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日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 06月 22日

法華経二十八品の中に勝れてめでたきは方便品と寿量品であると説いた書【月水御書】一

【月水御書(がっすいごしょ】
■出筆時期:文永元年四月十七日(西暦1264年) 四十三歳御作
 鎌倉に住んでいた比企大学三郎熊本の夫人に与えられた書。
■出筆場所:鎌倉
■出筆の経緯:大学三郎の夫人が「法華経一部読誦と一品読誦とは、どちらが正しいのか」また「月水(月経)時における修行は、どうするのが良いか」との質問に答えられるため、本書を認められました。
尚、大学三郎は京都で儒学を習学、順徳天皇に仕えた後鎌倉へ下り、儒官として幕府に仕えた。大聖人が『立正安国論』を北条時頼に提出される際、大学三郎に見せられており、この事を縁として大学三郎は大聖人に帰依する。晩年、大学三郎は自分の邸宅なげうって本行院を建立し自身も出家、自ら本行院日学と称した。婦人ともども大聖人への帰依の志しは生涯変わらず深かったと思われます。
■ご真筆: 現存していない。

[月水御書 本文]その一

与大学三郎妻 伝え承はる御消息の状に云く法華経を日ごとに一品づつ二十八日が間に一部をよみまいらせ候しが当時は薬王品の一品を毎日の所作にし候、ただ・もとの様に一品づつを・よみまいらせ候べきやらんと云云、法華経は一日の所作に一部八巻・二十八品・或は一巻・或は一品・一偈・一句・一字・或は題目ばかりを南無妙法蓮華経と只一遍となへ・或は又一期の間に只一度となへ・或は又一期の間にただ一遍唱うるを聞いて随喜し・或は又随喜する声を聞いて随喜し・是体に五十展転して末になりなば志もうすくなり随喜の心の弱き事・二三歳の幼穉の者のはかなきが如く・牛馬なんどの前後を弁へざるが如くなりとも、他経を学する人の利根にして智慧かしこく・舎利弗・目連・文殊弥勒の如くなる人の諸経を胸の内にうかべて御坐まさん人人の御功徳よりも勝れたる事・百千万億倍なるべきよし・経文並に天台・妙楽の六十巻の中に見え侍り、されば経文には「仏の智慧を以て多少を籌量すとも其の辺を得ず」と説かれて仏の御智慧すら此の人の功徳をば・しろしめさず、仏の智慧のありがたさは此の三千大千世界に七日・若しは二七日なんど・ふる雨の数をだにも・しろしめして御坐候なるが只法華経の一字を唱えたる人の功徳をのみ知しめさずと見えたり、何に況や我等逆罪の凡夫の此の功徳をしり候いなんや、然りと云えども如来滅後二千二百余年に及んで五濁さかりになりて年久し事にふれて善なる事ありがたし、設ひ善を作人も一の善に十の悪を造り重ねて結句は小善につけて大悪を造り心には大善を修したりと云ふ慢心を起す世となれり、然るに如来の世に出でさせ給いて候し国よりしては二十万里の山海をへだてて東によれる日域辺土の小嶋にうまれ・五障の雲厚うして三従の・きづなに・つながれ給へる女人なんどの御身として法華経を御信用候は・ありがたしなんど・とも申すに限りなく候、凡そ一代聖教を披き見て顕密二道を究め給へる様なる智者学匠だにも・近来は法華経を捨て念仏を申し候に何なる御宿善ありてか此の法華経を一偈一句もあそばす御身と生れさせ給いけん。

[月水御書 本文]その二に続く


by johsei1129 | 2014-06-22 00:08 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
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