2017年 03月 19日
金吾たち三名と訴人三名が沙汰人を前に対決した。 鎌倉時代の最大の特色は武士が中心となって裁判する形式が始まったことである。政権が公家から武家にうつり、裁判の公平が保たれるようになった。このため武家はもちろん農民、下人にいたるまで、権利という概念が生まれ、己が権利を主張するという、いわば訴訟行為が飛躍的にさかんになった。いきおいだれもが裁判の行方を注目するようになる。その熱気は現代の比ではない。 今のように民法や商法など、まるでない時代である。法律といえば、わずか三十年前に五十一箇条の御成敗式目ができたばかりだった。しかし訴訟の件数は猛烈な数にのぼっている。刑事事件もあれば民事もあり種々雑多だった。賞罰の形式もある程度自由で、罰として道路の修理というのがあった。上司と部下、家主と下人の裁判もめずらしくなかった。 じっさい、この時代の人々にとって裁判は現代のスポーツ観戦のようなイベントであった。だれもが一つ一つの裁定の顛末に注目した。 新聞もマスコミもない時代である。いわゆる世論というものがない。人々は評定をとおして世情を感知していた。 評定所では多くの武士が傍聴人として集まっていた。 沙汰人が宣言する。 「これより訴人の訴えにしたがい、評定をおこなう。まず訴えを聞こう」 原告である訴人が前にでた。訴人は今まで目にしたことのない人物だった。 「ここにいる四条金吾、土木常忍、太田乗明の三名は法華宗の有力な信徒であります。念仏などの他宗を誹謗し、この鎌倉を混乱させております。またこの三名、御家人の身で幕府に仕えながら、人心をまどわすのはもってのほかであり処罰にあたるもの。すみやかにかれらの所領を召して追放すべきと存ずる」 沙汰人が手慣れたようにうながす。 「では論人、反論を」 四条金吾がまちかねたように前にでた。自信満々の口調である。 「まずは最初にお聞きしたいことがある。訴人であるあなた方はどなたか。私たちがお会いしたことのない面々でありますな。いったいだれの使いでわれらを訴えたのか」 「無礼な。使いではない」 富木常忍が交代した。 「では申しあげる。仏法の根本は教主釈尊の経典からでている。いわゆる低い教えから高いものまで千差万別である。一切衆生の不幸は、このなかの低い教えに執着することからはじまっている。念仏宗、禅宗は、仏が化導の初期に説かれた低級の教えである」 訴人がいきりだした。聴衆からも非難する声があがる。 仏法教学に長けた太田乗明が交代した。 「仏教の開祖釈尊が説かれた最高の教えとは法華経である。わが日蓮上人は仏法の一切を知りつくした法華経の行者である。一切経の鏡で日本の今日、未来を写し出し、ただ一人外敵の来襲を予言し的中させたのです。このことはだれ一人知らぬ者はいない。蒙古退治は日蓮上人をおいて、誰も他におらぬではないか」 聴衆から「そうだ、その通りだ」と日蓮をひいきする声と「念仏が低い教えとは何事だ」と批判する怒号が巻きおこった。 ここで沙汰人があわてだした。この事務官は憶病だった。金吾たち三人は信仰を盾にして暗に幕府を非難している。いくら問注所という言い争いの場とはいっても幕府批判は御法度である。問注どころの騒ぎではない。 金吾がたたみかけた。 「世間にいわく、未萌を知るを聖人という。仏典にいわく三世を知るを聖人という。すみやかに法華経そして日蓮上人に帰依してこそ、日本国の安泰があるというもの。いかがかな」 訴人が反論した。 「おぬしらは幕府に仕えながら、幕府を悩ますのはなんとする。この日本国に蒙古の攻めがあるやもしれぬのに、日蓮は他宗の僧の首を切れ、寺院を焼きはらえと騒いでいる。これが大罪でなくしてなんであろう」 金吾は力強く答える。 「これはこれは異なことを申される。そもそも外敵が攻めてくることを九年前に予言したのはわれらが日蓮上人ただお一人である。この事お忘れなきように。また日蓮上人は他宗の僧の首を斬れ、寺院を焼きはらえなどとは一言もいってはおりません。逆に良観殿、道隆殿、念阿殿が我が門下を陥れようと讒奏なされていることは周知の事実です。