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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 10月 22日

【神国王御書】二 法華経が流布する日本国は一閻浮提(全世界)八万の国にも超えたる国と明した書

[神国王御書御書 本文]その二
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[御真筆(下巻) 京都 妙顕寺所蔵]

されば神武天皇より已来百王にいたるまでは・いかなる事有りとも玉体はつつが(恙)あるべからず・王位を傾くる者も有るべからず、一生補処の菩薩は中夭なし・聖人は横死せずと申す、いかにとして彼れ彼の四王は王位をを(追)いをとされ国をうばはるるのみならず・命を海にすて身を島島に入れ給いけるやらむ、天照太神は玉体に入りかわり給はざりけるか・八幡大菩薩の百王の誓は・いかにとなりぬるぞ、其の上安徳天皇の御宇には明雲の座主・御師となり・太上(政)入道並びに一門怠状を捧げて云く「彼の興福寺を以て藤氏の氏寺と為し春日の社を以て藤氏の氏神と為すが如く、延暦寺を以て平氏の氏寺と号し日吉の社を以て平氏の氏神と号す」云云、叡山には明雲座主を始めとして三千人の大衆・五壇の大法を行い、大臣以下は家家に尊勝陀羅尼・不動明王を供養し・諸寺・諸山には奉幣(ほうへい)し大法秘法を尽くさずという事なし。

 又承久の合戦の御時は天台の座主・慈円・仁和寺の御室・三井等の高僧等を相催(あいもよお)して・日本国にわたれる所の大法秘法残りなく行われ給う、所謂承久三年辛巳四月十九日に十五壇の法を行わる、天台の座主は一字金輪法等・五月二日は仁和寺の御室・如法愛染明王法を紫宸殿にて行い給う、又六月八日御室・守護経法を行い給う、已上四十一人の高僧・十五壇の大法・此の法を行う事は日本に第二度なり、権の大夫殿は此の事を知り給う事なければ御調伏も行い給はず、又いかに行い給うとも彼の法法・彼の人人にはすぐべからず、仏法の御力と申し王法の威力と申し・彼は国主なり・三界の諸王守護し給う、此れは日本国の民なり・わづかに小鬼ぞまほ(守)りけん代代の所従・重重の家人なり、譬へば王威を用いて民をせめば鷹の雉をとり・貓(ねこ)のねずみを食い・蛇のかへる(蛙)をのみ・師子王の兎を殺すにてこそ有るべけれ、なにしにか・かろがろ(軽々)しく天神・地祇には申すべき、仏・菩薩をばをどろかし奉るべき、師子王が兎をと(捕)らむには精進すべきか、たかがきじを食(くわ)んにはいのり有るべしや、いかにいのらずとも大王の身として民を失わんには大水の小火をけし・大風の小雲を巻くにてこそ有るべけれ、其の上大火に枯木を加うるがごとく・大河に大雨を下すがごとく・王法の力に大法を行い合せて頼朝と義時との本命と元神とをば梵王と帝釈等に抜き取らせ給う、譬へば古酒に酔(えい)る者のごとし・蛇の蝦(かえる)の魂を奪うがごとし・頼朝と義時との御魂・御名・御姓(うじ)をば・かきつけて諸尊・諸神等の御足(みあし)の下にふませまい(進)せていのりしかばいかにもこ(堪)らうべしともみへざりしに・いかにとして一年・一月も延びずして・わづか二日一日にはほろび給いけるやらむ、仏法を流布の国主とならむ人人は能く能く御案ありて後生をも定め御いのりも有るべきか。

 而るに日蓮此の事を疑いしゆへに幼少の比より随分に顕密二道・並びに諸宗の一切の経を・或は人にならい・或は我れと開見し勘へ見て候へば故の候いけるぞ、我が面を見る事は明鏡によるべし・国土の盛衰を計ることは仏鏡にはすぐべからず、仁王経・金光明経・最勝王経・守護経・涅槃経・法華経等の諸大乗経を開き見奉り候に・仏法に付きて国も盛へ人の寿も長く・又仏法に付いて国もほろび・人の寿も短かかるべしとみへて候、譬へば水は能く船をたすけ・水は能く船をやぶる、五穀は人をやしない・人を損ず、小波小風は大船を損ずる事かたし・大波大風には小船をやぶれやすし、王法の曲るは小波・小風のごとし・大国と大人をば失いがたし、仏法の失あるは大風・大波の小船をやぶるがごとし国のやぶるる事疑いなし、仏記に云く我滅するの後・末代には悪法悪人の国をほろぼし仏法を失(うする)には失(う)すべからず・譬へば三千大千世界の草木を薪として須弥山をやくにやけず劫火の時・須弥山の根より大豆計りの火出でて須弥山やくが如く・我が法も又此くの如し悪人・外道・天魔波旬・五通等にはやぶられず、仏のごとく六通の羅漢のごとく・三衣を皮のごとく身に紆(まと)い・一鉢を両眼にあてたらむ持戒の僧等と・大風の草木をなびかすがごとくなる高僧等・我が正法を失うべし、其の時梵釈・日月・四天いかりをなし其の国に大天変・大地夭等を発していさめむにいさめられずば其の国の内に七難ををこし父母・兄弟・王臣・万民等互に大怨敵となり梟鳥(きょうちょう)が母を食い破鏡が父をがいするがごとく・自国をやぶらせて・結句他国より其の国をせめさすべしとみへて候。

今日蓮・一代聖教の明鏡をもつて日本国を浮べ見候に・此の鏡に浮んで候人人は国敵・仏敵たる事疑いなし、一代聖教の中に法華経は明鏡の中の神鏡なり、銅鏡等は人の形をばうかぶれども・いまだ心をばうかべず、法華経は人の形を浮ぶるのみならず・心をも浮べ給へり、心を浮ぶるのみならず・先業をも未来をも鑒み給う事くもりなし、法華経の第七の巻を見候へば「如来の滅後において仏の所説の経の因縁及び次第を知り義に随つて実の如く説かん、日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅す」等云云、文の心は此の法華経を一字も一句も説く人は必ず一代聖教の浅深と・次第とを能く能く弁えたらむ人の説くべき事に候、譬へば暦の三百六十日をかんがうるに一日も相違せば万日倶に反逆すべし、三十一字(みそひともじ)を連ねたる一句・一字も相違せば三十一字共に歌にて有るべからず、謂(いわゆ)る一経を読誦すとも始め寂滅道場より終り雙林最後にいたるまで次第と浅深とに迷惑せば・其の人は我が身に五逆を作らずして無間地獄に入り・此れを帰依せん檀那も阿鼻大城に堕つべし何に況や智人・一人・出現して一代聖教の浅深勝劣を弁えん時・元祖が迷惑を相伝せる諸僧等・或は国師となり或は諸家の師となり・なんどせる人人・自のきず(疵)が顕るる上、人にかろしめられん事をなげきて、上に挙ぐる一人の智人を或は国主に訴へ・或は万人にそし(誹)らせん、其の時・守護の天神等の国をやぶらん事は芭蕉の葉を大風のさ(割)き・小舟を大波のやぶらむが・ごとしと見へて候。

[神国王御書御書 本文]その三に続く



by johsei1129 | 2019-10-22 18:28 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)
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