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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 10月 22日

末法こそ妙法蓮華経の流布する時であることをあきらかにした書【撰時抄】 その二

[撰時抄 本文] その二
 問うて云く、其の証文如何。
 答えて云く、法華経の第七に云く「我が滅度の後、後の五百歳の中に広宣流布して閻浮提に於て断絶せしむること無けん」等云云。経文は大集経の白法隠没の次の時をとかせ給うに広宣流布と云云。同第六の巻に云く「悪世末法の時・能く是の経を持つ者」等云云。
 又第五の巻に云く「後の末世の法滅せんとする時」等・又第四の巻に云く「而も此の経は如来現在にすら猶怨嫉多し。況んや滅度の後をや」
 又第五の巻に云く「一切世間怨(あだ)多くして信じ難し」。
 又第七の巻に第五の五百歳・闘諍堅固の時を説いて云く「悪魔・魔民・諸の天竜・夜叉・鳩槃荼(くはんだ)等・其の便(たより)を得ん」
 大集経に云く「我が法の中に於て闘諍言訟せん」等云云。
 法華経の第五に云く「悪世の中の比丘」又云く「或は阿蘭若(あれんにゃ)に有り」等云云。又云く「悪鬼其身に入る」等云云。
 文の心は第五の五百歳の時・悪鬼の身に入(いれ)る大僧等、国中に充満せん。其の時に智人一人出現せん。彼の悪鬼の入る大僧等、時の王臣・万民等を語らひて悪口罵詈(あっく・めり)・杖木瓦礫(じょうもく・がりゃく)・流罪死罪に行はん時、釈迦・多宝・十方の諸仏、地涌の大菩薩らに仰せつけ、大菩薩は梵帝・日月・四天等に申しくだされ、其の時天変・地夭・盛んなるべし。
 国主等・其のいさめを用いずば、鄰国にをほせつけて彼彼の国国の悪王・悪比丘等をせめらるるならば、前代未聞の大闘諍・一閻浮提に起るべし。其の時・日月所照の四天下の一切衆生、或は国を・をしみ、或は身を・をしむゆへに、一切の仏菩薩にいのりをかくとも・しるしなくば彼のにくみつる一(ひとり)の小僧を信じて無量の大僧等・八万の大王等・一切の万民、皆頭(こうべ)を地につけ・掌を合せて一同に南無妙法蓮華経と・となうべし。例せば神力品の十神力の時、十方世界の一切衆生・一人もなく娑婆世界に向つて大音声をはなちて、南無釈迦牟尼仏・南無釈迦牟尼仏・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と一同にさけびしがごとし。
 問うて曰く、経文は分明(ふんみょう)に候。天台・妙楽・伝教等の未来記の言はありや。
 答えて曰く、汝が不審逆(さかしま)なり。釈を引かん時こそ・経論はいかにとは不審せられたれ。経文に分明ならば釈を尋ぬべからず。さて釈の文が経に相違せば、経をすてて釈につくべきか如何。
 彼云く、道理至極せり。しかれども凡夫の習(ならい)、経は遠し、釈は近し。近き釈分明ならばいますこし信心をますべし。
 今云く、汝が不審ねんごろなれば少少釈をいだすべし。
 天台大師云く「後の五百歳遠く妙道に沾(うるお)わん」妙楽大師云く「末法の初め、冥利無きにあらず」
 伝教大師云く「正像稍過ぎ已つて末法太(はなは)だ近きに有り。法華一乗の機・今正しく是れ其の時なり。何を以て知ることを得る。安楽行品に云く・末世法滅の時なり」
 又云く「代を語れば則ち像の終り末の初め、地を尋ぬれば唐の東・羯(かつ)の西、人を原(たず)ぬれば五濁の生・闘諍の時なり。経に云く、猶多怨嫉(ゆたおんしつ)・況滅度後(きょうめつどご)と。此の言・良(まこと)に以(ゆえ)有るなり」云云。
