人気ブログランキング | 話題のタグを見る

日蓮大聖人『御書』解説

nichirengs.exblog.jp
ブログトップ
2019年 11月 04日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 上】八

[御義口伝 上 本文]その八

化城喩品七箇の大事】
第一 化城(けじょう)の事

 御義口伝に云く、化とは色法なり。城とは心法なり。此の色心の二法を無常と説くは権教の心なり。法華経の意(こころ)は無常を常住と説くなり。化城即宝処なり。
 所詮、今・日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、色心を妙法と開くを化城即宝処と云うなり。十界皆化城・十界各各宝処なり。化城は九界なり、宝処は仏界なり。化城を去つて宝処に至ると云うは五百由旬の間なり。此の五百由旬とは見思・塵沙・無明なり。此の煩悩の五百由旬を妙法の五字と開くを化城即宝処と云うなり。化城即宝処とは即の一字は南無妙法蓮華経なり。念念の化城・念念の宝処なり。

 我等が色心の二法を無常と説くは権教なり。常住と説くは法華経なり。無常と執する執情を滅するを即滅化城と云うなり。化城は皮肉・宝処は骨なり。色心の二法を妙法と開覚するを化城即宝処の実体と云うなり。実体とは無常常住・倶時(ぐじ)相即・随縁不変・一念寂照(じゃくしょう)なり。一念とは南無妙法蓮華経。無疑曰信(むぎわっしん)の一念なり。の一字・心を留めて之を思う可し云云。

 第二 大通知勝仏の事

 御義口伝に云く、大通は心王(しんのう)なり智勝は心数なり。大通は迹門・智勝は本門なり。大通智勝は我等が一身なり。

 今、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は大通なり。題目を唱うるは智勝なり。法華経の行者の智は権宗の大智よりも百千万倍勝れたる所を智勝と心得可きなり。
 大は色法、通は心法なり。我等が生死を大通と云うなり。此の生死の身心に振舞う起念を智勝とは云うなり。爰を以て之を思うに、南無妙法蓮華経と唱え奉る行者は大通智勝仏なり。十六王子とは我等が心数なり云云。

 第三諸母涕泣(しょもたいきゅう)の事

 御義口伝に云く、諸母とは諸は十六人の母と云う事なり。実義には母とは元品の無明なり。此の無明より起こる惑障を諸母とも云うなり。流転の時は無明の母とつれて出で、還滅(げんめつ)の時は無明の母を殺すなり。無明の母とは念仏・禅・真言等の人人なり。而随送之(にずいそうし)とは謗人を指すなり。然りと雖も終に法華経の広宣流布顕れて天下一同に法華経の行者と成る可きなり「随至道場・還欲親近(ずいしどうじょう・げんよくしんごん)」是なり。

 第四 其祖転輪聖王の事

 御義口伝に云く、本地身の仏とは此の文を習うなり。祖とは法界の異名なり。此れは方便品の相性体の三如是を祖と云うなり。此の三如是より外に転輪聖王之れ無きなり。転輪とは生住異滅なり。聖王とは心法なり。此の三如是は三世の諸仏の父母なり。

 今、日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉る者は三世の諸仏の父母にして其祖転輪聖王なり。金・銀・銅・鉄とは、金は生、銀は白骨にして死なり、銅は老の相、鉄は病なり。此れ即ち開示悟入の四仏知見なり。三世常恒に生死・生死とめぐるを転輪聖王と云うなり。
 此の転輪聖王出現の時の輪宝(りんぽう)とは、我等が吐く所の言語音声なり。此の音声の輪宝とは南無妙法蓮華経なり。爰を以て平等大慧とは云うなり

 第五 十六王子の事

 御義口伝に云く、十とは十界なり。六とは六根なり。王とは心王なり。子とは心数(しんじゅ)なり。此れ即ち実相の一理の大通の子なり。
 今日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉る者は十六王子なり。八方作仏とは我等が八苦の煩悩即菩提と開くなり云云。

 第六 即滅化城の事

 御義口伝に云く、我等が滅する当体は化城なり。此の滅を滅と見れば化城なり。不滅の滅と知見するを宝処とは云うなり。是を寿量品にしては而実不滅度(にじつふめつど)とは説くなり。滅と云う見を滅するを滅と云うなり。三権即一実の法門之を思う可し。或は即滅化城とは謗法の寺塔を滅する事なり。

 今、日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉る者は化城即宝処なり。我等が居住の山谷曠野(こうや)・皆皆常寂光の宝処なり云云。

  第七 皆共至宝処(かいぐしほうしょ)の事
 御義口伝に云く、皆とは十界なり。共とは如我等無異なり。至とは極果の住処なり。宝処とは霊山なり。
 日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉る者は一同に皆共至宝処なり。
共の一字は日蓮に共する時は宝処に至る可し。不共ならば阿鼻大城に堕つ可し云云。


[御義口伝 上 本文]その九に続く






by johsei1129 | 2019-11-04 15:08 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)


<< 末法の本仏の立場で法華経一部二...      末法の本仏の立場で法華経一部二... >>