われわれ法華宗の祈りはほかでもない、わが国土の安穏、敵国の衰退であります。しかしここにおよんで法華経を誹謗する僧侶が祈れば、諸天善神が日本から去って、わが国の敗北は必至であるぞ」 沙汰人はさらに動揺した。 (なんと・・このままでは法華と他宗の公場対決になるではないか) 訴人が顔を真っ赤にして金吾側に反論した。 「われらは法華経を誹謗してはおらぬ。法華経を大切にする者も少なからずおるのだ。なのになぜそこまで他宗を攻撃するのだ」 あらかじめ律儀に想定問答を準備していた千葉氏の文官、富木常忍がこれに即答する。 「この日本国は法華経誹謗の国である。法華経を大事といいながら、阿弥陀を祈り、座禅を組む。子を大切にして親を粗末にし、薬と思って毒薬を飲む。わが日蓮上人はこのことを憂い、鎌倉殿をはじめ各所に訴えるも答える御仁はおらず。御式目によるならば、さだめてお招きあって意見を述べるところを、さにあらず流罪されたのはいかなることか。この国の安穏を思うに、これは御政道の誤りというもの。蒙古退治は日蓮上人よりほかには叶うべからず。邪宗の祈りは日本国を早く滅ぼすのみ。去りし承久の世に、上皇に仕える高僧らが鎌倉退治を祈り、逆に滅ぼされたのをご存知ないか」 訴人が得意げに言上した。 「沙汰人、今の言葉、聞かれましたか。これぞ日蓮の徒党の正体でござる。民をあざむき幕府を誹謗する者どもでござる」 沙汰人は汗をふいた。 「そのほうら三名。いまの言葉に嘘いつわりはないか。さもなくば起請を書く用意があるのか」 起請は天地神明に誓うことである。これに背けば自決しなければならない。 太田乗明が答える。 「いかにも。ただわれわれも幕府に仕える身。われらの主人や同輩に対してはいささかの遺恨はござらぬ。沙汰人のご賢慮をあおぐまで」 場内が静かになった。 金吾たち三人は勝利を確信した。 逆に沙汰人は目を下にやり、思いつめている。裁判官として評決を下すことができない。 しんとした中、戸外で騒ぐ声が聞こえた。やがてその音がしだいに大きくなった。 「なにごとか」 評定所の門前では人だかりができていた。 訴人と論人の所従同士がはげしく争っていたのである。互いが刀で応戦しあっていた。 評定にいた人々が外にでた。 駆けつけた金吾が彼らをなじった。 「やめろ。やめんか」 常忍もつづく。 「評定所の前である。喧嘩狼藉は御法度であるぞ」 刃傷沙汰の罰は領地没収である。領地がなければ流罪になる。また刃傷の当事者が御家人でなければ牢送りだった。 双方がやっとひいた。 そこに沙汰人が割ってはいり、宣言してしまった。 「本日の評定は取りやめとする」 金吾ら三名が愕然とした。勝利は目前なのに思わぬ事態となった。 沙汰人は冷然と言いはなった。 「仏法の宗義は評定所の管轄外である。沙汰すべきにあらず。おのおの立ち去れい」 金吾たち三人が猛然と抗議したが聞きいれない。目の前にあった勝利が忽然と消えてしまった。 三人が館にもどり日蓮に平伏した。伯耆房らの弟子たちがかこんだ。 金吾が無念そうにもらす。 「まことに残念でございます」 常忍も打ちひしがれた。 「上人の義をのべる絶好の機会にあのような騒ぎをおこし、まことに申しわけございませぬ」 日蓮はなぐさめたが、さすがに落胆の色が濃い。その頃の心境を太田乗明(金吾)への手紙でつぎのように記している。 抑此の法門の事、勘文の有無に依りて弘まるべきか、弘まらざるか。去年方々に申して候ひしかども、いなせの返事候はず候。今年十一月の比、方々へ申して候へば、少々返事あるかたも候。をほかた人の心もやわらぎて、さもやとをぼしたりげに候。又上のげざんにも入りて候やらむ。 これほどの僻事申して候へば、流・死の二罪の内は一定と存ぜしが、いまゝでなにと申す事も候はぬは不思議とをぼへ候。いたれる道理にて候やらむ。又自界叛逆難の経文も値ふべきにて候やらむ。山門なんどもいにしえにも百千万億倍すぎて動揺とうけ給はり候。 それならず子細ども候やらん。震旦・高麗すでに禅門・念仏になりて、守護の善神の去るかの間彼の蒙古に従ひ候ひぬ。 