 夫れ釈尊の出世は住劫第九の減・人寿百歳の時なり。百歳と十歳との中間・在世五十年・滅後二千年と一万年となり。其の中間に法華経の流布の時・二度あるべし。所謂・在世の八年、滅後には末法の始めの五百年なり。而(しかる)に天台・妙楽・伝教等は進んでは在世法華経の時にも・もれさせ給いぬ。退いては滅後・末法の時にも生れさせ給はず、中間なる事をなげかせ給いて末法の始めをこひさせ給う御筆なり。例せば阿私陀(あしだ)仙人が悉達(しった)太子の生れさせ給いしを見て悲んで云く、現生には九十にあまれり、太子の成道を見るべからず。後生には無色界に生れて五十年の説法の坐にもつら(列)なるべからず。正像末にも生るべからずとなげきしがごとし。
 道心あらん人人は此を見・ききて悦ばせ給え。正像二千年の大王よりも・後世を・をもはん人人は末法の今の民にてこそあるべけれ。此を信ぜざらんや。彼の天台の座主よりも南無妙法蓮華経と唱うる癩人とはなるべし。梁の武帝の願に云く「寧ろ提婆達多とな(成)て無間地獄には沈むとも、欝頭羅弗(うず・らんほつ)とはならじ」と云云。
 問うて云く、竜樹・天親等の論師の中に此の義ありや。
 答えて云く、竜樹・天親等は内心には存ぜさせ給うといえども、言(ことば)には此の義を宣べ給はず。
 求めて云く、いかなる故にか宣(のべ)給ざるや。
 答えて云く、多くの故あり。一には彼の時には機なし・二には時なし・三には迹化なれば付嘱せられ給はず。
 求めて云く、願くは此の事・よくよくきかんとをもう。
 答えて云く、夫仏の滅後二月十六日よりは正法の始めなり。迦葉尊者・仏の付嘱をうけて二十年、次に阿難尊者二十年・次に商那和修二十年・次に優婆崛多(うばくった)二十年・次に提多迦(だいたか)二十年。已上一百年が間は但小乗経の法門をのみ弘通して諸大乗経は名字もなし。何に況んや法華経をひろむべしや。次には弥遮迦(みしゃか)・仏陀難提(ぶつだなんだい)・仏駄密多・脇比丘(きょうびく)・富那奢(ふなしゃ)等の四五人。前の五百余年が間は大乗経の法門少少・出来(しゅったい)せしかども・とりたてて弘通し給はず、但小乗経を面(おもて)としてやみぬ。已上大集経の先(さき)五百年、解脱堅固の時なり。
 正法の後・六百年・已後一千年が前、其の中間に馬鳴菩薩・毘羅(びら)尊者・竜樹菩薩・提婆菩薩・羅睺(らご)尊者・僧抾難提(そうぎゃなんだい)・僧伽耶奢(そうぎゃやしゃ)・鳩摩羅駄(くまらだ)・闍夜那(じゃやな)・盤陀(ばんだ)・摩奴羅(まぬら)・鶴勒夜那(かくろくやな)・師子等の十余人の人人、始めには外道の家に入り・次には小乗経をきわめ、後には諸大乗経をもて諸小乗経をさんざんに破し失ひ給いき。此等の大士等は諸大乗経をもつて諸小乗経をば破せさせ給いしかども、諸大乗経と法華経の勝劣をば分明(ふんみょう)にかかせ給はず。設い勝劣をすこし・かかせ給いたるやうなれども、本迹の十妙・二乗作仏・久遠実成・已今当(いこんとう)の妙・百界千如・一念三千の肝要の法門は分明ならず。但或は指をもつて月をさすがごとくし、或は文にあたりて・ひとはし計りかかせ給いて化導の始終・師弟の遠近・得道の有無はすべて一分もみへず。此等は正法の後の五百年・大集経の禅定堅固の時にあたれり。
