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日蓮大聖人『御書』解説

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2024年 09月 24日

末法の法華経の行者に難が降りかかるのは必定と、門下の弟子・信徒を諭した書【如説修行抄】

【如説修行抄(にょせつしゅぎょうしょう】
■出筆時期:文永十年(西暦1273年)五月、五十二歳御作 門下一同に与えた御書。
■出筆場所:佐渡ヶ島 一谷(いちのさわ)
■出筆の経緯:大聖人に数々の大難が降りかかり佐渡に流罪になると、弟子・信徒の中に動揺し信仰を止める動きが起こる。この事態に対し、大聖人は法華経を引用し「末法流布の時・生を此の土に受け此の経を信ぜん人は如来の在世より猶多怨嫉(ゆたおんしつ)の難・甚しかるべしと見えて候なり」と末法の法華経の行者に難が降りかかるのは必定であり、それに耐えて布教に励むことにより「万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば、吹く風枝をならさず・雨壤(つちくれ)を砕かず、代は羲農(ぎのう)の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理(ことわり)顕はれん時を各各御覧ぜよ」と伝え、弟子たちに妙法蓮華経の布教に励むよう諭す目的で本書をしたためた。
■ご真筆:現存しておりません。古写本:日尊書写(茨城県富久寺所蔵)。

[如説修行抄 本文] 

