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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 10月 22日

末法こそ妙法蓮華経の流布する時であることをあきらかにした書【撰時抄】 その三

[撰時抄 本文] その三

 問うて云く、竜樹・世親等は法華経の実義をば宣べ給わずや。答えて云く、宣べ給はず。問うて云く、何なる教をか宣べ給いし。答えて云く、華厳・方等・般若・大日経等の権大乗・顕密の諸経をのべさせ給いて法華経の法門をば宣べさせ給はず。問うて云く、何をもつてこれをしるや。答えて云く、竜樹菩薩の所造の論三十万偈・而れども尽して漢土・日本にわたらざれば其の心しりがたしといえども、漢土にわたれる十住毘婆娑論(じゅうじゅう・びばしゃろん)・中論・大論等をもつて天竺の論をも比知して此れを知るなり。

 疑つて云く、天竺に残る論の中にわたれる論よりも勝れたる論やあるらん。答えて云く、竜樹菩薩の事は私に申すべからず。仏記し給う、我が滅後に竜樹菩薩と申す人・南天竺に出ずべし。彼の人の所詮は中論という論に有るべしと仏記し給う。随つて竜樹菩薩の流(ながれ)・天竺に七十家あり・七十人ともに大論師なり。彼の七十家の人人は皆中論を本とす。中論四巻・二十七品の肝心は因縁所生法の四句の偈なり。此の四句の偈は華厳・般若等の四教・三諦の法門なり。いまだ法華開会(かいえ)の三諦をば宣べ給はず。
 疑つて云く、汝がごとくに料簡せる人ありや。答えて云く、天台云く「中論を以て相比すること莫(なか)れ」又云く「天親竜樹・内鑒冷然(ないがん・れいねん)にして外は時の宜(よろし)きに適う」等云云。妙楽云く「破会(はえ)を論ぜば未だ法華に若かざる故に」云云。従義の云く「竜樹天親・未だ天台に若かず」云云。

 問うて云く、唐の末に不空三蔵一巻の論をわたす。其の名を菩提心論となづく。竜猛菩薩の造なり云云。弘法大師云く「此の論は竜猛千部の中の第一肝心の論」と云云。答えて云く、此の論一部七丁あり。竜猛の言(ことば)ならぬ事処処に多し。故に目録にも或は竜猛・或は不空と両方にいまだ事定まらず。其の上・此の論文は一代を括(くく)れる論にもあらず、荒量なる事此れ多し。先ず唯真言法中の肝心の文あやまりなり。其の故は文証・現証ある法華経の即身成仏をば・なきになして、文証も現証もあとかたもなき真言経に即身成仏を立て候。
 又唯(ゆい)という唯(ただ)の一字は第一のあやまりなり。事のてい(体)を見るに不空三蔵の私につくりて候を、時の人に・をもくせさせんがために事を竜猛によせたるか。其の上不空三蔵は誤る事かずをほし。所謂法華経の観智の儀軌に寿量品を阿弥陀仏とかける眼(め)の前の大僻見(だいびゃっけん)、陀羅尼品を神力品の次にをける、属累品を経末に下(くだ)せる、此等はいうかひなし。さるかとみれば天台の大乗戒を盗んで代宗皇帝に宣旨を申し、五台山の五寺に立てたり。而も又真言の教相には天台宗をすべしといえり。かたがた誑惑(おうわく)の事どもなり。他人の訳ならば用ゆる事もありなん、此の人の訳せる経論は信ぜられず。
 総じて月支より漢土に経論をわたす人、旧訳・新訳に一百八十六人なり。羅什三蔵一人を除いてはいづれの人人も誤らざるはなし。其の中に不空三蔵は殊に誤(あやまり)多き上・誑惑の心顕(あらわ)なり。疑つて云く、何をもつて知るぞや。羅什三蔵より外の人人はあやまりなりとは。汝が禅宗・念仏・真言等の七宗を破るのみならず、漢土・日本にわたる一切の訳者を用いざるかいかん。答えて云く、此の事は余が第一の秘事なり、委細には向つて問うべし。但しすこし申すべし。羅什三蔵の云く、我漢土の一切経を見るに皆梵語のごとくならず。いかでか此の事を顕すべき。但し一つの大願あり。身を不浄になして妻を帯すべし、舌計り清浄になして仏法に妄語せじ。我死なば・必(かならず)やくべし。焼かん時・舌焼けるならば我が経をすてよと常に高座にしてとかせ給しなり。上(かみ)一人より下(しも)万民にいたるまで願じて云く、願くは羅什三蔵より後に死せんと。終に死し給う後、焼きたてまつりしかば、不浄の身は皆灰となりぬ。御舌計り・火中に青蓮華・生(おい)て其の上にあり。五色の光明を放ちて夜は昼のごとく、昼は日輪の御光(みひかり)をうばい給いき。さてこそ一切の訳人の経経は軽くなりて、羅什三蔵の訳し給える経経、殊に法華経は漢土にやすやすとひろまり給いしか。

