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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 11月 30日

月氏国から東に渡ってきた仏法は、日出ずる国・日本から西に広まっていくことを示した書【諫暁八幡抄】三

[諫暁八幡抄 本文]その三

 而るを大菩薩の此の袈裟をはぎかへ(剝返)し給わざるは第一の大科なり。此の大菩薩は法華経の御座にして行者を守護すべき由の起請をかきながら、数年が間・法華経の大怨敵を治罰せざる事・不思議なる上、たまたま法華経の行者の出現せるを来たりて守護こそなさざらめ、我が前にして国主等の怨(あだ)する事・犬の猿をかみ・蛇の蝦(かわず)をのみ・鷹の雉(きじ)を・師子王の兎を殺すがごとくするを・一度もいましめず。設い・いましむるやうなれども・いつわりをろかなるゆへに梵釈・日月・四天等のせめを八幡大菩薩かほり給いぬるにや。
 例せば欽明天皇・敏達(びたつ)天皇・用明天皇、已上三代の大王・物部大連(もののべの・おおむらじ)・守屋(もりや)等がすすめに依りて宣旨を下して金銅の釈尊を焼き奉り、堂に火を放ち・僧尼をせめしかば、天より火・下(ふり)て内裏(だいり)をやく。其の上日本国の万民とが(失)なくして悪瘡をやみ・死ぬること大半に過ぎぬ。結句三代の大王・二人の大臣・其の外多くの王子・公卿等、或は悪瘡・或は合戦にほろび給いしがごとし。其の時・日本国の百八十(ももやそ)の神の栖(すみ)給いし宝殿皆焼け失せぬ。釈迦仏に敵する者を守護し給いし大科なり。
 又園城寺は叡山(えいざん)已前の寺なれども・智証大師の真言を伝えて今に長吏とがう(号)す。叡山の末寺たる事疑いなし。而るに山門の得分たる大乗の戒壇を奪い取りて園城寺に立てて叡山に随わじと云云。譬へば小臣が大王に敵し、子が親に不幸なるがごとし。かかる悪逆の寺を新羅(しんら)大明神みだれがわしく守護するゆへに・度度・山門に宝殿を焼(やか)る・此(かく)のごとし。
 今八幡大菩薩は法華経の大怨敵を守護して天火に焼かれ給いぬるか。例せば秦の始皇の先祖・襄王(じょうおう)と申せし王、神となりて始皇等を守護し給いし程に、秦の始皇・大慢をなして三皇五帝の墳典(ふんでん)をやき・三聖の孝経等を失いしかば、沛(はい)公と申す人・剣をもつて大蛇を切り死(ころし)ぬ。秦皇の氏神是なり。其の後・秦の代ほどなくほろび候いぬ。此れも又かくのごとし。安芸(あき)の国・いつく島の大明神は平家の氏神なり。平家ををごらせし失(とが)に伊勢太神宮・八幡等に神うちに打ち失われて其の後平家ほどなく・ほろび候いぬ。此れも又かくのごとし。

