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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 10月 26日

末法において報恩とは「妙法蓮華経」を説き仏身に入らしめる事であることをあかした書『報恩抄』 その二

[報恩抄 本文] その二
 随つて法華経の文を開き奉れば「此の法華経は諸経の中に於て最も其の上に在り」等云云。此の経文のごとくば須弥山の頂に帝釈の居(おる)がごとく輪王(りんのう)の頂に如意宝珠のあるがごとく衆木(しゅぼく)の頂に月のやどるがごとく諸仏の頂に肉髻の住せるがごとく此の法華経は華厳経・大日経・涅槃経等の一切経の頂上の如意宝珠なり。
 されば専ら論師人師をすてて経文に依るならば、大日経・華厳経等に法華経の勝れ給えることは日輪の青天に出現せる時眼(まなこ)あきらかなる者の天地を見るがごとく、高下宛然(こうげおんねん)なり、又大日経・華厳経等の一切経をみるに此の経文に相似の経文・一字・一点もなし、或は小乗経に対して勝劣をとかれ或は俗諦に対して真諦をとき或は諸の空仮に対して中道をほめたり。
 
 譬へば小国の王が我が国の臣下に対して大王というがごとし、法華経は諸王に対して大王等と云云、但涅槃経計(ばかり)こそ法華経に相似の経文は候へ、されば天台已前の南北の諸師は迷惑して法華経は涅槃経に劣(おとる)と云云。されども専ら経文を開き見るには無量義経のごとく華厳・阿含・方等・般若等の四十余年の経経をあげて涅槃経に対して我がみ(身)勝ると・とひて又法華経に対する時は是の経の出世は乃至法華の中の八千の声聞に記べつを授(さず)くることを得て大菓実を成ずるが如き秋収冬蔵して更に所作無きが如し等と云云。我れと涅槃経は法華経には劣るととける経文なり、かう経文は分明なれども南北の大智の諸人の迷うて有りし経文なれば末代の学者能く能く眼をとどむべし。此の経文は但法華経・涅槃経の勝劣のみならず十方世界の一切経の勝劣をもしりぬべし、而るを経文にこそ迷うとも天台・妙楽・伝教大師の御れうけんの後は、眼あらん人人はしりぬべき事ぞかし。然れども天台宗の人たる慈覚・智証すら猶此の経文にくらし、いわうや余宗の人人をや。

 或る人疑つて云く、漢土・日本にわたりたる経経にこそ法華経に勝たる経はをはせずとも月氏・竜宮・四王・日月・とう利天・都率天なんどには恒河沙の経経ましますなれば其中に法華経に勝れさせ給う御経やましますらん。

 答て云く一をもつて万を察せよ庭戸を出でずして天下をしるとはこれなり、癡人が疑つて云く我等は南天を見て東西北の三空を見ず彼の三方の空に此の日輪より別の日やましますらん、山を隔て煙の立つを見て火を見ざれば煙は一定(いちじょう)なれども、火にてやなかるらんかくのごとくいはん者は一闡提の人としるべし、生盲(いきめくら)にことならず。

 法華経の法師品に釈迦如来、金口の誠言をもつて五十余年の一切経の勝劣を定めて云く「我所説の経典は無量千万億にして已に説き今説き当に説ん而も其の中に於て此法華経は最も為難信難解なり」等云云。此の経文は但釈迦如来・一仏の説なりとも、等覚已下は仰いで信ずべき上多宝仏・東方より来りて真実なりと証明し、十方の諸仏集りて釈迦仏と同く広長舌を梵天に付け給て後・各各・国国へ還らせ給いぬ。

 已今当の三字は五十年並びに十方三世の諸仏えの御経、一字一点ものこさず引き載せて法華経に対して説せ給いて候を十方の諸仏・此座にして御判形(ごはんぎょう)を加えさせ給い各各・又自国に還らせ給いて我弟子等に向わせ給いて法華経に勝れたる御経ありと説せ給はば、其の所化の弟子等信用すべしや。又我は見ざれば月氏・竜宮・四天・日月等の宮殿の中に法華経に勝れさせ給いたる経や・おはしますらんと疑いをなすはされば、梵釈・日月・四天・竜王は法華経の御座にはなかりけるか。

