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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 01月 04日

法華経が流布する日本国は一閻浮提(全世界)八万の国にも超えたる国と明した書【神国王御書】一

【神国王御書御書(しんこくおうごしょ】
■出筆時期:建治元年(西暦1275年) 五十四歳 御作 
■出筆場所:身延山中 草庵
■出筆の経緯:弟子一同に当てられた書で、日本国に仏法が流布した歴史を紐解き、『我が日本国は一閻浮提(全世界)の内・月氏(インド)・漢土(中国)にもすぐれ八万の国にも超えたる国ぞかし、其の故は月氏の仏法は西域等に載せられて候但だ七十余国なり其の余は皆外道の国なり、漢土の寺は十万八千四十所なり、我が朝の山寺は十七万一千三十七所なり・・・かれ(漢土)は又大乗の国・小乗の国・大乗も権大乗(法華経以前の経)の国なり、此れ(日本国)は寺ごとに八宗・十宗をならい家家・宅宅に大乗(法華経)を読誦す・・・」と説き、日本国が唯一の法華経流布の国であることを弟子たちに示した書となっている。
■ご真筆: 京都 妙顕寺所蔵(重要文化財)

[神国王御書御書 本文]その一

夫れ以れば日本国を亦水穂の国と云い亦野馬台(やまと)又秋津島又扶桑等云云、六十六ケ国・二つの島已上・六十八ケ国・東西三千余里・南北は不定なり、此の国に五畿・七道あり・五畿と申すは山城・大和・河内・和泉・摂津等なり、七道と申すは東海道十五箇国・東山道八箇国・北陸道七箇国・山陰道八ケ国・山陽道八ケ国・南海道六ケ国・西海道十一ケ国・亦鎮西と云い又太宰府と云云、已上此れは国なり、国主をたづぬれば神世十二代は天神七代地神五代なり、天神七代の第一は国常立尊(くにのとこたちのみこと)乃至・第七は伊奘諾尊(いざなぎのみこと)男なり、伊奘册尊(いざなみのみこと)妻なり、地神五代の第一は天照太神・伊勢太神宮日の神是なり(いざなぎ・いざなみの御女なり)、乃至第五は彦波瀲武〓〓草葺不合尊(ひこなぎさたけうのはうがやふきあえずのみこと・此の神は第四のひこほの御子なり・母は竜の女なり)、已上地神五代・已上十二代は神世なり、人王は大体百代なるべきか・其の第一の王は神武天皇此れはひこなぎさの御子なり、乃至第十四は仲哀天皇八幡御父なり・第十五は神功皇后八幡御母なり・第十六は応神天皇にして仲哀と神功の御子今の八幡大菩薩なり、乃至第二十九代は宣化天皇なり、此の時までは月支漢土には仏法ありしかども日本国にはいまだわたらず。

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[神国王御書御書 ご真筆]

第三十代は欽明天皇・此の皇は第二十七代の継体の御敵(嫡)子なり・治三十二年、此の皇の治十三年壬申十月十三日辛酉百済国の聖明皇・金銅の釈迦仏を渡し奉る、今日本国の上下万人・一同に阿弥陀仏と申す此れなり、其の表の文に云く臣聞く万法の中には仏法最善し世間の道にも仏法最上なり天皇陛下亦修行あるべし、故に敬つて仏像経教法師を捧げて使に附して貢献す宜く信行あるべき者なり已上、然りといへども
欽明・敏達・用明の三代・三十余年は崇め給う事なし、其の間の事さまざまなりといへども其の時の天変・地夭は今の代にこそにて候へども・今は亦其の代には・にるべくもなき変夭なり、第三十三代崇峻天皇の御宇より仏法我が朝に崇められて・第三十四代推古天皇の御宇に盛にひろまりき、此の時三論宗と成実宗と申す宗始めて渡りて候いき、此の三論宗は月氏にても漢土にても、日本にても大乗宗の始なり、故に宗の母とも宗の父とも申す、人王三十六代・皇極天皇の御宇に禅宗わたる、人王四十代・天武の御宇に法相宗わたる、人王四十四代・元正天皇の御宇に大日経わたる、人王四十五代に聖武天皇の御宇に華厳宗を弘通せさせ給う、人王四十六代・孝謙天皇の御宇に律宗と法華宗わたる、しかりといへども唯律宗計りを弘めて天台法華宗は弘通なし。

人王第五十代に最澄と申す聖人あり、法華宗を我と見出して倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗・華厳宗等の六宗をせめをとし給うのみならず、漢土に大日宗と申す宗有りとしろしめせり、同じき御宇に漢土にわたりて四宗をならいわたし給う、所謂法華宗・真言宗・禅宗・大乗の律宗なり、しかりといへども法華宗と律宗とをば弘通ありて禅宗をば弘め給はず、真言宗をば宗の字をけづり七大寺等の諸僧に潅頂を許し給う、然れども世間の人人は・いかなるという事をしらず、当時の人人の云く此の人は漢土にて法華宗をば委細にならいて・真言宗をばくはしくも知ろし食し給はざりけるかと・すいし申すなり。