我が朝(日本)、又此の邪法弘まりて天台法華宗を忽諸のゆへに山門安穏ならず、師檀違叛の国と成り候ひぬれば、十が八、九はいかんがとみへ候。 人身すでにうけぬ。邪師又まぬかれぬ。法華経のゆへに流罪に及びぬ。今死罪に行なはれぬこそ本意ならず候へ。あわれさる事の出来し候へかしとこそはげみ候ひて方々に強言をかきて挙げをき候なり。すでに年五十に及びぬ。余命いくばくならず。いたづらに曠野にすてん身を同じくは一乗法華のかたになげて雪山童子、薬王菩薩の跡をおひ、仙予・有徳の名を後代に留めて法華・涅槃経に説き入れられまいらせんと願うところなり。南無妙法蓮華経。 十一月二十八日 日蓮花押 【金吾殿御返事(大師講御書)】 【訳】そもそも、この法門のことは、諌暁の書の予言が現実になるか、現実にならないかによって、弘まるか、それとも弘まらないかが決まる。昨年十一通の書状で、何人かの人に申し上げたが、拒絶とも承諾とも、いずれとも返事がない。 今年の十一月ごろに、何人かの人々に申したところ、少々、返事をくださる人もいる。ほとんど、人の心も穏やかになって、そのとおりかもしれない、と思われたかのようである。また、執権殿の目にも入ったのかもしれない。 これほどの道理に合わないことを申し上げているのだから、流罪か死罪か、その二罪のうちにはいずれかには必ず処せられることは決まっていると思っていたが、今まで何ということもないのは不思議であると思う。日蓮の主張が最上・究竟の法理であるのではないだろうか。また、他国侵逼難が起こるとの予言が的中したのであるから、自界叛逆難が起きるとの経文も符号するであろう。 比叡山・延暦寺なども、過去の山門と寺門派の抗争の時の動揺よりも百千万億倍過ぎた動揺である、とうけたまわっている。それどころではない深い理由などがあるのではないだろうか。震旦や高麗はすでに禅門・念仏になって守護する善神が去ってしまったので、かの蒙古に征服され従えさせられてしまった。わが日本もまたこの邪法がひろまって天台法華宗を軽んじたり、なおざりにしている故に、山門も安穏でなくなった。出家の師に対し檀那がそむく国となっているのであるから、十のうち八・九はどうであろうかとみえる。 すでにうけがたい人身をうけることができた。邪師もまた免れた。法華経の故に流罪に及んだ。今、死罪に行われないことこそ不本意である。ああ、そのようなことが起これと、法華経の弘通に励んでいる方々に語調の強い言葉を書いてさしあげておいたのである。 すでに年も五十近くになった。残された寿命もいくばくもない。いたずらに広野に捨てる身であるならば、同じくは一仏乗を説く法華経の方に投げて雪山童子や薬王菩薩の跡を追い、仙予国王や有徳王がその名を後の時代にとどめたように、日蓮もその名を後の時代にとどめて、末法の法華経・涅槃経に説き入れていただこうと願うところである。 日蓮は死罪に及ぶことを望んだ。それは自身が末法の本仏であることを証明するための必須条件であったからに他ならない。文応元年三十九歳の時に「立正安国論」を北条時頼に献上しているが、同時期に述作した「唱法華題目抄」ですでに末法に建立すべき本尊の相貌を記している。
問うて云く法華経を信ぜん人は本尊並に行儀並に常の所行は何にてか候べき、答えて云く、第一に本尊は法華経八巻一巻一品或は題目を書いて本尊と定む可しと法師品並に神力品に見えたり、又たへたらん人は釈迦如来・多宝仏を書いても造つても法華経の左右に之を立て奉るべし、又たへたらんは十方の諸仏・普賢菩薩等をもつくりかきたてまつるべし、行儀は本尊の御前にして必ず坐立行なるべし、道場を出でては行住坐臥をえらぶべからず、常の所行は題目を南無妙法蓮華経と唱うべし、たへたらん人は一偈・一句をも読み奉る可し、助縁には南無釈迦牟尼仏・多宝仏・十方諸仏・一切の諸菩薩・二乗・天人・竜神・八部等心に随うべし、愚者多き世となれば一念三千の観を先とせず、其の志あらん人は必ず習学して之を観ずべし。