 若し日月等の諸天・法華経に勝れたる御経まします、汝はしらずと仰せあるならば大誑惑の日月なるべし。日蓮せめて云く、日月は虚空に住し給へども我等が大地に処するがごとくして堕落し給はざる事は、上品の不妄語戒の力ぞかし。法華経に勝れたる御経ありと仰せある大妄語あるならば、恐らくはいまだ壊劫にいたらざるに大地の上にどうとおち候はんか、無間大城の最下の堅鉄にあらずばとどまりがたからんか。大妄語の人は須臾も空に処して四天下を廻り給うべからずとせめたてまつるべし。

 而るを華厳宗の澄観等・真言宗の善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証等の大智の三蔵大師等の、華厳経・大日経等は法華経に勝れたりと立て給わば我等が分斉には及ばぬ事なれども、大道理のをすところは豈諸仏の大怨敵にあらずや、提婆・瞿伽梨もものならず大天・大慢・外にもとむべからず、かの人人を信ずる輩はをそろし・をそろし。
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[真筆本文箇所:下記緑字部分]

 問て云く華厳の澄観・三論の嘉祥・法相の慈恩・真言の善無畏・乃至弘法・慈覚・智証等を仏の敵との(宣)給うか。答えて云く此大なる難なり、仏法に入りて第一の大事なり愚眼をもつて経文を見るには法華経に勝れたる経ありといはん人は、設いいかなる人なりとも謗法は免(まぬか)れじと見えて候。而るを経文のごとく申すならば・いかでか此の諸人仏敵たらざるべき、若し又恐をなして指し申さずは一切経の勝劣むなしかるべし。又此人人を恐れて末の人人を仏敵といはんとすれば彼の宗宗の末の人人の云く法華経に大日経をまさりたりと申すは我れ私の計にはあらず祖師の御義なり、戒行の持破・智慧の勝劣・身の上下はありとも所学の法門はたがふ事なしと申せば彼人人にとがなし。
 又日蓮此れを知りながら人人を恐れて申さずは寧喪身命・不匿教者(ふのくきょうじゃ)の仏陀の諌暁を用いぬ者となりぬ。いかんがせん・いはんとすれば世間をそろし、止(やめん)とすれば仏の諌暁のがれがたし。進退此に谷(きわまれ)り、むべなるかなや、法華経の文に云く「而かも此経は如来の現在にすら猶怨嫉多し況んや滅度の後をや」又云く一切世間怨多くして信じ難し等云云。釈迦仏を摩耶夫人はらませ給いたりければ第六天の魔王・摩耶夫人の御腹をとをし見て我等が大怨敵・法華経と申す利剣をはらみたり、事の成ぜぬ先に・いかにしてか失うべき。第六天の魔王大医と変じて浄飯王宮に入り、御産安穏の良薬を持(もち)候、大医ありとののしりて毒を后にまいらせつ、初生の時は石をふらし乳に毒をまじへ、城を出でさせ給いしには黒き毒蛇と変じて道にふさがり、乃至提婆・瞿伽利・波瑠璃王・阿闍世王等の悪人の身に入りて、或は大石をなげて仏の御身より血をいだし、或は釈子をころし或は御弟子等を殺す。
 
 此等の大難は皆遠くは法華経を仏世尊に説かせまいらせじとたばかり(巧謀)し、如来現在・猶多怨嫉の大難ぞかし、此等は遠き難なり近き難には舎利弗・目連・諸大菩薩等も四十余年が間は法華経の大怨敵の内ぞかし。