 法華経の第四に云く「仏滅度の後、能く其の義を解せんは是れ諸の天人世間の眼なり」等云云。日蓮が法華経の肝心たる題目を日本国に弘通し候は諸天・世間の眼にあらずや。眼には五あり。所謂・肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼なり。此の五眼は法華経より出生せさせ給う。故に普賢経に云く「此の方等経は是れ諸仏の眼なり。諸仏是れに因って五眼を具する事を得給う」等云云。此の方等経と申すは法華経を申すなり。又此の経に云く「人天の福田・応供(おうぐ)の中の最なり」等云云。此等の経文のごとくば妙法蓮華経は人天の眼(まなこ)、二乗・菩薩の眼、諸仏の御眼なり。
 而るに法華経の行者を怨(あだ)む人は人天の眼をくじる者なり。其の人を罰せざる守護神は一切の人天の眼をくじる者を結構し給う神なり。而るに弘法・慈覚・智証等は正しく書を作りて法華経を無明の辺域にして明の分位に非ず、後に望れば戯論(けろん)と作る。力者(りきしゃ)に及ばず・履者(はきもの)とりにたらずと・かきつけて四百余年、日本国の上(かみ)一人より下・万民にいたるまで法華経をあなづらせ、一切衆生の眼をくじる者を守護し給うはあに八幡大菩薩の結構にあらずや。
 去ぬる弘長と又去ぬる文永八年九月の十二日に・日蓮一分の失(とが)なくして南無妙法蓮華経と申す大科に・国主のはからいとして八幡大菩薩の御前にひきはらせて、一国の謗法の者どもに・わらわせ給いしは、あに八幡大菩薩の大科にあらずや。其のいましめと・をぼしきは・ただどしうち(同士打)ばかりなり。日本国の賢王たりし上・第一第二の御神なれば八幡に勝れたる神は・よもをはせじ、又偏頗(へんぱ)はよも有らじとは・をもへども、一切経並びに法華経のをきて(掟)のごときんば・この神は大科の神なり。

 日本六十六箇国二つの島、一万一千三十七の寺寺の仏は皆・或は画像・或は木像・或は真言已前の寺もあり・或は已後の寺もあり。此等の仏は皆法華経より出生せり。法華経をもつて眼とすべし。所謂「此の方等経は是れ諸仏の眼なり」等云云。妙楽云く「然も此の経は常住仏性を以て咽喉(のんど)と為し、一乗の妙行を以て眼目と為し、再生敗種を以て心腑(しんぷ)と為し、顕本遠寿(けんぽん・おんじゅ)を以て其の命と為す」等云云。
 而るを日本国の習い・真言師にもかぎらず・諸宗一同に仏眼の印をもつて開眼し・大日の真言をもつて五智を具すと云云。此等は法華経にして仏になれる衆生を真言の権経にて供養すれば還(かえ)つて仏を死(ころ)し、眼をくじり、寿命(いのち)を断ち、喉(のんど)をさきなんどする人人なり。提婆(だいば)が教主釈尊の身より血を出し、阿闍世(あじゃせ)王の彼の人を師として現罰に値(あ)いしに、いかでか・をとり候べき。八幡大菩薩は応神天皇・小国の王なり、阿闍世王は摩竭(まかつ)大国の大王なり。天と人と、王と民との勝劣なり。而れども阿闍世王・猶釈迦仏に敵をなして悪瘡身に付き給いぬ。八幡大菩薩いかでか其の科(とが)を脱るべき。去ぬる文永十一年に大蒙古よりよせて日本国の兵(つわもの)を多くほろぼすのみならず、八幡の宮殿すでにやかれぬ。其の時何ぞ彼の国の兵を罰し給はざるや。まさに知るべし、彼の国の大王は此の国の神に勝れたる事あきらけし。襄王(じょうおう)と申せし神は漢土の第一の神なれども、沛公(はいこう)が利劒に切られ給いぬ。

 此れをもつてをもうべし。道鏡法師、称徳天皇の心よせと成りて国王と成らんとせし時、清丸(きよまろ)・八幡大菩薩に祈請せし時、八幡の御託宣に云く「夫れ神に大小好悪有り、乃至彼は衆(おお)く・我は寡(すくな)し、邪は強く・正は弱し、乃ち当に仏力の加護を仰いで為めに皇緒(こうちょ)を紹隆(しょうりゅう)すべし」等云云。当に知るべし八幡大菩薩は正法を力として王法を守護し給いけるなり。叡山・東寺等の真言の邪法をもつて権(ごん)の大夫殿を調伏せし程に、権の大夫殿はかたせ給い、隠岐(おき)の法皇はまけさせ給いぬ。還著於本人(げんちゃくおほんにん)此れなり。




by johsei1129 | 2019-11-30 10:22 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)


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