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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 11月 09日

末法の本尊とは「法華経の題目を以て本尊とすべし」と明らかにした書【本尊問答抄】その一

【本尊問答抄(ほんぞんもんどうしょう】英語版

■出筆時期:弘安元年九月(西暦1278年) 五十七歳御作
■出筆場所:身延山 草庵にて述作
■出筆の経緯:大聖人が幼少の頃修行した清澄寺時代の兄弟子・浄顕房(後に大聖人に帰依)からの本尊についての質問に答えられている。内容は『末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや。答えて云く法華経の題目を以て本尊とすべし』と、明言されている。
尚、大聖人は五十二歳の時、佐渡の地で末法の法本尊について詳細にあかした【観心本尊抄】を書かれると共に、実際にご本尊を自ら墨にてしたためられている。またその年、ご本尊をご下付された信徒に宛てた書【経王殿御返事】のなかで、本尊について『日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意(みこころ)は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし』と書き記し、諸法実相の体としての『妙法蓮華経』を具現した、末法の本仏の魂魄(こんぱく)をしたためたのが「末法の本尊」であることを明らかにしている。
■ご真筆: 現存していない。時代写本:日興上人書写[断片](北山本門寺 蔵)、日興上人書写(日蓮正宗富久成寺 蔵)

[本尊問答抄 本文] その一 英語版
 
 問うて云く、末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや。
 答えて云く、法華経の題目を以て本尊とすべし。
 問うて云く、何れの経文・何れの人師の釈にか出でたるや。
 答う、法華経の第四法師品に云く「薬王・在在処処に若しは説き、若しは読み、若しは誦(じゅ)し、若しは書き、若しは経巻所住の処には皆応に七宝の塔を起てて極めて高広厳飾(こうこうごんじき)なら令(し)むべし。復舎利を安んずることを須(もち)いじ。所以は何ん。此の中には已に如来の全身有(いま)す」等云云。
 涅槃経の第四如来性品に云く「復次に迦葉、諸仏の師とする所は所謂法なり。是の故に如来恭敬(くぎょう)供養す。法常なるを以ての故に諸仏も亦常なり」云云。
 天台大師の法華三昧に云く「道場の中に於て好き高座を敷き、法華経一部を安置し亦必ずしも形像(ぎょうぞう)舎利並びに余の経典を安(お)くべからず。唯法華経一部を置け」等云云。
 疑つて云く、天台大師の摩訶止観の第二の四種三昧の御本尊は阿弥陀仏なり。不空三蔵の法華経の観智の儀軌は釈迦・多宝を以て法華経の本尊とせり。汝何ぞ此等の義に相違するや。
 答えて云く、是れ私の義にあらず、上に出だすところの経文並びに天台大師の御釈なり。但し摩訶止観の四種三昧の本尊は阿弥陀仏とは彼は常坐・常行・非行非坐の三種の本尊は阿弥陀仏なり。文殊問経・般舟(はんじゅ)三昧経・請観音(しょうかんのん)経等による。是れ爾前の諸経の内・未顕真実の経なり。
 半行半坐三昧には二あり。一には方等経の七仏・八菩薩等を本尊とす、彼の経による。二には法華経の釈迦・多宝等を引き奉れども法華三昧を以て案ずるに、法華経を本尊とすべし。不空三蔵の法華儀軌は宝塔品の文によれり。此れは法華経の教主を本尊とす。法華経の正意にはあらず。上に挙ぐる所の本尊は釈迦・多宝・十方の諸仏の御本尊・法華経の行者の正意なり。
 問うて云く、日本国に十宗あり。所謂・倶舎・成実・律・法相・三論・華厳・真言・浄土・禅・法華宗なり。此の宗は皆本尊まちまちなり。所謂・倶舎・成実・律の三宗は劣応身の小釈迦なり。法相三論の二宗は大釈迦仏を本尊とす。華厳宗は台上のるさな(盧遮那)報身の釈迦如来、真言宗は大日如来、浄土宗は阿弥陀仏、禅宗にも釈迦を用いたり。何ぞ天台宗に独り法華経を本尊とするや。
 答う、彼等は仏を本尊とするに・是は経を本尊とす其の義あるべし。
 問う、其の義如何。仏と経といづれか勝れたるや。
 答えて云く、本尊とは勝れたるを用うべし。例せば儒家には三皇五帝を用いて本尊とするが如く、仏家(ぶっけ)にも又釈迦を以て本尊とすべし。
 問うて云く、然らば汝・云何ぞ釈迦を以て本尊とせずして法華経の題目を本尊とするや。
 答う、上に挙ぐるところの経釈を見給へ。私の義にはあらず。釈尊と天台とは法華経を本尊と定め給へり。末代今の日蓮も仏と天台との如く、法華経を以て本尊とするなり。其の故は法華経は釈尊の父母・諸仏の眼目なり。釈迦・大日総じて十方の諸仏は法華経より出生(しゅっしょう)し給へり。故に今能生を以て本尊とするなり。
 問う、其の証拠如何。
 答う、普賢経に云く「此の大乗経典は諸仏の宝蔵なり。十方三世の諸仏の眼目なり。三世の諸の如来を出生する種なり」等云云。又云く「此の方等経は是れ諸仏の眼なり。諸仏は是に因つて五眼を具することを得たまえり。仏の三種の身は方等より生ず。是れ大法印にして涅槃海を印す。此くの如き海中より能く三種の仏の清浄の身を生ず。此の三種の身は人天の福田・応供(おうぐ)の中の最なり」等云云。
 此等の経文、仏は所生・法華経は能生、仏は身なり法華経は神(たましい)なり。然れば則ち木像・画像の開眼供養は唯法華経にかぎるべし。而るに今木画の二像をまうけて大日仏眼の印と真言とを以て開眼供養をなすは・もと(最)も逆なり。


[本尊問答抄 本文] その二に続く




by johsei1129 | 2019-11-09 21:20 | 御書十大部(五大部除く) | Trackback | Comments(0)


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