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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 10月 26日

末法において報恩とは「妙法蓮華経」を説き仏身に入らしめる事であることをあかした書『報恩抄』 その六

[報恩抄 本文] その六
 問うて云く、此の法・実にいみじくば、など迦葉・阿難・馬鳴・竜樹・無著(むじゃく)・天親・南岳・天台・妙楽・伝教等は、善導が南無阿弥陀仏とすすめて漢土に弘通せしがごとく、慧心・永観(ようかん)・法然が日本国を皆阿弥陀仏になしたるがごとく・すすめ給はざりけるやらん。
 答えて云く、此の難は古の難なり。今はじめたるにはあらず。馬鳴・竜樹菩薩等は仏の滅後・六百年・七百年等の大論師なり。此の人人・世にいでて大乗経を弘通せしかば、諸諸の小乗の者・疑つて云く、迦葉・阿難等は仏の滅後・二十年・四十年・住寿し給いて正法をひろめ給いしは如来一代の肝心をこそ弘通し給いしか。而るに此の人人は但苦・空・無常・無我の法門をこそ詮とし給いしに、今・馬鳴・竜樹等かしこしといふとも迦葉・阿難等にはすぐべからず・是一。
 迦葉は仏にあ(値)ひまいらせて解(げ)をえたる人なり。此の人人は仏にあひたてまつらず・是二。
 外道は常・楽・我・浄と立てしを仏・世に出でさせ給いて苦・空・無常・無我と説かせ給いき。此のものどもは常・楽・我・浄といへり。されば仏も御入滅なり又迦葉等もかくれさせ給いぬれば第六天の魔王が此のものどもが身に入りかはりて仏法をやぶり・外道の法となさんとするなり。
 されば仏法のあだ(仇)をば頭をわれ・頚をきれ・命をた(断)て・食(じき)を止めよ・国を追へと、諸の小乗の人人申せしかども馬鳴・竜樹等は但・一二人なり。昼夜に悪口の声をきき、朝暮に杖木をかう(被)ぶりしなり。而れども此の二人は仏の御使ひぞかし。正(まさし)く摩耶経には六百年に馬鳴出で、七百年に竜樹出でんと説かれて候。其の上・楞伽経等にも記せられたり、又付法蔵経には申すにをよばず。されども諸の小乗のものどもは用いず、但めくらぜめ(理不尽)にせめしなり。「如来現在・猶多怨嫉・況滅度後」の経文は此の時にあたりて少し・つみしられけり。提婆菩薩の外道にころされ、師子尊者の頚をきられし、此の事をもつて・おもひやらせ給へ。
 又仏滅後・一千五百余年にあたりて月氏よりは東に漢土といふ国あり。陳隋の代に天台大師出世す。此の人の云く、如来の聖教に大あり小あり・顕あり密あり・権あり実あり。迦葉・阿難等は一向に小を弘め、馬鳴・竜樹・無著・天親等は権大乗を弘めて実大乗の法華経をば・或は但指をさして義をかくし・或は経の面(おもて)をのべて始中終をのべず・或は迹門をのべて本門をあらはさず・或は本迹あつて観心なしといひしかば、南三・北七の十流が末(すえ)・数千万人、時をつくり・どつとわらふ。世の末になるままに不思議の法師も出現せり。時にあたりて我等を偏執する者はありとも後漢の永平十年丁卯(ひのとう)の歳より今・陳隋にいたるまでの三蔵・人師・二百六十余人をものもしらずと申す上、謗法の者なり・悪道に墜つるといふ者・出来せり。あまりの・ものくるはしさに法華経を持て来たり給へる羅什三蔵をも・ものしらぬ者と申すなり。漢土はさてもをけ、月氏の大論師・竜樹・天親等の数百人の四依の菩薩もいまだ実義をのべ給はずといふなり。此をころしたらん人は鷹をころしたるものなり、鬼をころすにも・すぐべしとののしりき。又妙楽大師の時・月氏より法相・真言わたり、漢土に華厳宗の始まりたりしを・とかく(兎角)せめしかば・これも又さはぎしなり。
 日本国には伝教大師が仏滅後・一千八百年にあたりて・いでさせ給い、天台の御釈を見て・欽明より已来二百六十余年が間の六宗をせめ給いしかば、在世の外道・漢土の道士・日本に出現せりと謗ぜし上、仏滅後・一千八百年が間・月氏・漢土・日本になかりし円頓の大戒を立てんというのみならず、西国の観音寺の戒壇、東国下野(しもつけ)の小野寺の戒壇、中国大和の国・東大寺の戒壇は同く小乗臭糞(しゅうふん)の戒なり、瓦石(がしゃく)のごとし、其れを持つ法師等は野干・猿猴(えんこう)等のごとしとありしかば、あら不思議や、法師に・にたる大蝗虫(おおいなむし)国に出現せり。仏教の苗・一時に・う(失)せなん。殷の紂・夏の桀・法師となりて日本に生まれたり、後周の宇文・唐の武宗・二(ふた)たび世に出現せり。仏法も但今失せぬべし、国もほろびなんと大乗・小乗の二類の法師出現せば、修羅と帝釈と、項羽と高祖と、一国に並べるなるべしと・諸人手をたたき・舌をふるふ。在世には仏と提婆が二(ふたつ)の戒壇ありて・そこばくの人人・死にき。されば他宗には・そむくべし、我が師天台大師の立て給はざる円頓の戒壇を立つべしという不思議さよ。あらおそろし・おそろしと・ののしりあえりき。されども経文分明にありしかば叡山の大乗戒壇すでに立てさせ給いぬ。
 されば内証は同じけれども法の流布(るふ)は迦葉・阿難よりも馬鳴・竜樹等はすぐれ、馬鳴等よりも天台はすぐれ、天台よりも伝教は超えさせ給いたり。世末になれば人の智はあさく・仏教はふかくなる事なり。例せば軽病は凡薬・重病には仙薬、弱人(よわきひと)には強きかたうど有りて扶くるこれなり。
 問うて云く、天台・伝教の弘通し給わざる正法ありや。
 答えて云く、有り。
 求めて云く、何物ぞや。
 答えて云く、三つあり。末法のために仏・留め置き給う。迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・天台・伝教等の弘通せさせ給はざる正法なり。
 求めて云く、其の形貌(ぎょうみょう)如何。
 答えて云く、一つには日本・乃至一閻浮提、一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂(いわゆる)宝塔の内の釈迦多宝・外(そのほか)の諸仏・並びに上行等の四菩薩、脇士(きょうじ)となるべし。
 二つには本門の戒壇。
 三つには日本・乃至漢土・月氏・一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず、一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし。此の事いまだ・ひろまらず、一閻浮提の内に仏滅後・二千二百二十五年が間一人も唱えず。日蓮一人・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と声も・をしまず唱うるなり。例せば風に随つて波の大小あり、薪によつて火の高下あり、池に随つて蓮(はちす)の大小あり。雨の大小は竜による、根ふかければ枝しげし、源遠ければ流れながしという・これなり。
 周の代の七百年は文王の礼・孝による。秦の世ほどもなし・始皇の左道によるなり。日蓮が慈悲曠大(こうだい)ならば南無妙法蓮華経は万年の外(ほか)・未来までもなが(流布)るべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ。此の功徳は伝教・天台にも超へ竜樹・迦葉にもすぐれたり。
 極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず。正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか。是れひとへに日蓮が智のかしこきには・あらず。時のしからしむる耳(のみ)。春は花さき・秋は菓(このみ)なる、夏は・あたた(暖)かに・冬はつめたし。時のしからしむるに有らずや。
 「我滅度の後・後の五百歳の中に広宣流布して、閻浮提に於て断絶して悪魔・魔民・諸の天竜・夜叉・鳩槃荼(くはんだ)等に其の便りを得せしむること無けん」等云云。
 此の経文・若しむなしくなるならば、舎利弗は華光如来とならじ、迦葉尊者は光明如来とならじ、目犍(もっけん)は多摩羅跋栴檀香仏(たまらばつ・せんだんこうぶつ)とならじ、阿難は山海慧自在通王仏とならじ、摩訶波闍波提(まかはじゃはだい)比丘尼は一切衆生喜見仏とならじ、耶輸陀羅(やしゅたら)比丘尼は具足千万光相仏とならじ。三千塵点も戯論となり、五百塵点も妄語となりて、恐らくは教主釈尊は無間地獄に堕ち、多宝仏は阿鼻の炎にむせび、十方の諸仏は八大地獄を栖とし、一切の菩薩は一百三十六の苦しみをうくべし。いかでかその義候べき。其の義なくば日本国は一同の南無妙法蓮華経なり。
 されば花は根にかへり、果(このみ)は土にとどまる。此の功徳は故道善房の聖霊(しょうりょう)の御身にあつまるべし。南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。

