2019年 10月 22日
[撰時抄 本文] その五 疑つて云く、法華経を真言に勝ると申す人は、此の釈をばいかがせん。用うべきか又すつべきか。 答う、仏の未来を定めて云く「法に依つて人に依らざれ」 竜樹菩薩の云く「修多羅に依れるは白論なり、修多羅に依らざれば黒論なり」 天台の云く「復修多羅と合せば録して之を用ゆ。文無く義無きは信受すべからず」 伝教大師云く「仏説に依憑して口伝を信ずること莫れ」等云云。 此等の経・論・釈のごときんば夢を本(もと)にはすべからず。ただついさして法華経と大日経との勝劣を分明に説きたらん経論の文こそ・たいせちに候はめ。但し印真言なくば木画の像の開眼の事、此れ又をこ(烏滸)の事なり。真言のなかりし已前には木画の開眼はなかりしか。天竺・漢土・日本には真言宗已前の木画の像は或は行き・或は説法し・或は御物言(ものがたり)あり。印・真言をもて仏を供養せしよりこのかた・利生もかたがた失(うせ)たるなり。此れは常の論談の義なり。此の一事にをひては但し日蓮は分明(ふんみょう)の証拠を余所に引くべからず、慈覚大師の御釈を仰いで信じて候なり。 問うて云く、何(いか)にと信ぜらるるや。 答えて云く、此の夢の根源は真言は法華経に勝ると造り定めての御ゆめなり。此の夢・吉夢ならば慈覚大師の合はせさせ給うがごとく真言勝るべし。但(ただし)日輪を射るとゆめにみたるは吉夢なりというべきか。内典五千七千余巻・外典三千余巻の中に、日を射るとゆめに見て吉夢なる証拠をうけ給わるべし。少少此れより出だし申さん。 阿闍世王は天より月落るとゆめにみて耆婆(ぎば)大臣に合はせさせ給しかば大臣合はせて云く、仏の御入滅なり。須抜多羅(しゅばつたら)・天より日落つるとゆめにみる。我とあわせて云く、仏の御入滅なり。修羅は帝釈と合戦の時、まづ日月をい(射)たてまつる。夏の桀・殷の紂と申せし悪王は、常に日をい(射)て身をほろぼし・国をやぶる。摩耶夫人は日をはらむとゆめにみて悉達太子をうませ給う。かるがゆへに仏の・わらわな(幼名)をば日種という。日本国と申すは天照太神の日天にてましますゆへなり。 されば此のゆめは天照太神・伝教大師・釈迦仏・法華経をいたてまつれる矢にてこそ二部の疏は候なれ。日蓮は愚癡の者なれば経論もしらず。但此の夢をもつて法華経に真言すぐれたりと申す人は今生には国をほろぼし、家を失ひ、後生にはあび地獄に入るべしとは・しりて候。 今現証あるべし。日本国と蒙古との合戦に一切の真言師の調伏を行なひ候へば、日本かちて候ならば真言はいみじかりけりとおもひ候なん。但し承久の合戦に・そこばくの真言師のいのり候しが、調伏せられ給いし権の大夫殿はかたせ給い、後鳥羽院は隠岐の国へ・御子の天子は佐渡の嶋嶋(しまじま)へ調伏しやり・まいらせ候いぬ。結句は野干のな(鳴)きの己が身に・をうなるやうに、還著於本人(げんちゃく・お・ほんにん)の経文にすこしもたがはず。叡山の三千人・かまくらにせめられて一同にしたがいはてぬ。 しかるに今はかまくらの世さかんなるゆへに東寺・天台・園城・七寺の真言師等と並びに自立をわすれたる法華宗の謗法の人人、関東にをちくだりて頭をかたぶけ、ひざをかが(屈)め、やうやうに武士の心をとりて諸寺・諸山の別当となり、長吏となりて王位を失いし悪法をとりいだして国土安穏といのれば、将軍家並びに所従の侍已下は国土の安穏なるべき事なんめりと・うちをもひて有るほどに、法華経を失う大禍の僧どもを用いらるれば国定めてほろびなん。 亡国のかなしさ、亡身のなげかしさに身命をすてて此の事をあらわすべし。国主世を持つべきならば、あや(怪)しとおもひて・たづぬべきところに、ただざんげんのことばのみ用いてやうやうのあだをなす。