 疑つて云く、羅什已前はしかるべし、已後の善無畏・不空等は如何。答えて云く、已後なりとも訳者の舌の焼けるをば誤りありけりとしるべし。されば日本国に法相宗の・はやりたりしを伝教大師責めさせ給いしには、羅什三蔵は舌焼けず、玄奘・慈恩は舌焼けぬとせめさせ給いしかば、桓武天王は道理とをぼして天台法華宗へはうつらせ給いしなり。涅槃経の第三・第九等をみまいらすれば、我が仏法は月支より他国へわたらん時、多くの謬誤(あやまり)出来して衆生の得道うすかるべしととかれて候。されば妙楽大師は「並びに進退は人に在り。何ぞ聖旨に関らん」とこそ・あそばされて候へ。今の人人いかに経のままに後世をねがうとも、あやまれる経経のままにねがはば得道もあるべからず。しかればとて仏の御とがにはあらじと・かかれて候。仏教を習ふ法には大小・権実・顕密はさてをく、これこそ第一の大事にては候らめ。

 疑つて云く、正法一千年の論師の内心には法華経の実義の顕密の諸経に超過してあるよしは・しろしめしながら、外には宣説せずして但権大乗計りを宣べさせ給うことは・しかるべしとはをぼへねども、其の義はすこしきこえ候いぬ。像法一千年の半(なかば)に天台智者大師・出現して題目の妙法蓮華経の五字を玄義十巻一千枚にかきつくし、文句十巻には始め如是我聞より終り作礼而去(さらいにこ)にいたるまで一字一句に因縁・約教・本迹・観心の四の釈をならべて又一千枚に尽くし給う。已上玄義・文句の二十巻には一切経の心を江河として法華経を大海にたとえ、十方界の仏法の露・一しずくも漏らさず妙法蓮華経の大海に入れさせ給いぬ。其の上・天竺の大論の諸義・一点ももらさず漢土・南北の十師の義、破すべきをば・これをはし、取るべきをば此れを用う。其の上・止観十巻を注して一代の観門を一念にす(統)べ、十界の依正を三千につづめたり。此の書の文体は、遠くは月支一千年の間の論師にも超え、近くは尸那五百年の人師の釈にも勝れたり。
 故に三論宗の吉蔵大師・南北一百余人の先達と長者らをすすめて天台大師の講経を聞けと勧むる状に云く「千年の興・五百の実・復今日に在り、乃至南岳の叡聖・天台の明哲・昔は三業住持し、今は二尊に紹係す。豈止甘呂(あに・ただかんろ)を震旦に灑(そそ)ぐのみならん、亦当に法鼓(ほっく)を天竺に震うべし。生知の妙悟・魏晉以来(このかた)典籍風謡・実に連類無し、乃至禅衆一百余の僧と共に智者大師を奉請(ぶじょう)す」等云云。修南山の道宣律師、天台大師を讃歎して云く「法華を照了すること高輝の幽谷に臨むが若く、摩訶衍(まかえん)を説くこと長風の太虚に遊ぶに似たり。仮令(たとえ)文字の師、千羣(せんぐん)万衆ありて彼の妙弁を数(あつ)め尋ぬとも能く窮むる者無し。乃至義・月を指すに同じ乃至宗一極に帰す」云云。華厳宗の法蔵大師天台を讃して云く「思禅師智者等の如き神異(じんい)に感通して迹(しゃく)登位に参(まじ)わる。霊山の聴法・憶(おも)い今に在り」等云云。
 真言宗の不空三蔵・含光法師等、師弟共に真言宗をすてて天台大師に帰伏する物語に云く、高僧伝に云く「不空三蔵と親(まのあ)たり天竺に遊びたるに彼(かしこ)に僧有り。問うて曰く、大唐に天台の迹教有り。最も邪正を簡(えら)び・偏円を暁らむるに堪えたり。能く之を訳して将に此(この)土に至らしむ可きや」等云云。此の物語は含光が妙楽大師にかたり給(たまい)しなり。妙楽大師・此の物語を聞いて云く「豈中国に法を失いて之を四維に求むるに非ずや。而も此方(このかた)識ること有る者少し。魯人の如きのみ」等云云。身毒(けんどく)国の中に天台三十巻のごとくなる大論あるならば、南天の僧いかでか漢土の天台の釈をねがうべき。これあに像法の中に法華経の実義顕れて南閻浮提に広宣流布するにあらずや。
 答えて云く、正法一千年・像法の前四百年、已上仏滅後・一千四百余年にいまだ論師の弘通し給はざる一代超過の円定・円慧を漢土に弘通し給うのみならず、其の声(な)月氏までもきこえぬ。法華経の広宣流布には・にたれども、いまだ円頓の戒壇を立てられず。小乗の威儀をもつて円の慧・定に切りつけるは・すこし便(たより)なきににたり。例せば日輪の蝕するがごとし、月輪のかけたるに似たり。何にいわうや天台大師の御時は大集経の読誦多聞堅固の時にあひあた(当)て・いまだ広宣流布の時にあらず。

