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日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 04月 13日

妙法蓮華経と唱えることで己心中の仏性が呼ばれて必ず顕れる事を明らかにした書【法華初心成仏抄】五

[法華初心成仏抄 本文] その五

 問うて云く凡そ仏法を能く心得て仏意に叶へる人をば世間に是を重んじ一切是を貴む、然るに当世法華経を持つ人人をば世こぞつて悪み嫉み軽しめ賤み或は所を追ひ出し、或は流罪し供養をなすまでは思いもよらず怨敵の様ににくまるるは、いかさまにも心わろくして仏意にもかなはず・ひがさまに法を心得たるなるべし、経文には如何が説きたるや、答えて云く経文の如くならば末法の法華経の行者は人に悪まるる程に持つを実の大乗の僧とす、又経を弘めて人を利益する法師なり、人に吉と思はれ人の心に随いて貴しと思はれん僧をば法華経のかたき世間の悪知識なりと思うべし、此の人を経文には猟師の目を細めにして鹿をねらひ猫の爪を隠して鼠をねらふが如くにして在家の俗男・俗女の檀那をへつらい・いつわり・たぼらかすべしと説き給へり、其の上勧持品には法華経の敵人三類を挙げられたるに、一には在家の俗男・俗女なり此の俗男・俗女は法華経の行者を憎み罵り打ちはり・きり殺し所を追ひ出だし或は上へ讒奏して遠流し・なさけなくあだむ者なり、二には出家の人なり此の人は慢心高くして内心には物も知らざれども智者げにもてなして世間の人に学匠と思はれて法華経の行者を見ては怨み嫉み軽しめ、賤み犬野干よりも・わろきようを人に云いうとめ法華経をば我一人心得たりと思う者なり、三には阿練若(あれんにゃ)の僧なり此の僧は極めて貴き相を形に顕し三衣・一鉢を帯して山林の閑かなる所に篭り居て在世の羅漢の如く諸人に貴まれ仏の如く万人に仰がれて法華経を説の如くに読み持ち奉らん僧を見ては憎み嫉んで云く大愚癡の者・大邪見の者なり総て慈悲なき者・外道の法を説くなんど云わん、上一人より仰いで信を取らせ給はば其の已下万人も仏の如くに供養をなすべし、法華経を説の如くよみ持たん人は必ず此の三類の敵人に怨まるべきなりと仏説き給へり。

 問うて云く仏の名号を持つ様に法華経の名号を取り分けて持つべき証拠ありや如何、答えて云く経に云く「仏諸の羅刹女に告げたまわく善き哉善き哉汝等但能く法華の名を受持する者を擁護せん福量る可からず」と云云此の文の意は十羅刹の法華の名を持つ人を護らんと誓言を立て給うを大覚世尊讃めて言く善き哉善き哉汝等南無妙法蓮華経と受け持たん人を守らん功徳いくら程とも計りがたく・めでたき功徳なり神妙なりと仰せられたる文なり、是れ我等衆生の行住坐臥に南無妙法蓮華経と唱ふべしと云う文なり。

凡そ妙法蓮華経とは我等衆生の仏性と梵王・帝釈等の仏性と舎利弗・目連等の仏性と文殊・弥勒等の仏性と三世の諸仏の解(さとり)の妙法と一体不二なる理を妙法蓮華経と名けたるなり、故に一度妙法蓮華経と唱うれば一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔・法王・日月・衆星・天神・地神・乃至地獄・餓鬼・畜生・修羅・人天・一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚び顕し奉る功徳・無量無辺なり、我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり、譬えば篭の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し、空とぶ鳥の集まれば篭の中の鳥も出でんとするが如し口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ、されば「若し暫くも持つ者は我れ則ち歓喜す諸仏も亦然なり」と説き給うは此の心なり、されば三世の諸仏も妙法蓮華経の五字を以て仏に成り給いしなり三世の諸仏の出世の本懐・一切衆生・皆成仏道の妙法と云うは是なり。是等の趣きを能く能く心得て仏になる道には我慢偏執の心なく南無妙法蓮華経と唱へ奉るべき者なり。

                                              日蓮在御判

by johsei1129 | 2014-04-13 20:55 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)
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