 夫れ以(おも)んみれば末法流布の時、生を此の土に受け・此の経を信ぜん人は如来の在世より猶多怨嫉(ゆた・おんしつ)の難・甚しかるべしと見えて候なり。其の故は在世は能化の主は仏なり、弟子又大菩薩・阿羅漢なり。人天・四衆・八部・人非人等なりといへども調機調養(じょうき・じょうよう)して法華経を聞かしめ給ふ・猶怨嫉多し。何(いか)に況(いわん)んや末法今の時は教機時刻当来すといへども・其の師を尋ぬれば凡師なり、弟子又闘諍堅固(とうじょう・けんご)・白法隠没(びゃくほう・おんもつ)・三毒強盛の悪人等なり。故に善師をば遠離(おんり)し悪師には親近す。其の上・真実の法華経の如説修行の行者の師弟檀那とならんには三類の敵人決定(けつじょう)せり。
 されば此の経を聴聞し始めん日より思い定むべし。況滅度後(きょうめつ・どご)の大難の三類甚しかるべしと。然るに我が弟子等の中にも兼ねて聴聞せしかども、大小の難来たる時は今始めて驚き、肝をけして信心を破りぬ。兼ねて申さざりけるか、経文を先として猶多怨嫉・況滅度後・況滅度後と朝夕教へし事は是なり。予が或は所を・をわれ、或は疵(きず)を蒙(こうむ)り、或は両度の御勘気を蒙りて遠国に流罪せらるるを見聞くとも・今始めて驚くべきにあらざる物をや。
 問うて云く、如説修行の行者は現世安穏なるべし。何が故ぞ三類の強敵・盛んならんや。
 答えて云く、釈尊は法華経の御為に今度(このたび)九横の大難に値(あ)ひ給ふ。過去の不軽(ふぎょう)菩薩は法華経の故に杖木瓦石(じょうもくがしゃく)を蒙り、竺(じく)の道生(どうしょう)は蘇山に流され、法道三蔵は面(かお)に火印(かなやき)をあてられ、師子尊者は頭をは(刎)ねられ、天台大師は南三・北七にあだまれ、伝教大師は六宗ににくまれ給へり。此等の仏菩薩・大聖等は法華経の行者として而も大難にあひ給へり。此れ等の人人を如説修行の人と云わずんば・いづくにか如説修行の人を尋ねん。
 然るに今の世は闘諍堅固・白法隠没なる上、悪国・悪王・悪臣・悪民のみ有りて正法を背きて邪法・邪師を崇重すれば、国土に悪鬼乱れ入りて三災・七難盛んに起これり。かかる時刻に日蓮仏勅(ぶっちょく)を蒙(こうむ)りて此の土に生れけるこそ時の不祥なれ。法王の宣旨背(そむ)きがたければ経文に任せて権実二教のいくさを起し、忍辱(にんにく)の鎧(よろい)を著て妙教の剣(つるぎ)を提(ひっさ)げ、一部八巻の肝心・妙法五字の旗を指し上げて未顕真実の弓をはり、正直捨権の箭(や)をはげて、大白牛車(だいびゃくごしゃ)に打乗つて権門をかつぱと破り、かしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ、念仏・真言・禅・律等の八宗・十宗の敵人をせむるに、或はにげ・或はひきしりぞき、或は生け取られし者は我が弟子となる。或はせめ返し・せめをとしすれども・かたきは多勢なり、法王の一人は無勢なり。今に至るまで軍(いくさ)やむ事なし。
 法華折伏・破権門理の金言なれば終に権教権門の輩(やから)を一人もなく・せめをとして法王の家人となし、天下万民・諸乗一仏乗と成つて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば、吹く風枝をならさず・雨壤(つちくれ)を砕かず・代は羲農(ぎのう)の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理(ことわり)顕はれん時を各各御覧ぜよ。現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり。
 問うて云く、如説修行の行者と申さんは何様(いかよう)に信ずるを申し候べきや。 
 答えて云く、当世・日本国中の諸人・一同に如説修行の人と申し候は諸乗一仏乗と開会しぬれば何れの法も皆法華経にして勝劣浅深ある事なし。念仏を申すも・真言を持つも・禅を修行するも・総じて一切の諸経並びに仏菩薩の御名を持ちて唱るも皆法華経なりと信ずるが如説修行の人とは云われ候なり等云云。
 予が云く、然らず。所詮・仏法を修行せんには人の言を用う可らず。只仰いで仏の金言をまほるべきなり。我等が本師・釈迦如来は初成道の始より法華を説かんと思食(おぼしめ)しかども、衆生の機根未熟なりしかば先ず権教たる方便を四十余年が間説きて後に真実たる法華経を説かせ給いしなり。此の経の序分・無量義経にして権実のはうじ(榜示)を指て、方便・真実を分け給へり。所謂(いわゆる)「以方便力・四十余年・未顕真実」是なり。大荘厳等の八万の大士、施権(せごん)・開権(かいごん)・廃権(はいごん)等のいはれを心得分け給いて領解(りょうげ)して言く、法華経已前の歴劫(りゃっこう)修行等の諸経は「終不得成・無上菩提」と申しきり給ひぬ。然(しか)して後、正宗の法華に至つて「世尊法久後・要当説真実」と説き給いしを始めとして「無二亦(やく)無三・除仏方便説」「正直捨方便」「乃至不受余経一偈(いちげ)」と禁(いまし)め給へり。
 是より已後は「唯有一仏乗」の妙法のみ一切衆生を仏になす大法にて・法華経より外(ほか)の諸経は一分の得益も・あるまじきに、末法の今の学者・何れも如来の説教なれば皆得道あるべしと思いて或は真言・或は念仏・或は禅宗・三論・法相・倶舎(ぐしゃ)・成実・律等の諸宗・諸経を取り取りに信ずるなり。是くの如き人をば「若人不信・毀謗此経(きぼう・しきょう)・即断一切世間仏種・乃至其人命終(ごにん・みょうじゅう)・入阿鼻獄」と定め給へり。此等のをきて(約)の明鏡を本として・一分もたがえず、唯有一乗法と信ずるを如説修行の人とは仏は定めさせ給へり。
 難じて云く、左様に方便権教たる諸経諸仏を信ずるを法華経と云はばこそ、只一経に限りて経文の如く五種の修行をこらし・安楽行品の如く修行せんは、如説修行の者とは云われ候まじきか如何。
 答えて云く、凡そ仏法を修行せん者は摂折(しょうしゃく)二門を知る可きなり。一切の経論・此の二を出でざるなり。されば国中の諸学者等・仏法をあらあら学すと云へども時刻相応の道をしらず。四節・四季・取り取りに替はれり。夏は熱く・冬はつめたく・春は花さき・秋は菓なる。春・種子(たね)を下(くだ)して秋・菓(み)を取るべし、秋種子を下して春菓(み)を取らんに豈(あに)取らる可けんや。極寒の時は厚き衣(きぬ)は用なり、極熱の夏はなにかせん。凉風は夏の用なり・冬はなにかせん。仏法も亦復(またまた)是くの如し。小乗の流布して得益あるべき時もあり、権大乗の流布して得益あるべき時もあり、実教の流布して仏果を得べき時もあり。
 然るに正像二千年は小乗権大乗の流布の時なり。末法の始めの五百年には純円・一実の法華経のみ広宣流布の時なり。此の時は闘諍堅固(とうじょうけんご)・白法隠没(びゃくほうおんもつ)の時と定めて権実雑乱の砌(みぎり)なり。敵有る時は刀杖弓箭(とうじょう・きゅうせん)を持つ可し、敵無き時は弓箭兵杖(へいじょう)何にかせん。今の時は権教即実教の敵と成るなり。一乗流布の時は権教有つて敵と成りて・まぎらはしくば実教より之を責む可し。是を摂折(しょうしゃく)二門の中には法華経の折伏と申すなり。天台云く「法華折伏・破権門理」と。まことに故あるかな。
 然るに摂受たる四安楽の修行を今の時行ずるならば、冬種子を下して春・菓を求むる者にあらずや。雞(にわとり)の暁(あかつき)に鳴くは用なり、宵(よい)に鳴くは物怪(もっけ)なり。権実雑乱の時・法華経の御敵を責めずして山林に閉じ篭り、摂受を修行せんは豈法華経修行の時を失なう物怪(もっけ)にあらずや。されば末法・今の時、法華経の折伏の修行をば誰か経文の如く行じ給へしぞ。誰人にても坐(おわ)せ諸経は無得道・堕地獄の根源・法華経独り成仏の法なりと、音(こえ)も惜まず・よばはり給いて諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ。三類の強敵来たらん事疑い無し。