 況滅度後と申して未来の世には又此の大難よりも・すぐれてをそろしき大難あるべしと・とかれて候。仏だにも忍びがたかりける大難をば凡夫はいかでか忍ぶべきいわうや、在世より大なる大難にて・あるべかんなり、いかなる大難か提婆が長(たけ)三丈広(ひろさ)一丈六尺の大石阿闍世王の酔象にはすぐべきとはおもへども、彼にもすぐるべく候なれば小失なくとも大難に度度値う人をこそ滅後の法華経の行者とはしり候はめ。付法蔵の人人は四依の菩薩・仏の御使なり、提婆菩薩は外道に殺され師子尊者は檀弥羅王に頭を刎ねられ、仏陀密多・竜樹菩薩等は赤幡(あかきはた)を七年十二年さしとをす。馬鳴菩薩は金銭三億がかわりとなり如意論師はおもひじに(死)に死す。

 此れ等は正法・一千年の内なり、像法に入つて五百年・仏滅後・一千五百年と申せし時漢土に一人の智人あり、始は智ぎ・後には智者大師とがうす、法華経の義をありのままに弘通せんと思い給しに天台已前の百千万の智者しなじなに一代を判ぜしかども詮して十流となりぬ所謂南三北七なり十流ありしかども一流をもて最とせり、所謂南三の中の第三の光宅寺の法雲法師これなり、此の人は一代の仏教を五にわかつ其の五の中に三経をえらびいだす、所謂華厳経・涅槃経・法華経なり一切経の中には華厳経第一・大王のごとし涅槃経第二・摂政関白のごとし第三法華経は公卿等のごとし此れより已下は万民のごとし、此の人は本より智慧かしこき上慧観・慧厳(えごん)・僧柔(そうにゅう)・慧次なんど申せし大智者より習ひ伝え給るのみならず南北の諸師の義をせめやぶり山林にまじわりて法華経・涅槃経・華厳経の功をつも(積)りし上(うえ)梁の武帝召し出して内裏の内に寺を立て光宅寺となづけて此の法師をあがめ給う、法華経をかう(講)ぜしかば天より花ふること在世のごとし、天鑒(てんかん)五年に大旱魃ありしかば此の法雲法師を請じ奉りて法華経を講ぜさせまいらせしに薬草喩品の其雨普等・四方倶下(しほうくげ)と申す二句を講ぜさせ給いし時・天より甘雨下(ふり)たりしかば天子御感(ぎょかん)のあまりに現に僧正になしまいらせて諸天の帝釈につかえ万民の国王ををそるるがごとく我とつかへ給いし上或人夢(ゆめみら)く此人は過去の灯明仏の時より法華経をかうぜる人なり、法華経の疏四巻あり此の疏に云く「此経未だ碩然ならず」亦云く「異の方便」等云云、正く法華経はいまだ仏理をきわめざる経と書かれて候、此の人の御義・仏意に相ひ叶ひ給いければこそ天より花も下(ふ)り雨もふり候けらめ、かかるいみじき事にて候しかば漢土の人人さては法華経は華厳経・涅槃経には劣にてこそあるなれと思いし上新羅・百済・高麗(こま)・日本まで此の疏ひろまりて大体一同の義にて候しに法雲法師・御死去ありていくばくならざるに梁の末・陳の始に智ぎ法師と申す小僧出来せり、南岳大師と申せし人の御弟子なりしかども師の義も不審にありけるかのゆへに一切経蔵に入つて度度御らんありしに華厳経・涅槃経・法華経の三経に詮じいだし此の三経の中に殊に華厳経を講じ給いき、別して礼文(らいもん)を造りて日日に功をなし給いしかば世間の人おもわく此人も華厳経を第一とおぼすかと見えしほどに法雲法師が一切経の中に華厳第一・涅槃第二・法華第三と立てたるがあまりに不審なりける故に・ことに華厳経を御らんありけるなり、かくて一切経の中に法華第一・涅槃第二・華厳第三と見定めさせ給いてなげき給うやうは如来の聖教は漢土にわたれども人を利益することなしかへりて一切衆生を悪道に導びくこと人師の悞(あやまり)によれり、例せば国の長(おさ)とある人・東を西といゐ天を地といゐいだしぬれば万民は・かくのごとくに心うべし、後にいやしき者出来して汝等が西は東・汝等が天は地なりといはば・もちうることなき上我が長(おさ)の心に叶わんがために今の人を・の(罵)りう(打)ちなんどすべしいかんがせんとは・おぼせしかども・さてもだす(黙止)べきにあらねば光宅寺の法雲法師は謗法によつて地獄に堕ちぬとののしられ給う、其の時・南北の諸師はち(蜂)のごとく蜂起しからすのごとく烏合せり、智ぎ法師をば頭をわるべきか国をを(遂)うべきかなんど申せし程に陳主此れを・きこしめして南北の数人に召し合せて我と列座してきかせ給いき、法雲法師が弟子等の慧栄・法歳・慧曠(えこう)・慧ごうなんど申せし僧正・僧都・已上の人人・百余人なり各各・悪口を先とし眉をあげ眼をいからし手をあげ柏子(ひょうし)をたたく、而れども智ぎ法師は末座に坐して色を変ぜず言を悞(あやま)らず威儀しづかにして諸僧の言を一一に牒をとり言ごとに・せめかえす、をしかへして難じて云く抑も法雲法師の御義に第一華厳・第二涅槃・第三法華と立させ給いける証文は何れの経ぞ慥かに明かなる証文を出ださせ給えとせめしかば各各頭をうつぶせ色を失いて一言の返事なし。

