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日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 07月 09日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 上】四

[御義口伝 上 本文]その四

【譬喩品九箇の大事】

  第一譬喩品の事  文句の五に云く譬とは比況なり喩とは暁訓なり大悲息まず巧智無辺なれば更に樹を動かして風を訓え扇を挙げて月を喩すと。

 御義口伝に云く大悲とは母の子を思う慈悲の如し今日蓮等の慈悲なり、章安云く「彼の為に悪を除くは即是れ彼の親」と、巧智とは南無妙法蓮華経なり諸宗無得道の立義なり巧於難問答の意なり更とは在世に次で滅後の事と意得可きなり、樹を動すとは煩悩なり風を訓るとは即菩提なり扇を挙ぐとは生死なり月を喩すとは即涅槃なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時大白牛車に乗じて直至道場するなり、記の五に云く「樹と扇と風と月とは唯円教の理なり」と又云く「法説の実相は何ぞ隠れ何ぞ顕れんや長風息むこと靡く空月常に懸れり」と此釈之を思う可し、隠とは死なり顕とは生なり長風とは我等が息なり空月とは心月なり法華の生死とは三世常恒にして隠顕之無し我等が息風とは吐く処の言語なり是南無妙法蓮華経なり、一心法界の覚月常住にして懸れり是を指して唯円教の理と釈せり円とは法界なり教とは三千羅列なり理とは実相の一理なり云云。

 第二即起合掌の事  文句の五に云く外義を敍するとは即起合掌は身の領解と名く昔は権実二と為す掌の合わざるが如し、今は権即実と解る二の掌の合するが如し、向仏とは昔は権・仏因に非ず実・仏果に非ず今権即実と解して大円因を成ず因は必ず果に趣く故に合掌向仏と言うと。

 御義口伝に云く合掌とは法華経の異名なり向仏とは法華経に値い奉ると云うなり合掌は色法なり向仏は心法なり、色心の二法を妙法と開悟するを歓喜踊躍と説くなり、合掌に於て又二の意之れ有り合とは妙なり掌とは法なり、又云く合とは妙法蓮華経なり掌とは廿八品なり、又云く合とは仏界なり掌とは九界なり九界は権仏界は実なり、妙楽大師の云く「九界を権と為し仏界を実と為す」と十界悉く合掌の二字に納まつて森羅三千の諸法は合掌に非ざること莫きなり、惣じて三種の法華の合掌之れ有り今の妙法蓮華経は三種の法華未分なり、爾りと雖も先ず顕説法華を正意と為すなり、之に依つて伝教大師は於一仏乗とは根本法華の教なり○妙法の外更に一句の余経無しと、向仏とは一一文文皆金色の仏体と向い奉る事なり合掌の二字に法界を尽したるなり、地獄餓鬼の己己の当体其の外三千の諸法其の儘合掌向仏なり而る間法界悉く舎利弗なり舎利弗とは法華経なり、舎とは空諦利とは仮諦弗とは中道なり円融三諦の妙法なり舎利弗とは梵語此には身子と云う身子とは十界の色心なり身とは十界の色法子とは十界の心法なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は悉く舎利弗なり、舎利弗は即釈迦如来釈迦如来は即法華経法華経は即我等が色心の二法なり、仍て身子此の品の時聞此法音と領解せり、聞とは名字即法音とは諸法の音なり諸法の音とは妙法なり、爰を以て文句に釈する時長風息むこと靡しと長風とは法界の音声なり、此の音声を信解品に以仏道声令一切聞と云えり一切とは法界の衆生の事なり此の音声とは南無妙法蓮華経なり。

 第三身意泰然快得安穏の事  文句の五に云く従仏は是れ身の喜を結するなり聞法は此れ口の喜を結するなり断諸疑悔とは是れ意の喜を結すと。

 御義口伝に云く身意泰然とは煩悩即菩提生死即涅槃なり、身とは生死即涅槃なり意とは煩悩即菩提なり従仏とは日蓮に従う類い等の事なり口の喜とは南無妙法蓮華経なり意の喜とは無明の惑障無き故なり、爰を以て之を思うに此の文は一心三観一念三千我等が即身成仏なり方便の教は泰然に非ず安穏に非ざるなり行於険逕多留難故の教なり。

