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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 10月 14日

『妙法蓮華経』こそが末法弘通の本尊であることを明かした書『法華取要抄』 その二

[法華取要抄 本文] その二
 夫れ諸宗の人師等或は旧訳の経論を見て新訳の聖典を見ず或は新訳の経論を見て旧訳を捨置き或は自宗の曲に執著して己義に随い愚見(ぐけん)を注(ちゅう)し止めて後代に之を加添す。
株杭(くいぜ)に驚き騒ぎて兎獣(うさぎ)を尋ね求め智円扇(ちえんせん)に発して仰いで天月を見る非を捨て理を取るは智人なり。
今末の論師・本の人師の邪義を捨て置いて専ら本経本論を引き見るに、五十余年の諸経の中に法華経第四法師品の中の已今当の三字最も第一なり。

諸の論師・諸の人師定めて此経文を見けるか、然りと雖も或は相似の経文に狂い或は本師の邪会(じゃえ)に執し或は王臣等の帰依を恐るるか、所謂金光明経の「是諸経之王」密厳経(みつごんきょう)の「一切経中勝」六波羅蜜経の「総持(そうじ)第一」大日経の「云何菩提(うんがぼだい)」華厳経の「能信是経(のうしんぜきょう)・最為難(さいいなん)」般若経の「会入法性(えにゅうほっしょう)・不見一事」大智度論の「般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)最第一」涅槃論の「今者涅槃理(こんじゃねはんり)」等なり。

此等の諸文は法華経の已今当の三字に相似せる文なり。然りと雖も或は梵帝・四天等の諸経に対当すれば是れ諸経の王なり或は小乗経に相対すれば諸経の中の王なり、或は華厳(けごん)・勝鬘(しょうまん)等の経に相対すれば一切経の中に勝れたり全く五十余年の大小・権実・顕密の諸経に相対して是れ諸経の王の大王なるに非ず、所詮所対を見て経経の勝劣を弁(わきま)うべきなり。
強敵を臥伏(ふくふ)するに始て大力を知見する是なり、其の上諸経の勝劣は釈尊一仏の浅深なり全く多宝分身の助言を加うるに非ず私説を以て公事に混ずる事勿(なか)れ、

諸経は或は二乗凡夫に対揚(たいよう)して小乗経を演説し、或は文殊(もんじゅ)・解脱月(げだつがつ)・金剛薩埵(こんごうさった)等の弘伝の菩薩に対向して全く地涌千界の上行等には非ず、今・法華経と諸経とを相対するに一代に超過(ちょうか)すること二十種之有り、其の中最要二有り所謂三五の二法なり三とは三千塵点劫(じんてんごう)なり諸経は或は釈尊の因位を明すこと或は三祇(ぎ)・或は動逾塵劫(そうゆじんごう)・或は無量劫なり、梵王(ぼんのう)云く此の土には二十九劫より已来(このかた)知行の主なり第六天・帝釈・四天王等も以て是くの如し、釈尊と梵王等と始めて知行の先後之を諍論(じょうろん)す、爾りと雖も一指を挙げて之を降伏してより已来(このかた)梵天頭を傾け魔王掌(たなごころ)を合せ三界の衆生をして釈尊に帰伏せしむる是なり、又諸仏の因位と釈尊の因位と之を糾明(きゅうめい)するに、諸仏の因位は或は三祇(ぎ)或は五劫等なり釈尊の因位は既に三千塵点劫(じんてんごう)より已来娑婆(しゃば)世界の一切衆生の結縁の大士なり。

此の世界の六道の一切衆生は他土の他の菩薩に有縁の者一人も之無し、法華経に云く「爾(そ)の時に法を聞く者は各諸仏の所に在り」等云云、天台云く「西方は仏別に縁異り故に子父の義成せず」等云云。
妙楽云く「弥陀釈迦二仏既に殊なり、況や宿昔(むかし)の縁別にして化導同じからざるをや、結縁は生の如く成熟は養の如し、生養縁異れば父子成ぜず」等云云、当世日本国の一切衆生弥陀の来迎(らいごう)を待つは譬えば牛の子に馬の乳を含め瓦の鏡に天月を浮ぶるが如し、又果位を以て之を論ずれば諸仏如来或は十劫・百劫・千劫已来(いらい)の過去の仏なり。