  重ねてせめて云く無量義経に正しく次説方等十二部経・摩訶般若・華厳海空等云云、仏我と華厳経の名をよびあげて無量義経に対して未顕真実と打ち消し給う法華経に劣りて候・無量義経に華厳経はせめられて候ぬいかに心えさせ給いて華厳経をば一代第一とは候けるぞ各各・御師の御かたうどせんとをぼさば此の経文をやぶりて此れに勝れたる経文を取り出だして御師の御義を助け給えとせめたり。 又涅槃経を法華経に勝るると候けるは・いかなる経文ぞ涅槃経の第十四には華厳・阿含・方等・般若をあげて涅槃経に対して勝劣は説れて候へどもまつたく法華経と涅槃経との勝劣はみへず、次上の第九の巻に法華経と涅槃経との勝劣分明なり、所謂経文に云く「是の経の出世は乃至法華の中の八千の声聞・記べつを受くることを得て大菓実を成ずるが如き秋収冬蔵して更に所作無きが如し」等云云、経文明に諸経をば春夏と説かせ給い涅槃経と法華経とをば菓実の位とは説かれて候へども法華経をば秋収冬蔵の大菓実の位・涅槃経をば秋の末・冬の始くん拾の位と定め給いぬ、此の経文正(まさし)く法華経には我が身劣ると承伏(しょうふく)し給いぬ、法華経の文には已説・今説・当説と申して此の法華経は前と並(ならび)との経経に勝れたるのみならず後に説かん経経にも勝るべしと仏定め給う、すでに教主釈尊かく定め給いぬれば疑うべきにあらねども我が滅後はいかんかと疑いおぼして東方・宝浄世界の多宝仏を証人に立て給いしかば多宝仏・大地よりをどり出でて妙法華経・皆是真実と証し十方分身の諸仏重ねてあつまらせ給い広長舌を大梵天に付け又教主釈尊も付け給う、然して後・多宝仏は宝浄世界えかへり十方の諸仏各各本土にかへらせ給いて後多宝分身の仏もおはせざらんに教主釈尊・涅槃経をといて法華経に勝ると仰せあらば御弟子等は信ぜさせ給うべしやとせめしかば日月の大光明の修羅の眼を照らすがごとく漢王の剣の諸侯の頚にかかりしがごとく両眼をとぢ一頭を低(うなだ)れたり、天台大師の御気色は師子王の狐兎の前に吼えたるがごとし鷹鷲の鳩雉(はときじ)をせめたるににたり、かくのごとくありしかば・さては法華経は華厳経・涅槃経にもすぐれてありけりと震旦一国に流布するのみならずかへりて五天竺までも聞へ月氏・大小の諸論も智者大師の御義には勝れず教主釈尊・両度出現しましますか仏教二度あらはれぬとほめられ給いしなり。