 我等が本師・釈迦如来は在世八年の間・折伏し給ひ、天台大師は三十余年・伝教大師は二十余年、今日蓮は二十余年の間・権理を破す。其の間の大難数を知らず。仏の九横の難に及ぶか及ばざるは知らず。恐らくは天台・伝教も法華経の故に日蓮が如く大難に値い給いし事なし。彼は只悪口・怨嫉(おんしつ)計りなり、是は両度の御勘気・遠国に流罪せられ、竜口の頚の座・頭(こうべ)の疵(きず)等、其の外悪口せられ、弟子等を流罪せられ、篭(ろう)に入れられ、檀那の所領を取られ、御内を出だされし。是等の大難には竜樹・天台・伝教も争(いかで)か及び給うべき。されば如説修行の法華経の行者には三類の強敵打ち定んで有る可しと知り給へ。
 されば釈尊・御入滅の後、二千余年が間に如説修行の行者は釈尊・天台・伝教の三人は・さてをき候ぬ、末法に入つては日蓮並びに弟子檀那等是なり。我等を如説修行の者といはずば、釈尊・天台・伝教等の三人も如説修行の人なるべからず。提婆(だいば)・瞿伽利(くぎゃり)・善星・弘法・慈覚・智証・善導・法然・良観房等は即ち法華経の行者と云はれ、釈尊・天台・伝教・日蓮並びに弟子・檀那は念仏・真言・禅・律等の行者なるべし。法華経は方便権教と云はれ、念仏等の諸経は還つて法華経となるべきか。東は西となり・西は東となるとも、大地は持つ所の草木共に飛び上りて天となり、天の日月・星宿は共に落ち下りて地となるためしはありとも、いかでか此の理(ことわり)あるべき。
 哀れなるかな今・日本国の万民、日蓮並びに弟子檀那等が三類の強敵に責められ、大苦に値うを見て悦んで笑ふとも、昨日は人の上・今日は身の上なれば、日蓮並びに弟子檀那共に霜露の命の日影を待つ計りぞかし。只今仏果に叶いて寂光の本土に居住して自受法楽せん時、汝等が阿鼻(あび)大城の底に沈みて大苦に値わん時、我等・何計
(いかばかり)無慚(むざん)と思はんずらん、汝等・何計(いかばかり)うらやましく思はんずらん。
 一期(いちご)を過ぐる事・程も無ければいかに強敵重なるとも・ゆめゆめ退する心なかれ・恐るる心なかれ。縦(たと)ひ頚(くび)をば鋸(のこぎり)にて引き切り、どう(胴)をば・ひしほこ(稜鉾)を以て・つつき、足にはほだしを打つて・きり(錐)を以てもむとも、命のかよはんほどは南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と唱えて唱へ・死に死(しぬ)るならば、釈迦・多宝・十方の諸仏・霊山会上にして御契約なれば、須臾(しゅゆ)の程に飛び来たりて手をとり、肩に引き懸けて霊山(りょうぜん)へ・はしり給はば、二聖・二天・十羅刹女(じゅうらせつにょ)は受持の者を擁護(おうご)し、諸天善神は天蓋(てんがい)を指し、旛(はた)を上げて我等を守護して・慥(たし)かに寂光の宝刹(ほうせつ)へ送り給うべきなり。あらうれしや・あらうれしや。

 文永十年癸酉五月日     日蓮 花押

 人々御中へ

 此の書、御身を離さず常に御覧有る可く候




by johsei1129 | 2024-09-24 11:37 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)


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