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日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 06月 29日

法華経計りこそ最後の極説なると説き明かした書【持妙法華問答抄】三

[持妙法華問答抄 本文]その三
 倩(つらつ)ら世間を見るに、法をば貴しと申せども其の人をば万人是を悪む。汝・能く能く法の源に迷へり。何にと云うに・一切の草木は地より出生せり。是を以て思うに一切の仏法も又人によりて弘まるべし。之に依つて天台は仏世すら猶人を以て法を顕はす、末代いづくんぞ法は貴けれども人は賤しと云はんやとこそ釈して御坐(おわし)候へ。されば持たるる法だに第一ならば、持つ人随つて第一なるべし。然らば則ち其の人を毀るは其の法を毀るなり、其の子を賤しむるは即ち其の親を賤しむなり。爰に知んぬ当世の人は詞と心と総てあはず、孝経を以て其の親を打つが如し。豈・冥の照覧恥かしからざらんや。地獄の苦み・恐るべし恐るべし・慎むべし慎むべし。上根に望めても卑下すべからず、下根を捨てざるは本懐なり。下根に望めても驕慢ならざれ、上根も・もるる事あり、心をいたさざるが故に。
 凡そ其の里ゆかしけれども道たえ・縁なきには通ふ心もをろそかに、其の人恋しけれども憑めず・契らぬには待つ思ひも・なをざりなるやうに、彼の月卿雲閣に勝れたる霊山浄土の行きやすきにも未だゆかず、我即是父の柔軟(にゅうなん)の御すがた見奉るべきをも未だ見奉らず。是れ誠に袂をくだ(腐)し・胸をこがす歎(なげき)ならざらんや。暮行空(くれゆくそら)の雲の色・有明方の月の光までも心をもよほす思ひなり。事にふれ・をりに付けても後世を心にかけ、花の春・雪の朝も是を思ひ、風さはぎ・村雲まよふ夕(ゆうべ)にも忘るる隙なかれ。出ずる息は入る息をまたず、何なる時節ありてか毎自作是念の悲願を忘れ、何なる月日ありてか無一不成仏の御経を持たざらん。昨日が今日になり、去年(こぞ)の今年となる事も是れ期する処の余命にはあらざるをや。総て過ぎにし方を・かぞへて年の積るをば知るといへども、今・行末にをいて一日片時も誰か命の数に入るべき。臨終已に今にありとは知りながら我慢偏執・名聞利養に著(じゃく)して、妙法を唱へ奉らざらん事は志の程・無下にかひなし。さこそは皆成仏道の御法(みのり)とは云いながら、此の人・争でか仏道に・ものうからざるべき。色なき人の袖には・そぞろに月の・やどる事かは。
 又命已に一念にすぎざれば、仏は一念随喜の功徳と説き給へり。若し是れ二念・三念を期すと云はば、平等大慧の本誓、頓教一乗皆成仏の法とは云はるべからず。流布の時は末世・法滅に及び、機は五逆・謗法をも納めたり。故に頓証菩提の心におきてられて、狐疑執著の邪見に身を任する事なかれ。生涯幾(いくば)くならず。思へば一夜のかりの宿を忘れて幾くの名利をか得ん。又得たりとも是れ夢の中の栄へ・珍しからぬ楽しみなり。只先世の業因に任せて営むべし。世間の無常をさとらん事は眼に遮(さえぎ)り・耳にみてり。雲とやなり雨とやなりけん、昔の人は只名をのみきく。露とや消え・煙とや登りけん、今の友も又みえず。我れいつまでか三笠の雲と思ふべき。春の花の風に随ひ、秋の紅葉(もみじ)の時雨(しぐれ)に染まる。是れ皆ながらへぬ世の中のためしなれば、法華経には「世・皆牢固ならざること水沫泡焔(ほうえん)の如し」とすすめたり。「以何令衆生・得入無上道」の御心のそこ、順縁・逆縁の御ことのは・已に本懐なれば暫くも持つ者も又本意にかないぬ。又本意に叶はば仏の恩を報ずるなり。悲母(ひも)深重の経文・心安ければ唯我一人の御苦しみもかつかつ(僅僅)やすみ給うらん。釈迦一仏の悦び給うのみならず、諸仏出世の本懐なれば十方三世の諸仏も悦び給うべし。「我即歓喜・諸仏亦然」と説かれたれば、仏悦び給うのみならず、神も即ち随喜し給うなるべし。伝教大師・是を講じ給いしかば八幡大菩薩は紫の袈裟を布施し、空也上人是を読み給いしかば松尾の大明神は寒風をふせがせ給う。されば「七難即滅・七福即生」と祈らんにも此の御経第一なり。現世安穏と見えたればなり。他国侵逼の難・自界叛逆の難の御祈祷にも此の妙典に過ぎたるはなし。「百由旬の内に諸の衰患(すいげん)なからしむべし」と説かれたればなり。

 然るに当世の御祈祷はさかさまなり。先代流布の権教なり。末代流布の最上真実の秘法にあらざるなり。譬えば去年(こぞ)の暦を用ゐ、烏(からす)を鵜(う)につかはんが如し。是れ偏に権教の邪師を貴んで・未だ実教の明師に値わせ給はざる故なり。惜いかな文武の卞和(べんか)があら玉・何(いず)くにか納めけん、嬉いかな釈尊出世の髻(もとどり)の中の明珠・今度我身に得たる事よ。十方諸仏の証誠として・いるがせならず。さこそは「一切世間・多怨難信」と知りながら争か一分の疑心を残して決定無有疑の仏にならざらんや。過去遠遠(おんのん)の苦みは徒らにのみこそ・うけこしか。などか暫く不変常住の妙因をうへざらん。未来・永永の楽みは・かつかつ心を養ふとも、しゐてあながちに電光朝露の名利をば貪るべからず。「三界は安きこと無し、猶火宅の如し」は如来の教へ「所以に諸法は幻の如く化の如し」は菩薩の詞なり。寂光の都ならずは何くも皆苦なるべし。本覚の栖を離れて何事か楽しみなるべき。願くは「現世安穏・後生善処」の妙法を持つのみこそ、只今生の名聞・後世の弄引(ろういん)なるべけれ。須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ、他をも勧んのみこそ、今生人界の思出なるべき。南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。

                 日蓮  花押

[持妙法華問答抄 本文] 完




by johsei1129 | 2014-06-29 21:34 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)


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