而るに法華経守護の梵天・帝釈・日月・四天・地神等は古(いにしえ)の謗法をば不思議とは・をぼせども、此れをしれる人なければ一子の悪事のごとくうちゆるして・いつわりをろかなる時もあり、又すこしつみし(摘知)らする時もあり。 今は謗法を用いたるだに不思議なるに、まれまれ諌暁する人をかへりてあだをなす。一日・二日・一月・二月・一年・二年ならず数年に及ぶ。彼の不軽菩薩の杖木の難に値いしにもすぐれ、覚徳比丘の殺害に及びしにもこえたり。而る間・梵釈の二王・日月・四天・衆星・地神等やうやうにいかり・度度いさめらるれども、いよいよあだをなすゆへに、天の御計いとして隣国の聖人にをほせつけられて此れをいましめ、大鬼神を国に入れて人の心をたぼらかし自界反逆せしむ。吉凶につけて瑞(きざし)大なれば難多かるべきことわりにて、仏滅後・二千二百三十余年が間・いまだいでざる大長星・いまだふ(震)らざる大地しん出来せり。 漢土・日本に智慧すぐれ才能いみじき聖人は度度ありしかども、いまだ日蓮ほど法華経のかたうどして国土に強敵多くまうけたる者なきなり。まづ眼前の事をもつて日蓮は閻浮提第一の者としるべし。 仏法日本にわたて七百余年、一切経は五千七千・宗は八宗十宗、智人は稲麻のごとし、弘通は竹葦(ちくい)ににたり。しかれども仏には阿弥陀仏・諸仏の名号には弥陀の名号ほどひろまりて・をはするは候はず。此の名号を弘通する人は慧心は往生要集をつくる・日本国・三分が一は一同の弥陀念仏者、永観(ようかん)は十因と往生講の式をつくる・扶桑三分が二分は一同の念仏者、法然・せんちやくをつくる・本朝一同の念仏者。而れば今の弥陀の名号を唱うる人人は一人が弟子にはあらず。 此の念仏と申すは雙観経・観経・阿弥陀経の題名なり。権大乗経の題目の広宣流布するは実大乗経の題目の流布せんずる序にあらずや。心あらん人は此れをすひ(推)しぬべし。権経流布せば実経流布すべし。権経の題目流布せば・実経の題目も又流布すべし。欽明より当帝にいたるまで七百余年いまだきかず・いまだ見ず、南無妙法蓮華経と唱えよと他人をすすめ・我と唱えたる智人なし。日出でぬれば星かくる、賢王来たれば愚王ほろぶ、実経流布せば権経のとどまり、智人・南無妙法蓮華経と唱えば愚人の此れに随はんこと、影と身と、声と響とのごとくならん。日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし。これをもつてすいせよ、漢土月支にも一閻浮提の内にも・肩をならぶる者は有るべからず。 問うて云く、正嘉の大地しん・文永の大彗星はいかなる事によつて出来せるや。 答えて云く、天台云く「智人は起を知り・蛇は自ら蛇を識る」等云云。 問て云く、心いかん。 答えて云く、上行菩薩の大地より出現し給いたりしをば、弥勒菩薩・文殊師利菩薩・観世音菩薩・薬王菩薩等の四十一品の無明を断ぜし人人も、元品の無明を断ぜざれば愚人といはれて、寿量品の南無妙法蓮華経の末法に流布せんずるゆへに、此の菩薩を召し出されたるとはしらざりしという事なり。 問うて云く、日本・漢土・月支の中に此の事を知る人あるべしや。 答えて云く、見思を断尽し・四十一品の無明を尽せる大菩薩だにも此の事をしらせ給はず。いかにいわうや一毫の惑をも断ぜぬ者どもの此の事を知るべきか。 問うて云く、智人なくばいかでか此れを対治すべき。例せば病の所起を知らぬ人の病人を治すれば人・必ず死す。此の災(わざわい)の根源を知らぬ人人がいのりをなさば、国まさに亡びん事疑いなきか。あらあさましや・あらあさましや。 答えて云く、蛇は七日が内の大雨をしり、烏は年中の吉凶をしる、此れ則ち大竜の所従・又久学のゆへか。日蓮は凡夫なり、此の事をしるべからずといえども汝等にほぼこれをさとさん。 彼の周の平王の時・禿(かぶろ)にして裸なる者出現せしを辛有(しんゆう)といゐし者・うらなつて云く、百年が内に世ほろびん。