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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 10月 26日

法華経は教主釈尊の師で一字一句も捨てる事は父母を殺す罪に過ぎると説いた書【兄弟抄】二

[兄弟抄] 本文 その二  [英語版]

 されば慈恩大師と申せし人は玄奘三蔵の御弟子・太宗皇帝の御師なり。梵漢を空(そら)にうかべ・一切経を胸にたた(湛)へ、仏舎利を筆のさきより雨(あめふ)らし、牙より光を放ち給いし聖人なり。時の人も日月のごとく恭敬(くぎょう)し、後の人も眼目とこそ渇仰せしかども、伝教大師これをせめ給うには「法華経を讃むと雖も還って法華の心を死(ころ)す」等云云。言(いう)は彼の人の心には法華経をほむと・をもへども、理のさすところは法華経をころす人になりぬ。
 善無畏三蔵は月支国うぢやうな(烏仗那)国の国王なり。位をすて出家して天竺五十余の国を修行して顕密二道をきわめ、後には漢土にわたりて玄宗皇帝の御師となる、尸(支)那日本の真言師・誰か此の人のながれにあらざる。かかる・たうとき人なれども一時に頓死して閻魔のせめにあはせ給う。いかなりける・ゆへとも人しらず。

 日蓮此れをかんがへたるに、本は法華経の行者なりしが大日経を見て法華経にまされりと・いゐしゆへなり。されば舎利弗・目連等が三五の塵点を経しことは十悪五逆の罪にもあらず、謀反・八虐の失にてもあらず、但悪知識に値うて法華経の信心をやぶりて権経にうつりしゆへなり。天台大師釈して云く「若し悪友に値えば則ち本心を失う」云云。本心と申すは法華経を信ずる心なり。失うと申すは法華経の信心を引きかへて余経へうつる心なり。
 されば経文に云く「然与良薬(ねんよろうやく)・而不肯服(にふこうぶく)」等云云。天台の云く「其の心を失う者は良薬を与うと雖も・而も肯て服せず。生死に流浪(るろう)し他国に逃逝(じょうぜい)す」云云。
 されば法華経を信ずる人の・をそるべきものは賊人・強盗・夜打ち・虎狼・師子等よりも・当時の蒙古のせめよりも、法華経の行者をなやます人人なり。

 此の世界は第六天の魔王の所領なり。一切衆生は無始已来・彼の魔王の眷属なり。六道の中に二十五有(う)と申すろう(籠)をかまへて一切衆生を入るるのみならず、妻子(めこ)と申すほだし(絆)をうち、父母主君と申すあみをそらにはり、貪瞋癡の酒をのませて仏性の本心をたぼらかす。但あくのさかな(肴)のみを・すすめて三悪道の大地に伏臥(ふくが)せしむ。たまたま善の心あれば障碍(しょうげ)をなす。法華経を信ずる人をば・いかにもして悪へ堕(おと)さんとをもうに叶わざれば、やうやくすか(賺)さんがために相似(そうじ)せる華厳経へをとしつ。杜順・智儼(ちごん)・法蔵・澄観等是なり。又般若経へすかしをとす悪友は嘉祥(かじょう)・僧詮等是なり。又深密経へ・すかしをとす悪友は玄奘・慈恩是なり。又大日経へ・すかしをとす悪友は善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証是なり。又禅宗へすかしをとす悪友は達磨(だるま)・慧可等是なり。又観経へすかしをとす悪友は善導・法然是なり。此(これ)は第六天の魔王が智者の身に入つて善人をたぼらかすなり。法華経第五の巻に「悪鬼其の身に入る」と説かれて候は是なり。

 設ひ等覚の菩薩なれども、元品の無明と申す大悪鬼・身に入つて法華経と申す妙覚の功徳を障(ささ)へ候なり。何に況んや其の已下の人人にをいてをや。又第六天の魔王、或は妻子の身に入つて親や夫をたぼらかし、或は国王の身に入つて法華経の行者ををどし、或は父母の身に入つて孝養の子をせむる事あり。

 悉達(しった)太子は位を捨てんとし給いしかば、羅睺羅(らごら)はらまれて・をはしませしを浄飯王(じょうぼんのう)此の子生れて後・出家し給えと・いさめられしかば、魔が子を・をさ(抑留)へて六年なり。舎利弗は昔・禅多羅仏と申せし仏の末世に菩薩の行を立てて六十劫を経たりき。既に四十劫ちかづきしかば百劫にて・あるべかりしを、第六天の魔王・菩薩の行の成ぜん事をあぶな(危殆)しとや思いけん、婆羅門となりて眼を乞いしかば相違なく・とらせたりしかども、其(それ)より退する心・出で来て舎利弗は無量劫が間・無間地獄に堕ちたりしぞかし。大荘厳仏の末の六百八十億の檀那等は苦岸等の四比丘に・たぼらかされて普事比丘を怨みてこそ大地微塵劫が間・無間地獄を経しぞかし。師子音王仏の末の男女等は勝意比丘と申せし持戒の僧をたのみて喜根比丘を笑うてこそ・無量劫が間・地獄に堕ちつれ。


[兄弟抄] 本文 その三に続く




by johsei1129 | 2019-10-26 12:06 | 池上兄弟 | Trackback | Comments(0)


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