 正法一千年の後は月氏に仏法充満せしかども、或は小をもて大を破し・或は権経をもつて実経を隠没し、仏法さまざまに乱れしかば得道の人やふやく・すくなく、仏法につけて悪道に堕つる者かずをしらず。正法一千年の後・像法に入つて一十五年と申せしに、仏法東に流れて漢土に入りにき。像法の前五百年の内・始めの一百余年が間は漢土の道士と月氏の仏法と諍論していまだ事さだまらず。設い定まりたりしかども仏法を信ずる人の心いまだふかからず。而るに仏法の中に大小・権実・顕密をわ(分)かつならば聖教一同ならざる故・疑ひをこりてかへりて外典とともなう者もありぬべし。これらのをそ(恐)れ・あるかのゆへに摩騰・竺蘭は自らは知つて而も大小を分けず、権実をいはずしてやみぬ。
 其の後、魏・晋・斉・宋・梁の五代が間、仏法の内に大小・権実・顕密をあらそひし程に、いづれこそ道理ともきこえずして上み一人より下も万民にいたるまで不審すくなからず。南三・北七と申して仏法十流にわかれぬ。所謂南には三時・四時・五時、北には五時・半満・四宗・五宗・六宗・二宗の大乗・一音(いっとん)等、各各義を立て辺執(へんしゅう)水火なり。しかれども大綱は一同なり。所謂一代聖教の中には華厳経第一・涅槃経第二・法華経第三なり。法華経は阿含・般若・浄名・思益(しやく)等の経経に対すれば真実なり、了義経・正見なり。しかりといへども涅槃経に対すれば無常教・不了義経・邪見の経等云云。
 漢より四百余年の末へ五百年に入つて陳隋二代に智顗(ちぎ)と申す小僧一人あり。後には天台智者大師と号したてまつる。南北の邪義をやぶりて一代聖教の中には法華経第一・涅槃経第二・華厳経第三なり等云云。此れ像法の前・五百歳・大集経の読誦多聞堅固の時にあひあたれり。
 像法の後・五百歳は唐の始め・太宗皇帝の御宇に玄奘三蔵・月支に入つて十九年が間・百三十箇国の寺塔を見聞して多くの論師に値いたてまつりて八万聖教・十二部経の淵底(えんでい)を習いきわめしに・其の中に二宗あり。所謂法相宗・三論宗なり。此の二宗の中に法相大乗は遠くは弥勒・無著(むちゃく)、近くは戒賢論師に伝えて漢土にかへりて太宗皇帝にさづけさせ給う。此の宗の心は仏教は機に随うべし。一乗の機のためには三乗方便・一乗真実なり、所謂法華経等なり。三乗の機のためには三乗真実・一乗方便、所謂深密経・勝鬘(しょうまん)経等此れなり。天台智者等は此の旨を弁えず等云云。而も太宗は賢王なり。当時名を一天にひびかすのみならず、三皇にもこえ五帝にも勝れたるよし四海にひびき、漢土を手ににぎるのみならず高昌・高麗(こま)等の一千八百余国をなびかし、内外を極めたる王ときこへし賢王の第一の御帰依の僧なり。天台宗の学者の中にも頭(かしら)をさしいだす人一人もなし。而れば法華経の実義すでに一国に隠没しぬ。同じき太宗の太子高宗・高宗の継母(けいぼ)則天皇后の御宇に法蔵法師といふ者あり。法相宗に天台宗のをそわるるところを見て、前に天台の御時せめられし華厳経を取出して一代の中には華厳第一・法華第二・涅槃第三と立てけり。
 太宗第四代・玄宗皇帝の御宇・開元四年・同八年に西天印度より善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵、大日経・金剛頂経・蘇悉地経を持て渡り、真言宗を立つ。此の宗の立義に云く、教に二種あり。一には釈迦の顕教、所謂華厳・法華等。二には大日の密教、所謂大日経等なり。法華経は顕教の第一なり。此の経は大日の密教に対すれば極理は少し同じけれども事相の印契と真言とは・たえてみへず。三密相応せざれば不了義経等云云。
 已上法相・華厳・真言の三宗一同に天台法華宗をやぶれども天台大師程の智人・法華宗の中になかりけるかの間、内内はゆはれなき由は存じけれども、天台のごとく公場にして論ぜられざりければ、上・国王大臣、下一切の人民にいたるまで皆仏法に迷いて衆生の得道みなとどまりけり。