同じき幽王の時・山川くづれ大地ふるひき。白陽と云う者勘えていはく、十二年の内に大王事に値(あわ)せ給うべし。今の大地震・大長星等は国王・日蓮をにくみて亡国の法たる禅宗と念仏者と真言師をかたふど(方人)せらるれば、天いからせ給いていださせ給うところの災難なり。 問うて云く、なにをもつてか此れを信ぜん。 答えて云く、最勝王経に云く「悪人を愛敬(あいぎょう)し善人を治罰するに由るが故に星宿及び風雨・皆時を以て行われず」等云云。 此の経文のごときんば此の国に悪人のあるを・王臣此れを帰依すという事疑いなし。又此の国に智人あり、国主此れをにくみてあだ(怨)すという事も又疑いなし。 又云く「三十三天の衆・咸忿怒(ことごとく・ふんど)の心を生じ、変怪(へんげ)流星堕ち、二の日倶時に出で、他方の怨賊来たりて国人喪乱に遭わん」等云云。 すでに此の国に天変あり・地夭あり・他国より此れをせむ。三十三天の御いかり有(ある)こと又疑いなきか。 仁王経に云く「諸の悪比丘多く名利を求め、国王・太子・王子の前に於て自ら破仏法の因縁・破国の因縁を説く。其の王・別(わきまえ)ずして信じて此の語を聴く」等云云。 又云く「日月度を失い・時節反逆し、或は赤日出で、或は黒日出で、二三四五の日出で、或は日蝕して光無く、或は日輪・一重二重四五重輪現ず」等云云。 文の心は悪比丘等・国に充満して国王・太子・王子等をたぼらかして破仏法・破国の因縁をとかば、其の国の王等・此の人にたぼらかされて・をぼすやう、此の法こそ持仏法の因縁・持国の因縁とをもひ、此の言を・をさめて・をこなうならば、日月に変あり、大風と大雨と大火等出来し、次には内賊と申して親類より大兵乱おこり、我がかたうどしぬべき者をば皆打ち失いて後には他国にせめられて或は自殺し・或はいけどりにせられて或は降人となるべし。是れ偏に仏法をほろぼし・国をほろぼす故なり。 守護経に云く「彼の釈迦牟尼如来・所有の教法は一切の天魔・外道・悪人・五通の神仙、皆乃至少分をも破壊(はえ)せず。而るに此の名相の諸の悪沙門、皆悉く毀滅(きめつ)して余り有ること無からしむ。須弥山を仮使(たとい)三千界の中の草木を尽して薪(たきぎ)と為し、長時に焚焼(ぼんしょう)すとも一毫も損すること無し。若し劫火起こりて火・内従(うちよ)り生じ、須臾も焼滅せんには灰燼(かいじん)をも余す無きが如し」等云云。 蓮華面経に云く「仏・阿難に告わく、譬えば師子の命終せんに若しは空・若しは地・若しは水・若しは陸・所有(しょう)の衆生、敢へて師子の身の宍(にく)を食らわず。唯師子自ら諸の虫を生じて・自ら師子の宍を食うが如し。阿難・我が之(こ)の仏法は余の能く壊(やぶ)るに非ず。是れ我が法の中の諸の悪比丘、我が三大阿僧祇劫・積行(しゃくぎょう)勤苦し集むる所の仏法を破らん」等云云。 経文の心は過去の迦葉仏、釈迦如来の末法の事を訖哩枳(きりき)王にかたらせ給い、釈迦如来の仏法をばいかなるものがうしなうべき。大族王の五天の堂舎を焼き払い・十六大国の僧尼を殺せし、漢土の武宗皇帝の九国の寺塔四千六百余所を消滅せしめ・僧尼二十六万五百人を還俗せし等のごとくなる悪人等は、釈迦の仏法をば失うべからず。三衣(さんね)を身にまとひ一鉢(いっぱち)を頚にかけ、八万法蔵を胸にうかべ、十二部経を口にずう(誦)せん僧侶が彼の仏法を失うべし。 譬へば須弥山は金(こがね)の山なり。三千大千世界の草木をもつて四天六欲に充満してつみこめて一年二年百千万億年が間やくとも一分も損ずべからず。而るを劫火をこらん時・須弥の根より豆計りの火いでて須弥山をやくのみならず、三千大千世界をやき失うべし。若し仏記のごとくならば十宗・八宗・内典の僧等が仏教の須弥山をば焼き払うべきにや。 小乗の倶舎・成実・律僧等が大乗をそねむ胸の瞋恚(しんに)は炎なり。