 問うて云く、伝教大師は日本国の士(ひと)なり。桓武の御宇に出世して欽明より二百余年が間の邪義をなんじやぶり、天台大師の円慧・円定をせんじ給うのみならず、鑒真(がんじん)和尚の弘通せし日本小乗の三処の戒壇をなんじやぶり、叡山に円頓の大乗別受戒を建立せり。此の大事は仏滅後一千八百年が間の身毒(けんどく)・尸那・扶桑乃至一閻浮提第一の奇事なり。内証は竜樹・天台等には或は劣るにもや、或は同じくもやあるらん、仏法の人をすべて一法となせる事は竜樹・天親にもこえ、南岳・天台にもすぐれて見えさせ給うなり。総じては如来御入滅の後一千八百年が間、此の二人こそ法華経の行者にてはをはすれ。
 故に秀句に云く「経に云く、若し須弥(しゅみ)を接つて他方無数の仏土に擲(な)げ置かんも亦未だこれ難しとせず、乃至若し仏の滅度悪世の中に於て能く此の経を説かん。是則ちこれ難し」云云。此の経を釈して云く「浅きは易く・深きは難しとは釈迦の所判なり。浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり。天台大師は釈迦に信順し・法華宗を助けて震旦に敷揚(ふよう)し、叡山の一家は天台に相承し・法華宗を助けて日本に弘通す」云云。釈の心は賢劫第九の減・人寿百歳の時より如来在世五十年・滅後一千八百余年が中間に高さ十六万八千由旬・六百六十二万里の金山を有人(あるひと)五尺の小身(しょうしん)の手をもつて方一寸・二寸等の瓦礫(かわらこいし)をにぎりて一丁二丁までなぐるがごとく、雀鳥(すずめ)のとぶよりもはやく鉄囲山(てっちせん)の外へなぐる者はありとも、法華経を仏のとかせ給いしやうに説かん人は末法にはまれなるべし。天台大師・伝教大師こそ仏説に相似してとかせ給いたる人にてをはすれとなり。天竺の論師はいまだ法華経へゆきつき給はず、漢土の天台已前の人師は或はすぎ・或はたらず。慈恩・法蔵・善無畏等は東を西といゐ、天を地と申せる人人なり。
 此等は伝教大師の自讃にはあらず。去る延暦二十一年正月十九日、高雄山に桓武皇帝行幸(みゆき)なりて六宗・七大寺の碩徳たる善議・勝猷(しょうゆう)・奉基(ほうき)・寵忍(ちょうにん)・賢玉(けんぎょく)・安福・勤操(ごんそう)・修円・慈誥(じこう)・玄耀・歳光・道証・光証・観敏等の十有余人、最澄法師と召し合はせられて宗論ありしに、或は一言に舌を巻いて二言三言に及ばず、皆一同に頭をかたぶけ手をあざ(叉)う。三論の二蔵・三時・三転法輪・法相の三時・五性・華厳宗の四教・五教・根本枝末・六相・十玄・皆大綱をやぶらる。例せば大屋(おおいえ)の棟梁(むなぎ・うつばり)の・をれたるがごとし。十大徳の慢幢(まんどう)も倒れにき。
 爾の時・天子大に驚かせ給いて同二十九日に弘世・国道(ひろよ・くにみち)の両吏を勅使として重ねて七寺・六宗に仰せ下れしかば、各各帰伏の状を載せて云く「竊(ひそか)に天台の玄疏を見れば総じて釈迦一代の教を括(くく)つて悉く其の趣を顕はすに通ぜざる所無く、独り諸宗に逾(こ)え・殊に一道を示す。其の中の所説甚深の妙理なり。七箇の大寺・六宗の学生、昔より未だ聞かざる所・曾て未だ見ざる所なり。三論・法相久年の諍い渙焉(かんえん)として氷の如く釈(と)け、照然として既に明かに猶雲霧を披いて三光を見るがごとし。聖徳の弘化より以降(このかた)、今に二百余年の間・講ずる所の経論其の数多く・彼此(ひし)理を争えども其の疑ひ未だ解けず。而るに此の最妙の円宗未だ闡揚(せんよう)せず。蓋(けだ)し以て此の間の羣生(ぐんしょう)・未だ円味に応(かな)わざるか。伏して惟(おもんみ)れば聖朝久しく如来の付を受け、深く純円の機を結び、一妙の義理・始めて乃ち興顕し、六宗の学者初めて至極を悟る。此の界の含霊(がんりょう)今より後・悉く妙円の船に載り、早く彼岸に済(わた)る事を得ると謂いつべし。乃至善議等・牽(ひか)れて休運に逢い、乃ち奇詞を閲(けみ)す。深期(じんご)に非ざるよりは何ぞ聖世に託せんや」等云云。
 彼の漢土の嘉祥(かじょう)等は百余人をあつめて天台大師を聖人と定めたり。今日本の七寺・二百余人は伝教大師を聖人と・がうしたてまつる。仏の滅後二千余年に及んで両国に聖人二人・出現せり。其の上天台大師の未弘の円頓大戒を叡山に建立し給う。此れ豈・像法の末に法華経・広宣流布するにあらずや。
 答えて云く、迦葉阿難等の弘通せざる大法を馬鳴・竜樹・提婆・天親等の弘通せる事、前(さき)の難に顕はれたり。又竜樹・天親等の流布し残し給える大法・天台大師の弘通し給う事・又難にあらはれぬ。又天台智者大師の弘通し給はざる円頓の大戒を伝教大師の建立せさせ給う事・又顕然なり。
 但し詮と不審なる事は仏は説き尽し給えども、仏滅後に迦葉・阿難・馬鳴・竜樹・無著・天親・乃至天台・伝教のいまだ弘通しましまさぬ最大の深密の正法、経文の面に現前なり。此の深法・今末法の始(はじめ)五五百歳に一閻浮提に広宣流布すべきやの事・不審極り無きなり。