教主釈尊は既に五百塵点劫(じんてんごう)より已来妙覚果満の仏なり大日如来・阿弥陀如来・薬師如来等の尽十方の諸仏は我等が本師教主釈尊の所従等なり、天月の万水に浮ぶ是なり、華厳経の十方台上の毘盧遮那(びるしゃな)・大日経・金剛頂経(こんごうちょうきょう)・両界の大日如来は宝塔品の多宝如来の左右の脇士なり、例せば世の王の両臣の如し此の多宝仏も寿量品の教主釈尊の所従なり、此の土の我等衆生は五百塵点劫より已来教主釈尊の愛子なり不孝の失(とが)に依つて今に覚知(かくち)せずと雖も他方の衆生には似る可からず、有縁の仏と結縁の衆生とは譬えば天月の清水に浮ぶが如く無縁の仏と衆生とは譬えば聾者(みみしい)の雷(らい)の声を聞き盲者の日月に向うが如し。

而るに或る人師は釈尊を下して大日如来を仰崇(ぎょうすう)し或る人師は世尊は無縁なり阿弥陀(あみだ)は有縁なり、或る人師の云く小乗の釈尊と或は華厳経の釈尊と或は法華経迹門の釈尊と此等の諸師並びに檀那等釈尊を忘れて諸仏を取ることは例せば阿闍世太子(あじゃせたいし)の頻婆沙羅王(びんばしゃらおう)を殺し釈尊に背いて提婆達多に付きしが如し、二月十五日は釈尊御入滅の日乃至十二月十五日も三界慈父の御遠忌(おんき)なり、善導・法然・永観等の提婆達多に誑(たぶらか)されて阿弥陀仏の日と定め畢(おわ)んぬ、四月八日は世尊御誕生の日なり薬師仏に取り畢んぬ、我が慈父の忌日(きじつ)を他仏に替るは孝養の者なるか如何、寿量品に云く「我も亦為(こ)れ世の父・狂子を治する為の故に」等云云、天台大師云く「本此の仏に従つて初めて道心を発す亦此の仏に従つて不退地に住す乃至猶百川の海に潮すべきが如く縁に牽(ひ)かれて応生すること亦復(またまた)是くの如し」等云云。

 問うて云く法華経は誰人の為に之を説くや。
答えて曰く方便品より人記品に至るまでの八品に二意有り、上より下に向て次第に之を読めば第一は菩薩・第二は二乗・第三は凡夫なり。安楽行より勧持(かんじ)・提婆(だいば)・宝塔・法師と逆次に之を読めば滅後の衆生を以て本と為す。在世の衆生は傍なり滅後を以て之を論ずれば正法一千年像法一千年は傍なり。末法を以て正と為す。

末法の中には日蓮を以て正と為すなり。問うて曰く其の証拠如何、答えて曰く況滅度後の文是なり、疑つて云く日蓮を正と為す正文如何、答えて云く「諸の無智の人有つて・悪口罵詈(めり)等し・及び刀杖を加うる者」等云云、問うて曰く自讃(じさん)は如何、答えて曰く喜び身に余るが故に堪え難くして自讃するなり。

問うて曰く本門の心如何、答えて曰く本門に於て二の心有り一には涌出品(ゆじゅつほん)の略開近顕遠(りゃっかいごんけんのん)は前四味並に迹門の諸衆をして脱せしめんが為なり、二には涌出品の動執生疑(どうしゅうしょうぎ)より一半並びに寿量品・分別功徳品の半品已上一品二半を広開近顕遠(こうかいごんけんのん)と名く一向に滅後の為なり。

問うて曰く略開近顕遠の心如何、答えて曰く文殊弥勒(もんじゅみろく)等の諸大菩薩・梵天・帝釈・日月・衆星・竜王等初成道の時より般若(はんにゃ)経に至る已来(このかた)は一人も釈尊の御弟子に非ず此等の菩薩天人は初成道の時仏未だ説法したまわざる已前に不思議解脱に住して我と別円二教を演説す釈尊其の後に阿含(あごん)・方等・般若を宣説し給う。然りと雖も全く此等の諸人の得分に非ず、既に別円二教を知りぬれば蔵通をも又知れり、勝は劣を兼ぬる是なり。委細(いさい)に之を論ぜば或は釈尊の師匠なるか、善知識とは是なり、釈尊に随うに非ず。
法華経の迹門の八品に来至して始めて未聞の法を聞いて此等の人人は弟子と成りぬ。舎利弗目連(しゃりほつもくれん)等は鹿苑(ろくおん)より已来初発心の弟子なり、然りと雖も権法のみを許せり。今法華経に来至して実法を授与(じゅよ)し法華経本門の略開近顕遠(りゃっかいごんけんのん)に来至して華厳よりの大菩薩・二乗・大梵天・帝釈・日月・四天・竜王等は位妙覚に隣り又妙覚の位に入るなり。若し爾(しか)れば今我等天に向つて之を見れば生身の妙覚の仏本位に居して衆生を利益する是なり。

