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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 11月 04日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 上】七

[御義口伝 上 本文]その七

【授記品四箇の大事】

第一授記の事  文句の七に云く授とは是れ与の義なりと。

 御義口伝に云く記とは南無妙法蓮華経なり授とは日本国の一切衆生なり不信の者には授けざるなり又之を受けざるなり

 今、日蓮等の類い南無妙法蓮華経の記を受くるなり、又云く授記とは法界の授記なり地獄の授記は悪因なれば悪業の授記を罪人に授くるなり余は之に准じて知る可きなり、生の記有れば必ず死す死の記あれば又生ず三世常恒の授記なり、所詮中根の四大声聞とは我等が生老病死の四相なり、迦葉は生の相・迦旃延は老の相・目連は病の相・須菩提は死の相なり。
 
 法華に来つて生老病死の四相を四大声聞と顕したり是れ即ち八相作仏なり、諸法実相の振舞なりと記を授くるなり妙法の授記なるが故に法界の授記なり、蓮華の授記なるが故に法界清浄なり経の授記なるが故に衆生の語言音声は三世常恒の授記なり、唯一言に授記すべき南無妙法蓮華経なり云云。

  第二迦葉光明の事

 御義口伝に云く光明とは一切衆生の相好なり光とは地獄の灯燃猛火(とうねんみょうか)此れ即ち本覚自受用の智火なり乃至仏果之れ同じ、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経の光明を謗法の闇冥(あんみょう)の中に指し出だす此れ即ち迦葉の光明如来なり、迦葉は頭陀(ずだ)を本とす頭陀は爰に抖擻(とそう)と云うなり、今末法に入つて余行を抖擻して、専ら南無妙法蓮華経と修するは此経難持行頭陀者是なり云云。

 第三捨是身已(しゃぜしんい)の事

 御義口伝に云く此の文段より捨不捨の起りなり転捨にして永捨に非ず転捨は本門なり永捨は迹門なり此の身を捨るは煩悩即菩提生死即涅槃の旨に背くなり云云、所詮日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは捨是身已なり不惜身命の故なり云云、又云く此の身を捨(ほどこ)すと読む時は法界に五大を捨すなり捨つる処の義に非ず、是の身を捨てて仏に成ると云うは権門の意なりかかる執情を捨つるを捨是身已と説くなり、此の文は一念三千の法門なり捨是身已とは還帰本理(げんきほんり)・一念三千の意なり、妙楽大師の当知身土・一念三千・故成道時・称此本理(しょうしほんり)・一心一念・遍於法界(へんのうほうかい)と釈するは此の意なり云云。

 第四宿世因縁吾今当説の事

 御義口伝に云く宿世の因縁とは三千塵点の昔の事なり下根の為に宿世の因縁を説かんと云う事なり、因縁とは因は種なり縁は昔に帰る義なりもとづくと訓ぜり、大通結縁の下種にもとづくと云う事を因縁と云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは過去の因にもとづきたり、爰を以て妙楽大師の云く「故に知んぬ末代一時聞くことを得て聞き已(おわっ)て信を生ず・事須(すべから)く宿種なるべし」と、宿とは大通の往時なり種とは下種の南無妙法蓮華経なり此の下種にもとずくを因縁と云うなり、本門の意は五百塵点の下種にもとずくべきなり真実妙法の因に縁(もとず)くを成仏と云うなり。


[御義口伝 上 本文]その八に続く


by johsei1129 | 2019-11-04 15:00 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
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