 建治二年太歳丙子七月二十一日        之を記す

 甲州・波木井郷(はきりのごう)身延山より安房の国・東条の郡・清澄山、浄顕房・義成房の許に奉送(ぶそう)す。


【報恩抄送文】

 御状給はり候ひ畢(おわん)ぬ。
 親疎(しんそ)と無く法門と申すは心に入れぬ人には・いはぬ事にて候ぞ。御心得候へ。
 御本尊図して進(まいらせ)候。此の法華経は仏の在世よりも仏の滅後、正法よりも像法、像法よりも末法の初めには次第に怨敵強くなるべき由をだにも御心へあるならば、日本国に是より外に法華経の行者なし。これを皆人存じ候ぬべし。
 道善御房の御死去の由、去(いぬ)る月・粗承わり候。自身早早と参上し此の御房をも・やがてつかはすべきにて候しが、自身は内心は存ぜずといへども人目には遁世のやうに見えて候へば、なにとなく此の山を出でず候。
 此の御房は又内内・人の申し候しは、宗論や・あらんずらんと申せしゆへに、十方にわ(分)かて経論等を尋ねしゆへに国国の寺寺へ人をあまたつかはして候に、此の御房は・するがの国へつかはして当時こそ来たりて候へ。
 又此の文は随分大事の大事どもをかきて候ぞ。詮なからん人人にきかせなば・あしかりぬべく候。又設い・さなくとも・あまたになり候はば・ほかさま(外様)にも・きこえ候なば・御ため又このため安穏ならず候はんか。御まへ(前)と義成房と二人、此の御房をよみてとして・嵩(かさ)がもりの頂にて二三遍、又故道善御房の御はかにて一遍よませさせ給いては・此の御房にあづけさせ給いてつねに御聴聞候へ。たびたびになり候ならば心づかせ給う事候なむ。恐恐謹言。

 七月二十六日         日 蓮 花 押

  清澄御房




by johsei1129 | 2019-10-26 21:11 | 報恩抄(御書五大部) | Trackback | Comments(0)


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