問うて曰く誰人の為に広開近顕遠(こうかいごんけんのん)の寿量品を演説するや、答えて曰く寿量品の一品二半は始より終に至るまで正く滅後衆生の為なり滅後の中には末法今時の日蓮等が為なり。
疑つて云く此の法門前代に未だ之を聞かず経文に之れ有りや、答えて曰く予が智前賢(ちぜんけん)に超えず設(たと)い経文を引くと雖も誰人か之を信ぜん卞和(べんか)が啼泣(ていきゅう)・伍子胥(ごししょ)が悲傷是なり、然りと雖も略開近顕遠・動執生疑(どうしゅうしょうぎ)の文に云く「然も諸の新発意(しんぽっち)の菩薩・仏の滅後に於て若し是の語を聞かば或は信受せずして法を破する罪業の因縁を起さん」等云云、文の心は寿量品を説かずんば末代の凡夫皆悪道に堕せん等なり、寿量品に云く「是の好き良薬を今留めて此に在く」等云云、文の心は上は過去の事を説くに似たる様なれども此の文を以て之れを案ずるに滅後を以て本と為す先ず先例を引くなり、分別功徳品に云く「悪世末法の時」等云云、神力品に云く「仏滅度の後に能く是の経を持たんを以つての故に諸仏皆歓喜(かんき)して無量の神力を現じ給う」等云云、薬王品(やくおうぼん)に云く「我が滅度の後・後の五百歳の中に広宣流布して閻浮提(えんぶだい)に於て断絶せしむること無けん」等云云、又云く「此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり」等云云、涅槃経(ねはんぎょう)に云く「譬えば七子の如し父母平等ならざるに非ざれども然も病者に於て心則ち偏(ひとえ)に重し」等云云、七子の中の第一第二は一闡提謗法(いっせんだいほうぼう)の衆生なり諸病の中には法華経を謗ずるが第一の重病なり、諸薬の中には南無妙法蓮華経は第一の良薬なり、此の一閻浮提(いちえんぶだい)は縦広(じゅうこう)七千由善那(ゆぜんな)八万の国之れ有り正像二千年の間未だ広宣流布せざるに法華経当世に当つて流布せしめずんば釈尊は大妄語の仏・多宝仏の証明は泡沫に同じく十方分身の仏の助舌も芭蕉(ばしょう)の如くならん。

 疑つて云く多宝の証明・十方の助舌(じょぜつ)・地涌の涌出此等は誰人の為ぞや、答えて曰く世間の情に云く在世の為と、日蓮云く舎利弗・目犍(もくけん)等は現在を以て之を論ずれば智慧第一・神通第一の大聖なり、過去を以て之を論ずれば金竜陀仏(こんりゅうだぶつ)・青竜陀仏(せいりゅうだぶつ)なり、未来を以て之を論ずれば華光如来、霊山を以て之を論ずれば三惑頓尽(さんなくとんじん)の大菩薩、本を以て之を論ずれば内秘外現の古菩薩なり、文殊・弥勒等の大菩薩は過去の古仏・現在の応生なり、梵帝(ぼんたい)・日月・四天等は初成已前の大聖なり、其の上前四味・四教・一言に之を覚りぬ・仏の在世には一人に於ても無智の者之れ無し誰人の疑を晴さんが為に多宝仏の証明を借り諸仏舌を出し地涌の菩薩を召さんや方方以て謂(いわ)れ無き事なり、経文に随つて「況滅度後・令法久住」等云云、此等の経文を以て之を案ずるに偏に我等が為なり、随つて天台大師当世を指して云く「後の五百歳遠く妙道に沾(うるお)わん」伝教大師当世を記して云く「正像稍(やや)過ぎ已つて末法太(はなは)だ近きに有り」等云云、「末法太有近」の五字は我が世は法華経流布の世に非ずと云う釈なり。

[法華取要抄 本文] その三に続く


by johsei1129 | 2019-10-14 20:19 | 御書十大部(五大部除く) | Trackback | Comments(0)
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