 第四得仏法分の事

 御義口伝に云く仏法の分とは初住一分の中道を云うなり、迹門初住本門二住已上と云う事は此の分の字より起るなり、所詮此の分の一字は一念三千の法門なり其の故は地獄は地獄の分で仏果を証し乃至三千の諸法己己の当体の分で仏果を証したるなり真実の我等が即身成仏なり、今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱うる分で仏果を証したるなり、分とは権教は無得道・法華経は成仏と分つと意得可きなり、又云く分とは本門寿量品の意なり己己本分の分なり、惣じて迹門初住分証と云うは教相なり真実は初住分証の処にて一経は極りたるなり。

 第五而自廻転の事  記の五に云く或は大論の如し経に而自廻転と云うは身子の得記を聞きて法性自然にして転じ因果依正自他悉く転ずるを表すと。

 御義口伝に云く草木成仏の証文に而自廻転の文を出すなり是れ一念三千の依正体一の成仏を説き極めたるなり、草木成仏の証人とは日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るを指すなり、廻転とは題目の五字なり自とは我等行者の事なり記の五の釈能く能く之を思うべし云云。

 第六一時倶作の事

 御義口伝に云く一時とは末法の一時なり倶作とは南無妙法蓮華経なり倶とは畢竟住一乗なり、今日蓮等の類いの所作には題目の五字なり余行を交えざるなり、又云く十界の語言は一返の題目を倶作したり、是れ豈感応に非ずや。

 第七以譬喩得解の事  止観の五に云く智とは譬に因るに斯の意徴し有りと。

 御義口伝に云く此の文を以て鏡像円融の三諦の事を伝うるなり、惣じて鏡像の譬とは自浮自影の鏡の事なり此の鏡とは一心の鏡なり、惣じて鏡に付て重重の相伝之有り所詮鏡の能徳とは万像を浮ぶるを本とせり妙法蓮華経の五字は万像を浮べて一法も残る物之無し、又云く鏡に於て五鏡之れ有り妙の鏡には法界の不思議を浮べ・法の鏡には法界の体を浮べ・蓮の鏡には法界の果を浮べ・華の鏡には法界の因を浮べ・経の鏡には万法の言語を浮べたり、又云く妙の鏡には華厳を浮べ・法の鏡には阿含を浮べ・蓮の鏡には方等を浮べ・華の鏡には般若を浮べ・経の鏡には法華を浮ぶるなり、順逆次第して意得可きなり、我等衆生の五体五輪妙法蓮華経と浮び出でたる間宝塔品を以て鏡と習うなり、信謗の浮び様能く能く之を案ず可し自浮自影の鏡とは南無妙法蓮華経是なり云云。

 第八唯有一門の事  文句の五に云く唯有一門とは上の以種種法門宣示於仏道に譬う、門に又二あり宅門と車門となり宅とは生死なり門とは出ずる要路なり、此は方便教の詮なり車とは大乗の法なり門とは円教の詮なりと。

 御義口伝に云く一門とは法華経の信心なり車とは法華経なり牛とは南無妙法蓮華経なり宅とは煩悩なり自身法性の大地を生死生死と転ぐり行くなり云云。

  第九今此三界等の事  文句の五に云く次に今此三界より下・第二に一行半は上の所見諸衆生為生老病死之所焼煮を頌して第二の所見・火の譬を合す、唯我一人より下・第三に半偈は上の仏見此已便作是念を頌して、驚入火宅を合するなりと。

 御義口伝に云く此の文は一念三千の文なり一念三千の法門は迹門には生陰二千の世間を明し本門には国土世間を明すなり、又云く今此三界の文は国土世間なり其中衆生の文は五陰世間なり而今此処多諸患難唯我一人の文は衆生世間なり、又云く今此三界は法身如来なり其中衆生悉是吾子は報身如来なり而今此処等は応身如来なり。

[御義口伝 上 本文]その五に続く


by johsei1129 | 2014-07-09 21:11 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
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