真言の善無畏・禅宗の三階等・浄土宗の善導等は仏教の師子の肉より出来せる蝗虫(いなむし)の比丘なり。伝教大師は三論・法相・華厳等の日本の碩徳等を六虫とかかせ給へり。日蓮は真言・禅宗・浄土等の元祖を三虫となづく。又天台宗の慈覚・安然・慧心等は、法華経・伝教大師の師子の身の中の三虫なり。 此等の大謗法の根源をただす日蓮にあだをなせば、天神もをしみ・地祇もいからせ給いて災夭も大いに起こるなり。されば心うべし、一閻浮提第一の大事を申すゆへに最第一の瑞相此れ・をこれり。 あわれなるかなや・なげかしきかなや。日本国の人・皆無間大城に堕ちむ事よ。悦ばしきかなや・楽しいかなや、不肖の身として今度心田に仏種をうえたる。 いまにしもみよ大蒙古国・数万艘の兵船をうかべて日本をせめば、上一人より下万民にいたるまで一切の仏寺・一切の神寺をばなげすてて、各各声をつる(連合)べて南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と唱え、掌(たなごころ)を合せてたすけ給え・日蓮の御房・日蓮の御房とさけび候はんずるにや。 例せば月支の大族王は幻日王に掌をあはせ、日本の宗盛はかぢわら(景時)をうやまう。大慢のものは敵に随うという・このことわりなり。彼の軽毀大慢の比丘等は始めには杖木をととのへて不軽菩薩を打ちしかども・後には掌をあはせて失をくゆ。提婆達多は釈尊の御身に血をいだししかども・臨終の時には南無と唱えたりき。仏とだに申したりしかば地獄には堕つべからざりしを、業ふかくして但南無とのみとなへて仏とはいはず。今日本国の高僧等も南無日蓮聖人ととなえんとすとも、南無計りにてやあらんずらん。ふびん・ふびん。 外典に曰く、未萠(みぼう)をしるを聖人という、内典に云く三世を知るを聖人という。余に三度のかうみよう(高名)あり。 一(ひとつ)には去(いに)し文応元年 太歳庚申 七月十六日に立正安国論を最明寺殿に奏したてまつりし時・宿谷の入道に向つて云く、禅宗と念仏宗とを失い給うべしと申させ給へ。此の事を御用いなきならば、此の一門より事をこりて他国にせめられさせ給うべし。 二には去し文永八年九月十二日・申(さる)の時に平左衛門尉に向つて云く、日蓮は日本国の棟梁なり。予を失なうは日本国の柱橦(はしら)を倒すなり。只今に自界反逆難とてどしうち(同士討)して、他国侵逼難とて此の国の人人・他国に打ち殺さるのみならず・多くいけどりにせらるべし。建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等が寺塔をばやきはらいて彼等が頚(くび)をゆひ(由比)のはま(浜)にて切らずば・日本国必ずほろぶべしと申し候ひ了(おわ)んぬ。 第三には去年(こぞ) 文永十一年 四月八日左衛門尉に語つて云く、王地に生れたれば身をば随えられ・たてまつるやうなりとも、心をば随えられ・たてまつるべからず。念仏の無間獄・禅の天魔の所為なる事は疑いなし。殊に真言宗が此の国土の大なる・わざはひ・にては候なり。大蒙古を調伏せん事・真言師には仰せ付けらるべからず。若し大事を真言師・調伏するならば、いよいよ・いそいで此の国ほろぶべしと申せしかば・頼綱問うて云く、いつごろよせ候べき。予・言く、経文にはいつとはみへ候はねども、天の御気色(みけしき)いかり・すくなからず。きうに見へて候。よも今年はすごし候はじと語りたりき。 此の三つの大事は日蓮が申したるにはあらず。只偏に釈迦如来の御神(みたましい)我が身に入りかわせ給いけるにや。我が身ながらも悦び身にあまる。法華経の一念三千と申す大事の法門はこれなり。経に云く所謂諸法・如是相と申すは何事ぞ。十如是の始めの相如是が第一の大事にて候へば仏は世にいでさせ給う。智人は起をしる、蛇はみづから蛇をしるとはこれなり。 