同じき御宇に空海と申す人漢土にわたりて真言宗をならう、しかりといへども・いまだ此の御代には帰朝なし、人王第五十一代に平城天皇の御宇に帰朝あり、五十二代嵯峨の天皇の御宇に弘仁十四年癸卯正月十九日に・真言宗の住処・東寺を給いて護国教王院とがうす、伝教大師御入滅の一年の後なり。

人王五十四代・仁明天皇の御宇に円仁和尚・漢土にわたりて重ねて法華・真言の二宗をならいわたす、人王五十五代・文徳天皇の御宇に仁寿と斉衝とに金剛頂経の疏・蘇悉地経の疏・已上十四巻を造りて大日経の義釈に並べて真言宗の三部とがうし、比叡山の内に総持院を建立し真言宗を弘通する事此の時なり、叡山に真言宗を許されしかば座主両方を兼ねたり、しかれども法華宗をば月のごとく・真言宗をば日のごとしといいしかば、諸人等は真言宗はすこし勝れたりとをもへけり、しかれども座主は両方を兼ねて兼学し給いけり大衆も又かくのごとし。

同じき御宇に円珍和尚と申す人・御入唐・漢土にして法華・真言の両宗をならう、同じき御宇に天安二年に帰朝す、此の人は本朝にしては叡山第一の座主義真・第二の座主円澄・別当光定・第三の座主円仁等に法華・真言の両宗をならいきわめ給うのみならず・又東寺の真言をも習い給へり、其の後に漢土にわたりて法華・真言の両宗をみがき給う・今の三井寺の法華・真言の元祖・智証大師此れなり、已上四大師なり。

 総じて日本国には真言宗に又八家あり、東寺に五家・弘法大師を本とす・天台に三家・慈覚大師を本とす。
人王八十一代をば安徳天皇と申す父は高倉院の長子・母は太政入道の女建礼門院なり、此の王は元暦元年乙巳三月二十四日・八島にして海中に崩じ給いき、此の王は源ノ頼朝将軍にせめられて海中のいろくづの食となり給う、人王八十二代は隠岐の法王と申す高倉の第三の王子・文治元年丙午御即位、八十三代には阿波の院・隠岐の法皇の長子・建仁二年に位を継ぎ給う、八十四代には佐渡の院・隠岐の法皇の第二の王子・承久三年辛巳二月二十六日に王位につき給う、同じき七月に佐渡の島にうつされ給う、此の二・三・四の三王は父子なり鎌倉の右大将の家人・義時にせめられさせ給へるなり。

 此に日蓮大いに疑つて云く仏と申すは三界の国主・大梵王・第六天の魔王・帝釈・日月・四天・転輪聖王・諸王の師なり主なり親なり、三界の諸王は皆は此の釈迦仏より分ち給いて諸国の総領・別領等の主となし給へり、故に梵釈等は此の仏を或は木像・或は画像等にあがめ給う、須臾も相背かば梵王の高台もくづれ帝釈の喜見もやぶれ輪王もかほり落ち給うべし、神と申すは又国国の国主等の崩去し給えるを生身のごとく・あがめ給う、此れ又国王・国人のための父母なり・主君なり・師匠なり・片時もそむかば国安穏なるべからず、此れを崇むれば国は三災を消し七難を払い・人は病なく長寿を持ち・後生には人天と三乗と仏となり給うべし。

 しかるに我が日本国は一閻浮提の内・月氏・漢土にもすぐれ八万の国にも超えたる国ぞかし、其の故は月氏の仏法は西域等に載せられて候但だ七十余国なり其の余は皆外道の国なり、漢土の寺は十万八千四十所なり、我が朝の山寺は十七万一千三十七所なり、此の国は月氏・漢土に対すれば日本国に伊豆の大島を対せるがごとし、寺をかずうれば漢土・月氏のも雲泥すぎたり、かれは又大乗の国・小乗の国・大乗も権大乗の国なり、此れは寺ごとに八宗・十宗をならい家家・宅宅に大乗を読誦す、彼の月氏・漢土等は仏法を用ゆる人は千人に一人なり、此の日本国は外道一人もなし、其の上神は又第一天照太神・第二八幡大菩薩・第三は山王等の三千余社、昼夜に我が国をまほり・朝夕に国家を見そなわし給う、其の上天照太神は内侍所と申す明鏡にかげをうかべ内裏にあがめられ給い・八幡大菩薩は宝殿をすてて主上の頂を栖とし給うと申す、仏の加護と申し神の守護と申しいかなれば彼の安徳と隠岐と阿波・佐渡等の王は相伝の所従等にせめられて・或は殺され或は島に放れ或は鬼となり或は大地獄には堕ち給いしぞ、日本国の叡山・七寺・東寺・園城等の十七万一千三十七所の山山寺寺に・いささかの御仏事を行うには皆天長地久玉体安穏とこそ・いのり給い候へ、其の上八幡大菩薩は殊に天王守護の大願あり、人王第四十八代に高野天皇の玉体に入り給いて云く、我が国家開闢より以来臣を以て君と為すこと未だ有らざる事なり、天之日嗣(あまつひつぎ)必ず皇緒を立つ等云云、又太神行教に付して云く我に百王守護の誓い有り等云云。

[神国王御書御書 本文]その二に続く


by johsei1129 | 2015-01-04 16:38 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)
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