 其の後天台大師も御入滅なりぬ陳隋の世も代わりて唐の世となりぬ章安大師も御入滅なりぬ、天台の仏法やうやく習い失せし程に唐の太宗の御宇に玄奘三蔵といゐし人・貞観(ていかん)三年に始めて月氏に入りて同十九年にかへりしが月氏の仏法尋ね尽くして法相宗と申す宗をわたす、此の宗は天台宗と水火なり而るに天台の御覧なかりし深密経・瑜伽論・唯識論等をわたして法華経は一切経には勝れたれども深密には劣るという、而るを天台は御覧なかりしかば天台の末学等は智慧の薄きかのゆへに・さもやとおもう、又太宗は賢王なり玄奘の御帰依あさからず、いうべき事ありしかども・いつもの事なれば時の威をおそれて申す人なし、法華経を打ちかへして三乗真実・一乗方便・五性各別と申せし事は心うかりし事なり、天竺よりは・わたれども月氏の外道が漢土にわたれるか法華経は方便・深密経は真実といゐしかば釈迦・多宝・十方の諸仏の誠言もかへりて虚くなり玄奘・慈恩こそ時の生身(しょうしん)の仏にてはありしか。

 其後則天皇后の御宇に天台大師にせめられし華厳経に又重ねて新訳の華厳経わたりしかば、さきのいきどを(憤)りを・はた(果)さんがために新訳の華厳をもつて天台にせめられし旧訳の華厳経を扶けて華厳宗と申す宗を法蔵法師と申す人立てぬ、此の宗は華厳経をば根本法輪・法華経をば枝末法輪と申すなり、南北は一華厳・二涅槃・三法華・天台大師は一法華・二涅槃・三華厳・今の華厳宗は一華厳・二法華・三涅槃等云云。

 其の後玄宗皇帝の御宇に天竺より善無畏三蔵は大日経・蘇悉地経をわたす、金剛智三蔵は金剛頂経をわたす、又金剛智三蔵の弟子あり不空三蔵なり、此の三人は月氏の人・種姓(すじょう)も高貴なる上・人がらも漢土の僧ににず法門もなにとはしらず後漢より今にいたるまで・なかりし印と真言という事をあひそ(相副)いて・ゆゆしかりしかば天子かうべをかたぶけ万民掌をあわす、此の人人の義にいわく華厳・深密・般若・涅槃・法華経等の勝劣は顕教の内・釈迦如来の説の分なり、今の大日経等は大日法王の勅言なり彼の経経は民の万言此経は天子の一言なり、華厳経・涅槃経等は大日経には梯(はしご)を立ても及ばず但法華経計りこそ大日経には相似の経なれ、されども彼の経は釈迦如来の説・民の正言・此の経は天子の正言なり言は似れども人がら雲泥なり、譬へば濁水の月と清水の月のごとし月の影は同じけれども水に清濁ありなんど申しければ、此の由尋ね顕す人もなし諸宗皆落ち伏して真言宗にかたぶきぬ、善無畏・金剛智・死去の後・不空三蔵又月氏にかへりて菩提心論と申す論をわたしいよいよ真言宗盛りなりけり、但し妙楽大師といふ人あり天台大師よりは二百余年の後なれども智慧かしこき人にて天台の所釈を見明めてありしかば天台の釈の心は後にわたれる深密経・法相宗又始めて漢土に立てたる華厳宗・大日経真言宗にも法華経は勝れさせ給いたりけるを、或は智のをよばざるか或は人に畏るるか或は時の王威をおづるかの故にいはざりけるかかくて・あるならば天台の正義すでに失(うせ)なん、又陳隋已前の南北が邪義にも勝れたりとおぼして三十巻の末文を造り給う所謂弘決・釈籤・疏記(じょき)これなり、此の三十巻の文は本書の重なれるをけづりよわきをたすくるのみならず天台大師の御時なかりしかば御責にものがれてあるやうなる法相宗と華厳宗と真言宗とを一時にとりひしがれたる書なり。

