年始八歳の事

 御義口伝に云く、八歳とは八巻なり。提婆は地獄界なり、竜女は仏界なり、然る間十界互具・百界千如・一念三千なり。
 又云く八歳とは法華経八巻なり、我等八苦の煩悩なり。惣じて法華経の成仏は八歳なりと心得可し。八苦は即ち八巻なり。八苦八巻即ち八歳の竜女と顕はるるなり。
 一義に云く、八歳の事はたまをひらくと読むなり。歳(たま)とは竜女の一心なり、八(ひらく)とは三千なり、三千とは法華の八巻なり。仍つて八歳とは開仏知見の所表なり。智慧利根より能至菩提まで法華に帰入するなり。此の中に心念口演とは口業なり、志意和雅(しいわげ)とは意業なり、悉能受持深入禅定とは身業なり、三業即三徳なれば三諦法性なり。
 又云く心念とは一念なり、口演とは三千なり。悉能受持とは竜女法華経受持の文なり。歳とは如意宝珠なり・妙法なり。八とは色心を妙法と開くなり。

 第七 言論未訖(ごんろんみこつ)の事

 御義口伝に云く、此の文は無明即法性の明文なり。其の故は智積(ちしゃく)難問の言(ことば)未だ訖(おわ)らざるに、竜女・三行半の偈を以て答うるなり。
 難問の意は別教の意なり・無明なり。竜女の答へは円教の意なり法性なり。智積は元品の無明なり、竜女は法性の女人なり。仍(よっ)て無明に即する法性、法性に即する無明なり。
 今日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉るは言論未訖なり。時とは上の事の末、末の事の始めなり。時とは無明法性・同時の時なり、南無妙法蓮華経と唱え奉る時なり。
 智積菩薩を元品の無明と云う事は不信此女の不信の二字なり。不信とは疑惑なり、疑惑を根本無明と云うなり。竜女を法性と云う事は我闡(がせん)大乗教の文なり。
 竜女とは竜は父なり、女は八歳の娘なり。竜女の二字は父子同時の成仏なり。其の故は時竜王女の文是なり。既に竜王の女(むすめ)と云う間、竜王は父なり・女とは八歳の子なり。されば女の成仏は此の品にあり。父の竜の成仏は序品に之れ在り、有八竜王の文是なり。然りと雖も父子同時の成仏なり。序品は一経の序なる故なり。
 又聞成菩提(うもんじょうぼだい)とは竜女が智積を責めたる言なり。されば唯我が成仏をば仏御存知あるべしとて又聞成菩提・唯仏当証知と云えり。
 苦の衆生とは別して女人の事なり。此の三行半の偈は一念三千の法門なり。遍照於(へんしょうお)十方とは十界なり。
 殊には此の八歳の竜女の成仏は帝王持経の先祖たり。人王の始めは神武天皇なり。神武天皇は地神五代の第五の鵜萱葺不合尊(うがや・ふきあえずのみこと)の御子なり。此の葺不合尊は豊玉姫の子なり。此の豊玉姫は沙竭羅竜王(しゃからりゅうおう)の女(むすめ)なり・八歳の竜女の姉なり。然る間・先祖法華経の行者なり、甚深甚深云云。
 されば此の提婆の一品は一天の腰刀なり。無明煩悩の敵を切り、生死愛着(あいちゃく)の繩を切る秘法なり。漢高三尺(じゃく)の剣(けん)も一字の智剣に及ばざるなり。妙の一字の智剣を以て生死煩悩の繩を切るなり。
 提婆は火炎(かえん)を顕はし、竜女は大蛇を示し、文殊は智剣を顕すなり。仍つて不動明王の尊形と口伝せり。提婆は我等が煩悩即菩提を顕はすなり、竜女は生死即涅槃を顕はすなり。文殊をば此には妙徳と飜(ほん)ずるなり。煩悩生死・具足して当品の能化なり。

 第八 有一宝珠の事 文句の八に云く「一とは珠を献じて円解(えんげ)を得ることを表す」と。

 御義口伝に云く、一とは妙法蓮華経なり、宝とは妙法の用(ゆう)なり、珠とは妙法の体なり。妙の故に心法なり、法の故に色法なり。色法は珠なり、心法は宝なり、妙法とは色心不二なり。一念三千を所表して竜女・宝珠を奉るなり。
 釈に「円解を得るを表はす」と云うは一念三千なり。竜女が手に持てる時は性得の宝珠なり、仏・受け取り給う時は修得の宝珠なり、中に有るは修性不二なり。甚疾(じんしつ)とは頓極・頓速・頓証の法門なり、即為疾得・無上仏道なり。神力とは神は心法なり、力とは色法なり。観我成仏とは舎利弗・竜女が成仏と思うが僻事(ひがごと)なり、我が成仏ぞと観ぜよと責めたるなり。
 観に六則観之れ有り。爰元(ここもと)の観は名字即の観と心得可きなり。其の故は南無妙法蓮華経と聞ける処を「一念に道場に座して成仏虚しからざるなり」と云えり。変成男子(へんじょうなんし)とは竜女も本地・南無妙法蓮華経なり。其の意経文に分明なり。

[御義口伝 上 本文]その十三に続く






by johsei1129 | 2019-11-04 16:20 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)


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