日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 07月 05日

唯受一人本門弘通の大導師と定めた直弟子日興上人に与えられた血脈相承書【法華本門宗血脈相承事】四

法華本門宗血脈相承事(本因妙抄) 本文]その四

 若し末法に於て本迹一致と修行し所化等に教ゆる者ならば、我が身も五逆罪を造らずして無間に堕ち、其れに随従せんともがらも、阿鼻に沈まん事疑無き者なり。
此の書一見の人人は、理普賢智文殊一言の薩た・生死絶断の際、定光覚悟の大菩薩なり。

 伝教云く「文殊の利剣は六輪に通じ十二の生類を切断す、一刀を下して妙法万方に勅するに自然に由お三諦を出だす、見聞覚知に明なり」
此の一言の三際を示すに一言に如かず、若し未達の者も一頌を開くに題目三般三諦同じく通知せざること無し。
 
 生仏自ら一現なる、是を一言の妙旨・一教の玄義と謂う云云。天台の云く「一 言三諦・刹那成道・半偈成道」と云云。伝教の云く「仏界の智は九界を境と為し九界の智は仏界を境と為す、境智互に冥薫して凡聖常恒なる、是を刹那成道と謂う。三道即三徳と解れば諸悪たちまちに真善なる、是を半偈成道と名く」
今会釈して云く、諸仏菩薩の定光三昧も凡聖一如の証道・刹那半偈の成道も、我が家の勝劣修行の南無妙法蓮華経の一言に摂し尽す者なり。

 此の血脈を列ぬる事は、末代浅学の者の予が仮字の消息を蔑如し、天台の漢字の止観を見て眼目を迷わし、心意を驚動し或は仮字を漢字と成し、或は止観明静・前代未聞の見に耽り、本迹一致の思を成す。我が内証の寿量品を知らずして止観に同じ但自見の僻見を本として、予が立義を破失して悪道に堕つ可き故に、天台三大章疏の奥伝に属す。

 天台伝教等の秘し給える正義、生死一大事の秘伝を書き顕し奉る事は、且は恐れ有り、且は憚り有り。広宣流布の日、公亭に於て応に之を披覧し奉るべし。会通を加える事は、且は広宣流布の為、且は末代浅学の為なり。又天台伝教の釈等も予が真実の本懐に非ざるか、未来嬰児の弟子等、彼を本懐かと思うべきものか。

 去る文永の免許の日爾前迹門の謗法を対治し、本門の正義を立て被れば、不日に豊歳ならむと申せしかば聞く人毎に舌を振い耳を塞ぐ。其の時、方人一人も無く、唯我と日蓮与我日興計りなり。

 問うて云く寿量品、文底の大事と云う秘法如何。答えて云く、唯密の正法なり、秘す可し秘す可し。一代応仏のいきをひかえたる方は、理の上の法相なれば一部共に理の一念三千、迹の上の本門寿量ぞと得意せしむる事を、脱益の文の上と申すなり。
 
 文の底とは久遠実成の名字の妙法を余行にわたさず直達の正観、事行の一念三千の南無妙法蓮華経是なり。権実は理、今日、本迹理なり。本迹は事久遠本迹事なり、亦権実は約智約教一代応仏本迹、本迹は約身約位久遠本迹亦、云く雖脱在現・具騰本種といへり。

 釈尊・久遠名字即の位の御身の修行を、末法今時・日蓮が名字即の身に移せり、理は造作に非ず、故に天真と曰い、証智円明の故に独朗と云うの行儀、本門立行の血脈之を注す、秘す可し秘す可し。

 又日文字の口伝・産湯の口決・二箇は両大師の玄旨にあつ、本尊七箇の口伝は七面の決に之を表す。教化弘経の七箇の伝は弘通者の大要なり。又此の血脈並に本尊の大事は日蓮嫡嫡座主、相構え相構え秘す可し秘す可し伝う可し。

 法華本門宗血脈相承事

弘安五太歳壬午十月十一日                         日 蓮 在御判





by johsei1129 | 2014-07-05 22:52 | 血脈・相伝・講義 | Trackback | Comments(0)
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