衆流あつまりて大海となる、微塵(みじん)つもりて須弥山となれり。日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一渧(いったい)・一微塵のごとし。法華経を二人・三人・十人・百千万億人・唱え伝うるほどならば、妙覚の須弥山ともなり・大涅槃の大海ともなるべし。仏になる道は此れよりほかに又・もとむる事なかれ。 問うて云く、第二の文永八年九月十二日の御勘気の時は、いかにとして我をそん(損)ぜば自他のいくさ(軍)をこるべしとはしり給うや。 答う、大集経五十に云く「若し復諸の刹利(せつり)・国王諸の非法を作し、世尊の声聞の弟子を悩乱し、若しは以て毀罵(きめ)し、刀杖をもて打斫(ちょうしゃく)し及び衣鉢種種の資具を奪い、若しは他の給施に留難を作す者有らば、我等彼をして自然に・卒(にわか)に他方の怨敵を起さしめ、及び自界の国土にも亦兵起り、飢疫・飢饉・非時の風雨・闘諍言訟・譏謗(きぼう)せしめ・又其の王をして久しからずして復当に己れが国を亡失せしむべし」等云云。 夫れ諸経に諸文多しといえども、此の経文は身にあたり・時にのぞんで殊に尊くをぼうるゆへに・これをせん(撰)じいだす。此の経文に我等とは梵王と帝釈と第六天の魔王と日月と四天等の三界の一切の天竜等なり。此等の上主・仏前に詣(けい)して誓つて云く、仏の滅後・正法・像法・末代の中に正法を行ぜん者を邪法の比丘等が国主にうつたへば、王に近きもの・王に心よせなる者、我がたつとしとをもう者のいうことなれば理不尽に是非を糾さず・彼の智人をさんざんとはぢに・をよばせなんどせば、其の故ともなく其の国に・にわか(卒)に大兵乱・出現し、後には他国にせめらるべし。其の国主もうせ・其の国もほろびなんずと・とかれて候。 いたひと・かゆきとはこれなり。予が身には今生にはさせる失なし。但国をたすけんがため生国の恩をほうぜんと申せしを・御用いなからんこそ本意にあらざるに、あまさ(剰)へ召し出して法華経の第五の巻を懐中せるをとりいだして・さんざんとさいなみ、結句はこうぢ(小路)をわたしなんどせしかば申したりしなり。 日月・天に処し給いながら日蓮が大難にあうを今度(このたび)か(代)わらせ給はずば、一つには日蓮が法華経の行者ならざるか、忽(たちま)ちに邪見をあらたむべし。若し日蓮・法華経の行者ならば忽ちに国にしるしを見せ給へ。若ししからずば今の日月等は釈迦・多宝・十方の仏をたぶらかし奉る大妄語の人なり。提婆が虚誑罪(こおうざい)・倶伽利(くぎゃり)が大妄語にも百千万億倍すぎさせ給へる大妄語の天なりと、声をあげて申せしかば忽ちに出来せる自界反逆難なり。されば国土いたくみだ(乱)れば・我が身はいうにかひなき凡夫なれども、御経を持ちまいらせ候分斉(ぶんざい)は当世には日本第一の大人なりと申すなり。 問うて云く、慢煩悩は七慢・九慢・八慢あり。汝が大慢は仏教に明かすところの大慢にも百千万億倍すぐれたり。彼の徳光論師は弥勒菩薩を礼せず、大慢婆羅門は四聖を座とせり。大天は凡夫にして阿羅漢となのる、無垢(むく)論師が五天第一といゐし、此等は皆阿鼻に堕ちぬ、無間の罪人なり。汝・いかでか一閻浮提第一の智人となのれる。地獄に堕ちざるべしや、おそろしおそろし。 答えて云く、汝は七慢・九慢・八慢等をばしれりや。大覚世尊は三界第一となのらせ給う。一切の外道が云く只今天に罰せらるべし、大地われて入りなんと。日本国の七寺・三百余人が云く、最澄法師は大天が蘇生か、鉄腹(てっぷく)が再誕か等云云。而りといえども天も罰せず・かへて左右を守護し・地もわれず金剛のごとし。伝教大師は叡山を立て一切衆生の眼目となる。結句七大寺は落ちて弟子となり諸国は檀那となる。されば現に勝れたるを勝れたりという事は、慢ににて大功徳なりけるか。