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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 10月 19日

法華経の行者の祈は響の音に応ずるがごとく全ての衆生が仏になれる事を明らかにした書【祈祷抄】 二

[祈祷抄 本文]その二

 一切の菩薩は又始め華厳経より四十余年の間・仏にならんと願い給いしかども・かなはずして、法華経の方便品の略開三顕一の時「仏を求むる諸の菩薩大数八万有り、又諸の万億国の転輪聖王の至れる合掌して敬心を以て具足の道を聞かんと欲す」と願いしが、広開三顕一を聞いて「菩薩是の法を聞いて疑網皆已に断ちぬ」と説かせ給いぬ、其の後自界他方の菩薩雲の如く集り星の如く列り給いき、宝塔品の時・十方の諸仏・各各無辺の菩薩を具足して集り給いき、文殊は海より無量の菩薩を具足し、又八十万億那由佗の諸菩薩・又過八恒河沙の菩薩・地涌千界の菩薩・分別功徳品の六百八十万億那由佗恒河沙の菩薩・又千倍の菩薩・復一世界の微塵数の菩薩・復三千大千世界の微塵数の菩薩・復二千中国土の微塵数の菩薩・復小千国土の微塵数の菩薩・復四四天下の微塵数の菩薩・三四天下二四天下・一四天下の微塵数の菩薩・復八世界微塵数の衆生・薬王品の八万四千の菩薩・妙音品の八万四千の菩薩・又四万二千の天子・普門品の八万四千・陀羅尼品の六万八千人・妙荘厳王品の八万四千人・勧発品の恒河沙等の菩薩三千大千世界微塵数等の菩薩・此れ等の菩薩を委(くわし)く数へば十方世界の微塵の如し、十方世界の草木の如し、十方世界の星の如し、十方世界の雨の如し、此等は皆法華経にして仏にならせ給いて、此の三千大千世界の地上・地下・虚空の中にまします、迦葉尊者は雞足(けいそく)山にあり、文殊師利は清凉(しょうりょう)山にあり、地蔵菩薩は伽羅陀(からだ)山にあり、観音は補陀落(ふだらく)山にあり、弥勒菩薩は兜率天(とそつてん)に、難陀等の無量の竜王阿修羅王は海底海畔にあり、帝釈は刀利(とうり)天に梵王は有頂天に・魔醯修羅(まけいしゅら)は第六の佗化天に・四天王は須弥の腰に・日月・衆星は我等が眼に見へて頂上を照し給ふ、江神・河神・山神等も皆法華経の会上の諸尊なり。

  仏・法華経をとかせ給いて年数二千二百余年なり、人間こそ寿も短き故に仏をも見奉り候人も待らぬ、天上は日数は永く寿(いのち)も長ければ併(しかし)ながら仏をおがみ法華経を聴聞せる天人かぎり多くおはするなり人間の五十年は四王天の一日一夜なり、此れ一日一夜をはじめとして三十日は一月十二月は一年にして五百歳なり、されば人間の二千二百余年は四王天の四十四日なり、されば日月並びに毘沙門(びしゃもん)天王は仏におくれたてまつりて・四十四日いまだ二月にたらず、帝釈・梵天なんどは仏におくれ奉りて一月一時にもすきず、わづかの間に・いかでか仏前の御誓並びに自身成仏の御経の恩をばわすれて、法華経の行者をば捨てさせ給うべきなんど思いつらぬれば・たのもしき事なり、されば法華経の行者の祈る祈は響の音に応ずるがごとし・影の体(からだ)にそ(添)えるがごとし、すめる水に月のうつるがごとし・方諸の水をまねくがごとし・磁石の鉄をすうがごとし・琥珀の塵をとるがごとし、あきらかなる鏡の物の色をうかぶるがごとし・世間の法には我がおもはざる事も父母・主君・師匠・妻子をろかならぬ友なんどの申す事は恥ある者は意には・あはざれども名利をもうしなひ、寿(いのち)ともなる事も侍るぞかし、何(いか)に況(いわん)や我が心からをこりぬる事は、父母・主君・師匠なんどの制止を加うれどもなす事あり。