この「唱法華題目抄」の記述を見る限り、日蓮は三十二歳で立宗し「南妙法蓮華経」と唱えるという末法における仏になるための「行」を広めていくが、いずれ末法の本尊を建立すべきと内証に秘めていたことは間違いない。 本尊は衆生が己の仏性を開くための縁となる存在である。それゆえ仏の命がそこに吹き込まれなければ、衆生は本尊と感応して仏性を開くことができない。本尊は衆生が仏心を成就することを念じて本仏自らが図現する必要があつた。 釈尊は法華経如来寿量品第十六の最後に、 『我亦為世父(中略)、毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏心』(我また世の父と為りて(中略)いかにして衆生をして無上道に入らしめ、速やかに仏身を成就することを得せしめん、といつも念じている) と説いている。 日蓮が幕臣、各宗派の僧侶に宛てた十一通の書状は、一往は「公場対決」で勝利し他宗への布施を止め、幕府を法華経信仰に立たせることにあったが、再往は自身に死罪が及び、それを乗り越えることで末法の本仏であることを現在の門下及び滅後の弟子・信徒に示すことだった。 この日蓮の本願は二年後、「竜の口」の法難として実現することになる。 日蓮はこの内証を、四条金吾でも富木常忍でもなく大田乗明(金吾)への消息文で吐露している。大田乗明には、日蓮が入滅する半年前の弘安五年の四月八日、本門戒壇の建立を後世に託した「三大秘法禀承事」を与えている。この書の中で日蓮は記す。
此の三大秘法は二千余年の当初、地涌千界の上首として日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり・・・・今日蓮が時に感じて此の法門広宣流布するなり。予年来己心に秘すと雖も此の法門を書き付て留め置ずんば門家の遺弟等定めて無慈悲の讒言を加う可し。其の後は何と悔ゆとも叶うまじきと存ずる間、貴辺に対し書き送り候、一見の後、秘して他見有る可からず口外も詮無し。法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給いて候は此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給えばなり、秘す可し秘す可し」
「地涌千界の上首として日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり」の文言は、日蓮が上行菩薩の再誕であることを意味しているが、この内証をあらわにしたのは、ほとんど希だった。わずかに後継の日興に口伝した就註法華経口伝(御義口伝)の寿量品二十七個の大事の二十五「建立御本尊の事」で 「日蓮慥かに霊山に於て面授口決せしなり。本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」 とあるのみである。 当時の信徒には到底理解できることではなかった。うかつに口にすれば信徒に疑心をわかせるだけだった。 逆にこのことは日蓮にとって、在家信徒である大田乗明の法門への理解に対する信頼がいかに高かったかを物語っている。それゆえ他の信徒にたいしては「死罪が降りかかるのを望んでいる」という心証を不用意に吐露することはなかった。 この究極の内証とは裏腹に、日蓮は窮した。 三十二の年より二十年近くにわたって法華経の正義を訴えつづけ題目を弘めた。諸宗をやぶり、法華経広布の国土を建てようとした。だが題目の流布はしたものの、日本国の根底は変わっていない。諸宗はいぜんもとのままであり、国主も聞く耳をもたなかった。 念仏を無間地獄という日蓮の悪名は高まるばかりである。それほどまでに日本国の迷妄は深い。 鎌倉の人々は口々にいった。一介の僧侶が天下の鎌倉様や極楽寺の良観様に楯突こうなどと、身の程知らずにもほどがあると。 しかし事は意外なところから日蓮と良観を取り巻く事態が急転換する。 二十五、極楽寺良観と日蓮、降雨の対決 につづく
by johsei1129
| 2017-03-19 22:03
| 小説 日蓮の生涯 上
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