伝教大師云く「天台法華宗の諸宗に勝れたるは所依の経に拠るが故に自讃毀他ならず」等云云。 法華経第七に云く「衆山の中に須弥山これ第一なり。此の法華経も亦復かくの如し。諸経の中に於て最もこれ其の上なり」等云云。 此の経文は已説の華厳・般若・大日経等、今説の無量義経、当説の涅槃経等の五千・七千・月支・竜宮・四王天・忉利天(とうりてん)・日月の中の一切経・尽十方界の諸経は、土山・黒山・小鉄囲山(てっちせん)・大鉄囲山のごとし。日本国にわたらせ給える法華経は須弥山のごとし。 又云く「能く是の経典を受持すること有らん者も亦復是(か)くの如し。一切衆生の中に於て亦これ第一なり」等云云。 此の経文をもつて案ずるに、華厳経を持(たも)てる普賢菩薩・解脱月菩薩等・竜樹菩薩・馬鳴菩薩・法蔵大師・清涼国師・則天皇后・審祥(しんじょう)大徳・良弁僧正・聖武天皇。深密・般若経を持てる勝義生菩薩・須菩提尊者・嘉祥大師・玄奘三蔵・太宗・高宗・観勒・道昭・孝徳天皇。真言宗の大日経を持てる金剛薩埵(さった)・竜猛菩薩・竜智菩薩・印生王・善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵・玄宗・代宗・慧果・弘法大師・慈覚大師。涅槃経を持てる迦葉童子菩薩・五十二類・曇無懺(どんむさん)三蔵・光宅寺の法雲・南三北七の十師等よりも、末代悪世の凡夫の一戒も持たず・一闡提のごとくに人には思はれたれども、経文のごとく已今当にすぐれて法華経より外(ほか)は仏になる道なしと強盛に信じて而も一分の解(げ)なからん人人は、彼等の大聖には百千万億倍のまさりなりと申す経文なり。 彼の人人は、或は彼の経経に且く人を入れて法華経へうつさんがためなる人もあり、或は彼の経に著(じゃく)をなして法華経へ入らぬ人もあり、或は彼の経経に留逗(とどまる)のみならず・彼の経経を深く執するゆへに法華経を彼の経に劣るという人もあり。されば今法華経の行者は心うべし。譬えば「一切の川流江河の諸水の中に海これ第一なるが如く、法華経を持つ者も亦復是くの如し。又衆星の中に月天子最もこれ第一なるが如く、法華経を持つ者も亦復是くの如し」等と御心えあるべし。当世日本国の智人等は衆星のごとし、日蓮は満月のごとし。 問うて云く、古(いにし)へ・かくのごとくいえる人ありや。 答えて云く、伝教大師の云く「当に知るべし他宗所依の経は未だ最為第一ならず。其の能く経を持つ者も亦未だ第一ならず。天台法華宗は所持の経・最為第一なるが故に能く法華を持つ者も亦衆生の中に第一なり。已に仏説に拠る、豈自歎ならんや」等云云。 夫れ麒麟の尾につけるだに(蜱)の一日に千里を飛ぶといゐ、転王に随える劣夫(れっぷ)の須臾に四天下をめぐるというをば難ずべしや・疑うべしや。豈自歎哉(あに・じたんならんや)の釈は肝にめい(銘)ずるか。若し爾らば法華経を経のごとくに持つ人は梵王にもすぐれ・帝釈にもこえたり。修羅を随へば須弥山をも・になひぬべし、竜をせめ・つか(使役)はば大海をも・くみほしぬべし。伝教大師云く「讃むる者は福を安明(あんみょう)に積み、謗る者は罪を無間に開く」等云云。 法華経に云く「経を読誦し書持すること有らん者を見て軽賤憎嫉して結恨(けっこん)を懐かん、乃至其の人・命終して阿鼻獄に入らん」等云云。 教主釈尊の金言まことならば、多宝仏の証明たが(違)ずば、十方の諸仏の舌相一定(いちじょう)ならば、今日本国の一切の衆生・無間地獄に堕ちん事疑うべしや。 法華経の八の巻に云く「若し後の世に於て是の経典を受持し読誦せん者は乃至諸願虚しからず。亦現世に於て其の福報を得ん」 又云く「若し之を供養し讃歎すること有らん者は、当に今世に於て現の果報を得べし」等云云。 此の二つの文の中に亦於現世・得其福報の八字、当於今世・得現果報の八字、已上十六字の文むなしくして日蓮今生に大果報なくば、如来の金言は提婆が虚言(そらごと)に同じく、多宝の証明は倶伽利(くぎゃり)が妄語に異ならじ。