 此等は像法の後の五百年の前二百余年が内なり。像法に入つて四百余年と申しけるに百済国より一切経並びに教主釈尊の木像・僧尼等、日本国にわたる。漢土の梁の末・陳の始めにあひあたる。日本には神武天王よりは第三十代・欽明天王の御宇なり。欽明の御子(みこ)・用明の太子に上宮王子、仏法を弘通し給うのみならず並びに法華経・浄名経・勝鬘経を鎮護国家の法と定めさせ給いぬ。其の後・人王第三十七代に孝徳天王の御宇に三論宗・成実宗を観勒僧正・百済国よりわたす。同御代に道昭法師、漢土より法相宗・倶舎(くしゃ)宗をわたす。人王第四十四代・元正天王の御宇に天竺より大日経をわたして有りしかども而も弘通せずして漢土へかへる。此の僧をば善無畏三蔵という。
 人王第四十五代に聖武天皇の御宇に審祥(しんじょう)大徳、新羅国より華厳宗をわたして良弁僧正、聖武天王にさづけたてまつりて東大寺の大仏を立てさせ給えり。同御代に大唐の鑒真(がんじん)和尚、天台宗と律宗をわたす。其の中に律宗をば弘通し小乗の戒場を東大寺に建立せしかども、法華宗の事をば名字をも申し出させ給はずして入滅し了んぬ。
 其の後・人王第五十代・像法八百年に相当つて桓武天王の御宇に最澄と申す小僧出来せり。後には伝教大師と号したてまつる。始めには三論・法相・華厳・倶舎・成実・律の六宗並びに禅宗等を行表僧正等に習学せさせ給いし程に、我と立て給える国昌寺・後には比叡山と号す。此(ここ)にして六宗の本経・本論と宗宗の人師の釈とを引き合せて御らむありしかば、彼の宗宗の人師の釈・所依の経論に相違せる事多き上、僻見(びゃっけん)多多にして信受せん人・皆悪道に堕ちぬべしとかんがへさせ給う。
 其の上法華経の実義は宗宗の人人・我も得たり我も得たりと自讃ありしかども其の義なし。此れを申すならば喧嘩出来すべし。もだ(黙)して申さずば仏誓にそむきなんとをもひ・わづらはせ給いしかども、終に仏の誡(いましめ)を・をそれて桓武皇帝に奏し給いしかば、帝・此の事ををどろかせ給いて六宗の碩学に召し合させ給う。彼の学者等、始めは慢幢(まんどう)・山のごとし、悪心・毒蛇のやうなりしかども、終に王の前(みまえ)にしてせめをとされて六宗・七寺・一同に御弟子(みでし)となりぬ。 例せば漢土の南北の諸師、陳殿にして天台大師にせめおとされて御弟子となりしがごとし。此れはこれ円定(えんじょう)・円慧(えんね)計りなり。
 其の上天台大師のいまだせめ給はざりし小乗の別受戒をせめをとし、六宗の八大徳に梵網経の大乗別受戒をさづけ給うのみならず、法華経の円頓の別受戒を叡山に建立せしかば、延暦円頓の別受戒は日本第一たるのみならず、仏の滅後一千八百余年が間・身毒・尸那(けんどく・しな)一閻浮提にいまだなかりし霊山の大戒日本国に始まる。されば伝教大師は其の功を論ずれば竜樹天親にもこえ、天台・妙楽にも勝れてをはします聖人なり。されば日本国の当世の東寺・園城・七大寺・諸国の八宗・浄土・禅宗・律宗等の諸僧等、誰人か伝教大師の円戒をそむくべき。かの漢土九国の諸僧等は円定・円慧は天台の弟子にに(似)たれども、円頓一同の戒場は漢土になければ・戒にをいては弟子とならぬ者もありけん。この日本国は伝教大師の御弟子にあらざる者は外道なり・悪人なり。
 而れども漢土日本の天台宗と真言の勝劣は大師・心中には存知せさせ給いけれども、六宗と天台宗とのごとく公場にして勝負なかりけるゆへにや、伝教大師已後には東寺・七寺・園城の諸寺日本一州一同に真言宗は天台宗に勝れたりと・上一人より下万人にいたるまで・をぼしめし・をもえり。しかれば天台法華宗は伝教大師の御時計りにぞありける。此の伝教の御時は像法の末・大集経の多造塔寺堅固の時なり。いまだ於我法中・闘諍言訟・白法隠没の時にはあたらず。