 又日本国には人王第三十代・欽明天皇の御宇十三年壬申(みずのえさる)十月十三日に百済国より一切経・釈迦仏の像をわたす、又用明天皇の御宇に聖徳太子仏法をよみはじめ和気の妹子と申す臣下を漢土につかはして先生(せんしょう)所持の一巻の法華経をとりよせ給いて持経と定め、其の後人王第三十七代・孝徳天王の御宇に三論宗・華厳宗・法相宗・倶舎宗・成実宗わたる、人王第四十五代に聖武天王の御宇に律宗わたる已上六宗なり、孝徳より人王五十代の桓武天皇にいたるまでは十四代・一百二十余年が間は天台真言の二宗なし、桓武の御宇に最澄と申す小僧あり山階寺の行表僧正の御弟子なり、法相宗を始めとして六宗を習いきわめぬ而れども仏法いまだ極めたりとも・おぼえざりしに華厳宗の法蔵法師が造りたる起信論の疏を見給うに天台大師の釈を引きのせたり此の疏こそ子細ありげなれ此の国に渡りたるか又いまだ・わたらざるかと不審ありしほどに有人にとひしかば其の人の云く大唐の揚州竜興寺(りゅうこうじ)の僧鑒真和尚は天台の末学・道暹律師の弟子天宝の末に日本国にわたり給いて小乗の戒を弘通せさせ給いしかども天台の御釈持ち来りながらひろめ給はず人王第四十五代聖武天王の御宇なりとかたる、其の書を見んと申されしかば取り出だして見せまいらせしかば一返御らんありて生死の酔をさましつ此の書をもつて六宗の心を尋ねあきらめしかば一一に邪見なる事あらはれぬ、忽に願を発(おこし)て云く日本国の人皆・謗法の者の檀越たるが天下一定(いちじょう)乱れなんずとおぼして六宗を難ぜられしかば七大寺・六宗の碩学蜂起して京中烏合し天下みなさわぐ、七大寺六宗の諸人等悪心強盛なり、而るを去ぬる延暦二十一年正月十九日に天王高雄寺に行幸あつて七寺の碩徳十四人・善議・勝猷・奉基(ぶき)・寵忍・賢玉・安福・勤操・修円(しゅえん)・慈誥・玄耀・歳光・道証・光証・観敏等の十有余人を召し合わす、華厳・三論・法相等の人人・各各・我宗の元祖が義にたがはず最澄上人は六宗の人人の所立・一一に牒を取りて本経・本論・並に諸経・諸論に指し合わせてせめしかば一言も答えず口をして鼻のごとくになりぬ、天皇をどろき給いて委細に御たづねありて重ねて勅宣を下して十四人をせめ給いしかば承伏の謝表を奉りたり、其書に云く「七箇の大寺六宗の学匠乃至初て至極を悟る」等云云又云く「聖徳の弘化より以降(このかた)今に二百余年の間講ずる所の経論其数多し、彼此(かれこれ)理を争うて其の疑未だ解けず而も此の最妙の円宗猶未だ闡揚(せんよう)せず」等云云、又云く「三論法相・久年の諍(あらそい)渙焉(かんえん)として氷の如く解け照然として既に明かに猶雲霧を披(ひら)いて三光を見るがごとし」云云、最澄和尚十四人が義を判じて云く「各一軸を講ずるに法鼓を深壑(しんがく)に振い賓主三乗の路に徘徊し義旗を高峰に飛(とば)す長幼三有の結を摧破して猶未だ歴劫の轍を改めず白牛を門外に混ず、豈善く初発の位に昇り阿荼(あだ)を宅内に悟らんや」等云云、弘世真綱二人の臣下云く「霊山の妙法を南岳に聞き総持の妙悟を天台に闢(ひら)く一乗の権滞を慨き三諦の未顕を悲しむ」等云云、又十四人の云く「善議等牽れて休運に逢(おう)て乃(すなわ)ち奇詞を閲す深期(じんご)に非るよりは何ぞ聖世に託せんや」等云云、此の十四人は華厳宗の法蔵・審祥・三論宗の嘉祥・観勒・法相宗の慈恩・道昭・律宗の道宣・鑒真等の漢土・日本元祖等の法門・瓶はかはれども水は一なり、而るに十四人・彼の邪義をすてて伝教の法華経に帰伏しぬる上は誰の末代の人か華厳・般若・深密経等は法華経に超過せりと申すべきや、小乗の三宗は又彼の人人の所学なり大乗の三宗破れぬる上は沙汰のかぎりにあらず、而るを今に子細を知らざる者・六宗はいまだ破られずとをもへり、譬へば盲目(めしい)が天の日月を見ず聾人(つんぼ)が雷の音をきかざるゆへに天には日月なし空(そら)に声なしと・をもうがごとし。

