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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 10月 27日

法華経に予知された末法の本仏としての御振舞いを明らかにした書【種種御振舞御書】 六

[種種御振舞御書 本文] その六

 又念仏者集りて僉議す、かう(斯)てあらんには我等かつえし(餓死)ぬべし・いかにもして此の法師を失はばや、既に国の者も大体つきぬ・いかんがせん、念仏者の長者の唯(ゆい)阿弥陀仏・持斎の長者の性諭房・良観が弟子の道観等・鎌倉に走り登りて武蔵守殿に申す、此の御房・島に候ものならば堂塔一宇も候べからず僧一人も候まじ、阿弥陀仏をば或は火に入れ或は河にながす、夜もひるも高き山に登りて日月に向つて大音声を放つて上(かみ)を呪咀し奉る、其の音声・一国に聞ふと申す、武蔵前司殿・是をきき上(かみ)へ申すまでもあるまじ、先ず国中のもの日蓮房につくならば或は国をお(逐)ひ或はろうに入れよと私の下知を下す、又下文(くだしぶみ)下るかくの如く三度其の間の事申さざるに心をもて計りぬべし、或は其の前をとをれりと云うて・ろうに入れ或は其の御房に物をまいら(進)せけりと云うて国をおひ或は妻子をとる、かくの如くして上へ此の由を申されければ案に相違して去る文永十一年二月十四日の御赦免の状・同三月八日に島につきぬ、念仏者等・僉議して云く此れ程の阿弥陀仏の御敵・善導和尚・法然上人をの(罵)るほどの者が・たまたま御勘気を蒙りて此の島に放されたるを御赦免あるとてい(生)けて帰さんは心う(憂)き事なりと云うて、やうやうの支度ありしかども何(いか)なる事にや有りけん、思はざるに順風吹き来りて島をば・たちしかばあはい(間合)あしければ百日・五十日にもわたらず、順風には三日なる所を須臾(しばらく)の間に渡りぬ、越後のこう(国府)・信濃の善光寺の念仏者・持斎・真言等は雲集して僉議す、島の法師原は今まで・いけてかへ(還)すは人かつたい(乞丐)なり、我等はいかにも生身の阿弥陀仏の御前をば・とを(通)すまじと僉議せしかども、又越後のこうより兵者(つわもの)ども・あまた日蓮にそ(添)ひて善光寺をとをりしかば力及ばず、三月十三日に島を立ちて同三月二十六日に鎌倉へ打ち入りぬ。

 同四月八日平左衛門尉に見参しぬ、さき(前)には・にるべくもなく威儀を和らげて・ただ(正)しくする上・或る入道は念仏をとふ・或る俗は真言をとふ・或る人は禅をとふ・平左衛門尉は爾前得道の有無をとふ・一一に経文を引いて申しぬ、平の左衛門尉は上(かみ)の御使の様にて大蒙古国はいつか渡り候べきと申す、日蓮答えて云く今年は一定なりそれにとつては日蓮已前より勘へ申すをば御用ひなし、譬えば病の起りを知らざる人の病を治せば弥よ病は倍増すべし、真言師だにも調伏するならば弥よ此の国軍(いくさ)にま(負)くべし・穴賢穴賢、真言師・総じて当世の法師等をもつて御祈り有るべからず・各各は仏法をしらせ給うておわさばこそ申すともしらせ給はめ、又何(いか)なる不思議にやあるらん他事には・ことにして日蓮が申す事は御用いなし、後に思い合せさせ奉らんが為に申す隠岐法皇は天子なり権大夫殿は民ぞかし、子の親をあだまんをば天照太神うけ給いなんや、所従が主君を敵とせんをば正八幡は御用いあるべしや、いかなりければ公家はまけ給いけるぞ、此れは偏に只事にはあらず弘法大師の邪義・慈覚大師・智証大師の僻見をまことと思いて叡山・東寺・園城寺の人人の鎌倉をあだみ給いしかば還著於本人とて其の失(とが)還つて公家はまけ給いぬ、武家は其の事知らずして調伏も行はざればかちぬ今又かくの如くなるべし、ゑぞ(蝦夷)は死生不知のもの安藤五郎は因果の道理を弁えて堂塔多く造りし善人なり、いかにとして頚をば・ゑぞに・とられぬるぞ、是をもつて思うに此の御房たちだに御祈あらば入道殿・事にあひ給いぬと覚え候、あなかしこ・あなかしこ・さ・いはざりけると・おほせ候なと・したたか(剛強)に申し付け候いぬ。