 今末法に入つて二百余歳。大集経の於我法中・闘諍言訟・白法隠没の時にあたれり。仏語まことならば定んで一閻浮提に闘諍起るべき時節なり。伝え聞く、漢土は三百六十箇国・二百六十余州はすでに蒙古国に打ちやぶられぬ。華洛すでにやぶられて徽宗(きそう)・欽宗の両帝、北蕃にいけどりにせられて韃靼(だったん)にして終にかくれ(崩御)させ給いぬ。徽宗の孫・高宗皇帝は長安をせめをとされて田舎の臨安・行在府(あんざいふ)に落ちさせ給いて今に数年が間・京(みやこ)を見ず。高麗六百余国も新羅・百済等の諸国等も皆大蒙古国の皇帝にせめられぬ。今の日本国の壱岐・対馬並びに九国のごとし。闘諍堅固の仏語・地に堕ちず。あたかもこれ大海の・しを(潮)の時をたがへざるがごとし。
 是をもつて案ずるに、大集経の白法隠没の時に次いで法華経の大白法の日本国並びに一閻浮提に広宣流布せん事も疑うべからざるか。彼の大集経は仏説の中の権大乗ぞかし。生死をはなるる道には法華経の結縁なき者のためには未顕真実なれども、六道・四生・三世の事を記し給いけるは、寸分もたがはざりけるにや。何に況んや法華経は釈尊、要当説真実となのらせ給い・多宝仏は真実なりと御判をそ(添)へ、十方の諸仏は広長舌を梵天につけて誠諦(じょうたい)と指し示し、釈尊は重ねて無虚妄の舌を色究竟(しき・くきょう)に付けさせ給いて・後五百歳に一切の仏法の滅せん時、上行菩薩に妙法蓮華経の五字を・もたしめて・謗法一闡提の白癩病の輩の良薬とせんと、梵帝・日月・四天・竜神等に仰せつけられし金言・虚妄なるべしや。大地は反覆すとも、高山は頽落(たいらく)すとも、春の後に夏は来たらずとも、日は東へかへるとも、月は地に落つるとも此の事は一定(いちじょう)なるべし。
 此の事一定ならば闘諍堅固の時、日本国の王臣と並びに万民等が仏の御使ひとして南無妙法蓮華経を流布せんとするを、或は罵詈(めり)し、或は悪口(あっく)し、或は流罪し、或は打擲(ちょうちゃく)し、弟子眷属等を種種の難にあわする人人、いかでか安穏にては候べき。これをば愚癡の者は咒詛(じゅそ)すと・をもひぬべし。法華経をひろむる者は日本国の一切衆生の父母なり。章安大師云く「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり」等云云。されば日蓮は当帝の父母、念仏者・禅衆・真言師等が師範なり又主君なり。而るを上一人より下万民にいたるまであだをなすをば・日月いかでか彼等が頂を照し給うべき、地神いかでか彼等の足を戴き給うべき。
 提婆達多は仏を打ちたてまつりしかば大地揺動して火炎いでにき。檀弥羅(だんみら)王は師子尊者の頚(くび)を切りしかば右の手・刀とともに落ちぬ。徽宗皇帝は法道が面にかなやき(火印)をやきて江南にながせしかば、半年が内にゑびす(夷人)の手にかかり給いき。蒙古のせめも又かくのごとくなるべし。設い五天のつわものをあつめて鉄囲山(てっちせん)を城とせりとも・かなふべからず。必ず日本国の一切衆生・兵難(ひょうなん)に値うべし。されば日蓮が法華経の行者にてあるなきかはこれにても見るべし。