 真言宗と申すは日本人王・第四十四代と申せし元正天皇の御宇に善無畏三蔵・大日経をわたして弘通せずして漢土へかへる、又玄昉(げんぼう)等・大日経の義釈十四巻をわたす又東大寺の得清大徳わたす、此等を伝教大師御らんありてありしかども大日経・法華経の勝劣いかんがと・おぼしけるほどにかたがた不審ありし故に去る延暦二十三年七月御入唐・西明寺(さいみょうじ)の道邃和尚・仏滝(ぶつろう)寺の行満等に値い奉りて止観円頓(えんどん)の大戒を伝受し霊感寺の順暁和尚に値い奉りて真言を相伝し同延暦二十四年六月に帰朝して桓武天王に御対面・宣旨を下して六宗の学生(がくしょう)に止観真言を習はしめ同七大寺にをかれぬ、真言・止観の二宗の勝劣は漢土に多く子細あれども又大日経の義釈には理同事勝とかきたれども伝教大師は善無畏三蔵のあやまりなり、大日経は法華経には劣りたりと知しめして八宗とはせさせ給はず真言宗の名をけづりて法華宗の内に入れ七宗となし大日経をば法華天台宗の傍依経(ぼうえきょう)となして華厳・大品・般若・涅槃等の例とせり、而れども大事の円頓の大乗別受戒の大戒壇を我が国に立(たて)う立(たて)じの諍論がわずらはしきに依りてや真言・天台の二宗の勝劣は弟子にも分明にをしえ給わざりけるか、但依憑(えひょう)集と申す文に正しく真言宗は法華天台宗の正義を偸みとりて大日経に入れて理同とせり、されば彼の宗は天台宗に落ちたる宗なり、いわうや不空三蔵は善無畏・金剛智・入滅の後・月氏に入りてありしに竜智菩薩に値い奉りし時・月氏には仏意をあきらめたる論釈なし、漢土に天台という人の釈こそ邪正をえらび偏円をあきらめたる文にては候なれ、あなかしこ・あなかしこ月氏へ渡し給えとねんごろにあつら(誂)へし事を不空の弟子含光(ごんこう)といゐし者が妙楽大師にかたれるを記の十の末に引き載せられて候をこの依憑集に取り載せて候、法華経に大日経は劣るとしろしめす事・伝教大師の御心顕然なり、されば釈迦如来・天台大師・妙楽大師・伝教大師の御心は一同に大日経等の一切経の中には法華経はすぐれたりという事は分明なり、又真言宗の元祖という竜樹菩薩の御心もかくのごとし、大智度論を能く能く尋ぬるならば此の事分明なるべきを不空があやまれる菩提心論に皆人ばか(欺)されて此の事に迷惑せるか。

 
[報恩抄 本文] その三に続く


by johsei1129 | 2019-10-26 18:04 | 報恩抄(御書五大部) | Trackback | Comments(0)
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