 さてかへりき(聞)きしかば同四月十日より阿弥陀堂法印に仰付られて雨の御いのりあり、此の法印は東寺第一の智人・をむろ(御室)等の御師・弘法大師・慈覚大師・智証大師の真言の秘法を鏡にかけ天台・華厳等の諸宗を・みな胸にうかべたり、それに随いて十日よりの祈雨に十一日に大雨下(ふ)りて風ふかず雨しづかにて一日一夜ふりしかば・守殿御感のあまりに金三十両むまやうやうの御ひきで物ありと・きこふ、鎌倉中の上下・万人・手をたたき口をすく(蹙)めてわらうやうは日蓮ひが法門申して・すでに頚をきられんとせしが・とかう(左右)してゆ(免)りたらば・さではなくして念仏・禅をそしるのみならず、真言の密教なんどをも・そしるゆへに・かかる法のしるし(験)めでたしと・ののしりしかば、日蓮が弟子等けう(興)さめて・これは御あら義と申せし程に・日蓮が申すやうはしばしまて弘法大師の悪義まことにて国の御いのりとなるべくば隠岐法皇こそ・いくさにかち給はめ、をむろ最愛の児(ちご)せいたか(勢多迦)も頚をきられざるらん、弘法の法華経を華厳経にをとれりとかける状は十住心論と申す文(ふみ)にあり、寿量品の釈迦仏をば凡夫なりとしるされたる文は秘蔵宝鑰に候、天台大師をぬす人とかける状は二教論にあり、一乗法華経をとける仏をば真言師のはきもの(履)とりにも及ばずとかける状は正覚房が舎利講の式にあり、かかる僻事を申す人の弟子・阿弥陀堂の法印が日蓮にかつならば竜王は法華経のかたきなり、梵釈・四王にせめられなん子細ぞあらんずらんと申せば、弟子どものいはく・いかなる子細のあるべきぞとをこつき(嘲笑)し程に、日蓮云く善無畏も不空も雨のいのりに雨はふりたりしかども大風吹きてありけるとみゆ、弘法は三七日すぎて雨をふらしたり、此等は雨ふらさぬがごとし、三七・二十一日にふらぬ雨やあるべき設いふりたりとも・なんの不思議かあるべき、天台のごとく千観なんどのごとく一座なんど・こそたう(尊)とけれ、此れは一定やう(様)あるべしと・いゐもあはせず大風吹来る、大小の舎宅・堂塔・古木・御所等を或は天に吹きのぼせ或は地に吹き入れ、そらには大なる光り物とび地には棟梁みだれたり、人人をも・ふきころし牛馬ををくたふれぬ、悪風なれども秋は時なれば・なをゆるすかたもあり此れは夏四月なり、其の上日本国にはふかず但関東・八箇国なり八箇国にも武蔵・相模の両国なり両国の中には相州につよくふく、相州にも・かまくら・かまくらにも御所・若宮・建長寺・極楽寺等につよくふけり、ただ事ともみへず・ひとへにこのいのりの・ゆへにやと・おぼへて・わらひ口すくめせし人人も・けう(興)さめてありし上我が弟子どももあら不思議やと舌をふるう。

[種種御振舞御書 本文] その七に続く




by johsei1129 | 2019-10-27 17:31 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)
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