謗法の一切衆生も阿鼻地獄に堕つべからず、三世の諸仏もましまさざるか。されば我が弟子等・心みに法華経のごとく身命もおしまず修行して此の度仏法を心みよ。南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。 抑(そもそも)此の法華経の文に「我身命(しんみょう)を愛せず、但無上道を惜しむ」 涅槃経に云く「譬えば王使の善能(よく)談論して方便に巧(たくみ)なる。命(めい)を他国に奉(うく)るに・寧ろ身命を喪うとも終に王所説の言教を匿(かく)さざるが如し。智者も亦爾なり。凡夫の中に於て身命を惜まず、かならず大乗方等如来の秘蔵一切衆生に皆仏性有りと宣説すべし」等云云。 いかやうな事のあるゆへに身命をすつるまでにてあるやらん。委細にうけ給わり候はん。 答えて云く、予が初心の時の存念は伝教・弘法・慈覚・智証等の勅宣を給いて漢土にわたりし事の我不愛身命にあたれるか。玄奘三蔵の漢土より月氏に入りしに、六生が間・身命をほろぼししこれ等か。雪山童子の半偈のために身をなげ、薬王菩薩の七万二千歳が間・臂(ひじ)をやきし事か、なんどをもひしほどに、経文のごときんば此等にはあらず。経文に我不愛身命と申すは、上に三類の敵人をあげて彼等がのりせめ、刀杖に及んで身命をうばうともみへたり。 又涅槃経の文に寧喪身命(にょそう・しんみょう)等ととかれて候は次下(つぎしも)の経文に云く「一闡提有り。羅漢の像を作し・空処に住し・方等経典を誹謗す。諸の凡夫人見已つて皆真の阿羅漢・是れ大菩薩なりと謂わん」等云云。 彼の法華経の文に第三の敵人を説いて云く「或は阿蘭若に納衣にして空閑に在つて、乃至世に恭敬(くぎょう)せらるること六通の羅漢の如き有らん」等云云。 般泥洹(はつないおん)経に云く「羅漢に似たる一闡提有つて悪業を行ず」等云云。 此等の経文は正法の強敵と申すは悪王悪臣よりも、外道魔王よりも、破戒の僧侶よりも、持戒有智の大僧の中に大謗法の人あるべし。されば妙楽大師かいて云く「第三最も甚し。後後の者は転(うたた)識り難きを以ての故なり」等云云。 法華経の第五の巻に云く「此の法華経は諸仏如来の秘密の蔵なり。諸経の中に於て最も其の上(かみ)に在り」等云云。 此の経文に最在其上の四字あり。されば此の経文のごときんば、法華経を一切経の頂にありと申すが法華経の行者にてはあるべきか。而るを又国王に尊重せらるる人人あまたありて、法華経にまさりてをはする経経ましますと申す人に・せめあひ候はん時、かの人は王臣に御帰依あり、法華経の行者は貧道なるゆへに・国こぞつてこれを・いやしみ候はん時、不軽菩薩のごとく・賢愛論師がごとく、申しつを(強)らば身命に及ぶべし。此れが第一の大事なるべしとみへて候。此の事は今の日蓮が身にあたれり。 予が分斉として弘法大師・慈覚大師・善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵なんどを法華経の強敵なり、経文まことならば無間地獄は疑ひなしなんど申すは、裸形(あかはだか)にて大火に入るはやすし、須弥を手にと(取)て・なげんはやすし、大石を負うて大海をわたらんはやすし、日本国にして此の法門を立てんは大事なるべし云云。 霊山浄土の教主釈尊・宝浄世界の多宝仏・十方分身の諸仏・地涌千界の菩薩等・梵釈・日月・四天等、冥(みょう)に加し・顕に助け給はずば、一時一日も安穏なるべしや。 [撰時抄 本文] 完
by johsei1129
| 2019-10-22 16:02
| 撰時抄(御書五大部)
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