 問う、いかなる秘法ぞ。先ず名をき(聞)き、次に義をきかんとをもう。此の事もし実事ならば釈尊の二度・世に出現し給うか、上行菩薩の重ねて涌出せるか。いそぎいそぎ慈悲をたれられよ。彼の玄奘三蔵は六生を経て月氏に入りて十九年、法華一乗は方便教・小乗阿含経は真実教、不空三蔵は身毒(けんどく)に返りて寿量品を阿弥陀仏とかかれたり。此等は東を西という、日を月とあやまてり。身を苦(くるし)めてなにかせん、心に染みてようなし。幸い我等・末法に生れて一歩をあゆまずして三祇(さんぎ)をこゑ、頭(こうべ)を虎にかわずして無見頂相をゑん。
 答えて云く、此の法門を申さん事は経文に候へば・やすかるべし。但し此の法門には先ず三の大事あり。大海は広けれども死骸をとどめず、大地は厚けれども不孝の者をば載せず。仏法には五逆をたすけ不孝をばすくう。但し誹謗・一闡提の者、持戒にして第一なるをばゆるされず。此の三のわざはひとは・所謂念仏宗と禅宗と真言宗となり。
 一には念仏宗は日本国に充満して四衆の口あそびとす。二に禅宗は三衣一鉢(さんね・いっぱつ)の大慢の比丘の四海に充満して一天の明導(みょうどう)とをもへり。三に真言宗は又彼等の二宗にはにるべくもなし。叡山・東寺・七寺・園城、或は官主・或は御室・或は長吏・或は検校(けんぎょう)なり。かの内侍所(ないじどころ)の神鏡(みかがみ)・燼灰(じんかい)となりしかども大日如来の宝印を仏鏡とたのみ、宝剣西海(さいかい)に入りしかども五大尊をもつて国敵を切らんと思へり。此等の堅固の信心は設い劫石(ごうしゃく)はひすらぐとも・かたぶくべしとはみへず、大地は反覆すとも疑心をこりがたし。彼の天台大師の南北をせめ給いし時も此の宗はいまだわたらず。此の伝教大師の六宗をしゑたげ給いし時も・も(洩)れぬ。かたがたの強敵をまぬがれて・かへつて大法をかすめ失う。
 其の上伝教大師の御弟子・慈覚大師、此の宗をとりたてて・叡山の天台宗をかすめをとして一向真言宗になししかば、此の人には誰の人か敵をなすべき。かかる僻見(びゃっけん)のたよりをえて弘法大師の邪義をも・とがむる人もなし。安然和尚すこし弘法を難ぜんとせしかども只華厳宗のところ計り・とがむるににて、かへて法華経をば大日経に対して沈めはてぬ。ただ世間のたて(立)入の者のごとし。




by johsei1129 | 2019-10-22 11:29 | 撰時抄(御書五大部) | Trackback | Comments(0)
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