 教主釈尊記して云く、末代悪世に法華経を弘通するものを悪口罵詈等せん人は、我を一劫が間・あだせん者の罪にも百千万億倍すぎたるべしと・とかせ給へり。而るを今の日本国の国主・万民等、雅(我)意にまかせて父母・宿世(すくせ)の敵(かたき)よりもいたくにくみ、謀反・殺害の者よりも・つよくせめぬるは、現身にも大地われて入り、天雷も身をさ(裂)かざるは不審なり。日蓮が法華経の行者にてあらざるか。もししからば・ををきになげかし。今生には万人にせめられて片時もやすからず、後生には悪道に堕ちん事あさましとも申すばかりなし。
 又日蓮法華経の行者ならずば、いかなる者の一乗の持者にてはあるべきぞ。法然が法華経をなげすてよ、善導が千中無一、道綽が未有一人得者と申すが法華経の行者にて候か。又弘法大師の云く、法華経を行ずるは戯論(けろん)なりとかかれたるが法華経の行者なるべきか。
 経文には能持是経・能説此経なんどこそとかれて候へ。よくとく(能説)と申すはいかなるぞと申すに、於諸経中・最在其上(さいざいごじょう)と申して、大日経・華厳経・涅槃経・般若経等に法華経はすぐれて候なりと申す者をこそ、経文には法華経の行者とはとかれて候へ。
 もし経文のごとくならば日本国に仏法わたて七百余年、伝教大師と日蓮とが外(ほか)は一人も法華経の行者はなきぞかし。いかにいかにと・をもうところに頭破作七分・口則閉塞のなかりけるは道理にて候いけるなり。此等は浅き罰なり、但一人二人等のことなり。日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり。此れをそしり、此れをあだむ人を結構せん人は、閻浮第一の大難にあうべし。これは日本国をふりゆるがす正嘉の大地震、一天を罰する文永の大彗星等なり。此等をみよ、仏滅後の後、仏法を行ずる者にあだをなすといへども、今のごとくの大難は一度もなきなり。南無妙法蓮華経と一切衆生にすすめたる人・一人もなし。此の徳はたれか一天に眼を合せ、四海に肩をならぶべきや。
 疑つて云く、設い正法の時は仏の在世に対すれば根機・劣なりとも、像末に対すれば最上の上機なり。いかでか正法の始めに法華経をば用いざるべき。随つて馬鳴・竜樹・提婆・無著(むじゃく)等も正法一千年の内にこそ出現せさせ給へ。天親菩薩は千部の論師、法華論を造りて諸経の中第一の義を存す。真諦三蔵の相伝に云く、月支に法華経を弘通せる家・五十余家、天親は其の一也と・已上正法なり。
 像法に入つては天台大師・像法の半(なかば)に漢土に出現して玄と文と止との三十巻を造りて法華経の淵底を極めたり。像法の末に伝教大師・日本に出現して天台大師の円慧・円定の二法を我が朝に弘通せしむるのみならず、円頓の大戒場を叡山に建立して日本一州皆同じく円戒の地になして・上一人より下万民まで延暦寺を師範と仰がせ給う。豈(あ)に像法の時・法華経の広宣流布にあらずや。
 答えて云く、如来の教法は必ず機に随うという事は世間の学者の存知なり。しかれども仏教はしからず。上根上智の人のために必ず大法を説くならば初成道の時なんぞ法華経をとき給はざる、正法の先(さき)五百年に大乗経を弘通すべし。有縁の人に大法を説かせ給うならば、浄飯大王・摩耶夫人に観仏三昧経・摩耶経をとくべからず。無縁の悪人謗法の者に秘法をあたえずば、覚徳比丘は無量の破戒の者に涅槃経をさづくべからず。不軽菩薩は誹謗の四衆に向つていかに法華経をば弘通せさせ給いしぞ。されば機に随つて法を説くと申すは・大なる僻見(びゃっけん)なり。

[撰時抄 本文]その三に続く




by johsei1129 | 2019-10-22 11:04 | 撰時抄(御書五大部) | Trackback | Comments(0)


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