 さればはんよき(范於期)と云いし賢人は我頚を切つてだにこそけいか(荊軻)と申せし人には与へき、季札(きさつ)と申せし人は約束の剣(つるぎ)を徐の君が塚の上に懸けたりき、而るに霊山会上にして即身成仏せし竜女は・小乗経には五障の雲厚く三従のきづな(絆)強しと嫌はれ、四十余年の諸大乗経には或は歴劫修行にたへず(不堪)と捨てられ、或は初発心時・便成正覚の言も有名無実なりしかば女人成仏もゆるさざりしに・設(たと)い人間天上の女人なりとも成仏の道には望なかりしに・竜畜下賤の身たるに女人とだに生れ年さへ・いまだ・たけず・わづかに八歳なりき、かたがた思ひもよらざりしに文殊の教化によりて海中にして・法師・提婆の中間わづかに宝塔品を説かれし時刻に仏になりたりし事は・ありがたき事なり、一代超過の法華経の御力にあらずば・いかでか・かくは候べき、されば妙楽は「行浅功深以顕経力」とこそ書かせ給へ、竜女は我が仏になれる経なれば仏の御諌(いさめ)なくとも・いかでか法華経の行者を捨てさせ給うべき、されば自讃歎仏の偈には「我大乗の教を闡(ひら)いて苦の衆生を度脱せん」等とこそ・すすませさせ給いしか、竜女の誓は其の所従の「非口所宣非心所測」の一切の竜畜の誓なり娑竭羅(しゃから)竜王は竜畜の身なれども子を念う志深かりしかば大海第一の宝(たから)如意宝珠をもむすめ(娘)にとらせて即身成仏の御布施にせさせつれ此の珠は直(あたい)三千大千世界にかふる珠なり。

 提婆達多は師子頬王には孫・釈迦如来には伯父(おじ)たりし斛飯(こくぼん)王の御子・阿難尊者の舎兄(あに)なり、善聞長者のむすめの腹なり、転輪聖王の御一門・南閻浮提には賤(いや)しからざる人なり、在家にましましし時は夫妻となるべきやすたら(耶輸多羅)女を悉達太子に押し取られ宿世の敵と思いしに、出家の後に人天大会の集まりたりし時・仏に汝は癡人・唾(つばき)を食(くら)へる者との(罵)られし上・名聞利養深かりし人なれば仏の人に・もてなされしをそねみて・我が身には五法を行じて仏よりも尊(たっと)げになし・鉄(くろがね)をの(伸)して千輻輪につけ・螢火(ほたるび)を集めて白毫(びゃくごう)となし・六万宝蔵・八万宝蔵を胸に浮べ、象頭山に戒場を立て多くの仏弟子をさそ(誘)ひとり、爪に毒を塗り仏の御足にぬ(塗)らむと企(くわだ)て・蓮華比丘尼を打殺し・大石を放(はなち)て仏の御指をあやまちぬ、具(つぶさ)に三逆を犯(おか)し結句は五天竺の悪人を集め仏並びに御弟子檀那等にあだをなす程に、頻婆娑羅(びんばしゃら)王は仏の第一の御檀那なり、一日に五百輛の車を送り日日に仏並びに御弟子を供養し奉りき、提婆そねむ心深くして阿闍世太子を語(かたら)いて父を終に一尺の釘(くぎ)七つをもつてはりつけ(磔)になし奉りき、終に王舎城の北門の大地破(わ)れて阿鼻大城に墜(お)ちにき、三千大千世界の人一人も是を見ざる事なかりき、されば大地微塵劫は過ぐとも無間大城をば出づべからずとこそ思ひ候に・法華経にして天王如来とならせ給いけるにこそ不思議に尊けれ、提婆達多・仏になり給はば語(かた)らはれし所の無量の悪人、一業所感なれば皆無間地獄の苦は・はなれぬらん、是れ偏(ひとえ)に法華経の恩徳なり、されば提婆達多並びに所従の無量の眷属は法華経の行者の室宅(いえ)にこそ住(すまわ)せ給うらめとたのもし。

[祈祷抄 本文]その三に続く


by johsei1129 | 2019-10-19 09:17 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)
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