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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 10月 12日

日蓮大聖人自らが末法の本仏であることを明かした書【開目抄】(下) その一

[開目抄(下) 本文] その一
 又今よりこそ諸大菩薩も梵帝・日月・四天等も教主釈尊の御弟子にては候へ。されば宝塔品には此等の大菩薩を仏・我が御弟子等とをぼすゆへに諌暁(かんぎょう)して云く「諸(もろもろ)の大衆に告ぐ、我が滅度の後・誰か能く此の経を護持し読誦(どくじゅ)する。今仏前に於て自ら誓言(せいごん)を説け」とは・したたかに仰せ下せしか。又諸大菩薩も「譬えば大風の小樹の枝を吹くが如し」等と、吉祥草(きちじょうそう)の大風に随い、河水の大海へ引くがごとく仏には随いまいらせしか。
 而れども霊山(りょうぜん)日浅くして夢のごとく・うつつならずありしに、証前の宝塔の上に起後の宝塔あつて十方の諸仏・来集せる。皆我が分身なりとなのらせ給い、宝塔は虚空に釈迦・多宝坐を並べ、日月の青天に並出(びょうしゅつ)せるが如し。人天大会(たいえ)は星をつらね、分身の諸仏は大地の上・宝樹の下の師子のゆか(牀)にまします。華厳経の蓮華蔵世界は十方・此土(しど)の報仏、各各に国国にして彼の界の仏・此の土に来つて分身となのらず。此の界の仏・彼の界へゆかず、但法慧等の大菩薩のみ互いに来会(らいえ)せり。大日経・金剛頂経等の八葉九尊・三十七尊等、大日如来の化身とはみゆれども其の化身・三身円満の古仏にあらず。大品経の千仏・阿弥陀経の六方の諸仏いまだ来集の仏にあらず、大集経の来集の仏・又分身ならず、金光明経の四方の四仏は化身なり。
 総じて一切経の中に各修・各行の三身円満の諸仏を集めて我が分身とはとかれず。これ寿量品の遠序(おんじょ)なり。始成四十余年の釈尊が一劫・十劫等・已前の諸仏を集めて分身ととかる。さすが平等意趣にもにず・をびただしく・をどろかし。又始成の仏ならば所化・十方に充満すべからざれば、分身の徳は備わりたりとも示現して益なし。天台云く「分身既に多し。当に知るべし、成仏の久しきことを」等云云。大会のをどろきし意(こころ)をかかれたり。

 其の上に地涌千界の大菩薩・大地より出来せり。釈尊に第一の御弟子とをぼしき普賢・文殊等にも・にるべくもなし。華厳・方等・般若・法華経の宝塔品に来集する大菩薩・大日経等の金剛薩埵(さった)等の十六の大菩薩なんども、此の菩薩に対当すれば獼猴(みこう)の群(むらが)る中に・帝釈の来たり給うが如し、山人(やまかつ)に月卿(げっけい)等のまじはるにことならず。補処(ふしょ)の弥勒(みろく)すら猶迷惑せり、何に況んや其の已下をや。
 此の千世界の大菩薩の中に四人の大聖まします。所謂(いわゆる)・上行・無辺行・浄行・安立行なり。此の四人は虚空・霊山の諸菩薩等、眼もあはせ・心もをよばず。華厳経の四菩薩・大日経の四菩薩・金剛頂経の十六大菩薩等も此の菩薩に対すれば翳眼(えいがん)のものの日輪を見るが如く、海人(あま)が皇帝に向い奉るが如し。大公等の四聖の衆中にありしに・にたり、商山の四皓(こう)が恵帝に仕えしにことならず、巍巍(ぎぎ)堂堂として尊高なり。釈迦・多宝・十方の分身を除いては一切衆生の善知識ともたのみ奉りぬべし。
 弥勒菩薩・心に念言すらく、我は仏の太子の御時より三十成道・今の霊山まで四十二年が間、此の界の菩薩・十方世界より来集せし諸大菩薩皆し(知)りたり。又十方の浄穢土に或は御使い、或は我と遊戯(ゆうげ)して其の国国に大菩薩を見聞せり。此の大菩薩の御師なんどは・いかなる仏にてや・あるらん。よも此の釈迦・多宝・十方の分身の仏陀にはにるべくもなき仏にてこそ・をはすらめ。雨の猛(たけき)を見て竜の大なる事をしり、華の大なるを見て池のふかきことは・しんぬべし。此等の大菩薩の来たる国・又誰と申す仏にあいたてまつり、いかなる大法をか習修し給うらんと疑いし。
 あまりの不審さに音(こえ)をも・いだすべくも・なけれども・仏力にやありけん、弥勒菩薩疑つて云く「無量千万億の大衆の諸の菩薩は昔より未だ曾て見ざる所なり。是の諸の大威徳の精進の菩薩衆は誰か其の為に法を説いて教化して成就せる。誰に従つてか初めて発心し、何れの仏法をか称揚(しょうよう)せる。世尊・我昔より来(このかた)・未だ曾つて是の事を見ず。願くは其の所従の国土の名号を説きたまえ。我常に諸国に遊べども未だ曾つて是の事を見ず。我れ此の衆の中に於て乃(いま)し一人をも識(し)らず。忽然(こつねん)に地より出でたり。願くは其の因縁を説きたまえ」等云云。
 天台云く「寂場(じゃくじょう)より已降(このかた)、今座より已往(まえ)、十方の大士・来会絶えず限る可からずと雖も・我補処(ふしょ)の智力を以つて悉く見・悉く知る。而れども此の衆に於て一人をも識らず。然るに我れ十方に遊戯(ゆうげ)して諸仏に覲奉(ごんぶ)し大衆に快く識知せらる」等云云。妙楽云く「智人は起を知る、蛇は自ら蛇を識る」等云云。経釈の心・分明(ふんみょう)なり。詮ずるところは初成道よりこのかた、此の土・十方にて此等の菩薩を見たてまつらず・きかずと申すなり。

 仏・此の疑ひを答えて云く「阿逸多(あいった)、汝等・昔より未だ見ざる所の者は我是の娑婆世界に於て阿耨多羅三藐三菩提(あのくたら・さんみゃくさんぼだい)を得已(えおわ)つて是の諸の菩薩を教化し・示導して其の心を調伏して道の意を発(お)こさしめたり」等。又云く「我・伽耶城菩提樹下に於て坐して最正覚を成ずることを得て無上の法輪を転じ、爾(しか)して乃(すなわ)ち之を教化して初めて道心を発さしむ。今皆不退に住せり、乃至我・久遠より来(このかた)是等の衆を教化せり」等云云。
 此に弥勒(みろく)等の大菩薩大いに疑いをもう。華厳経の時、法慧等の無量の大菩薩あつまる。いかなる人人なるらんと・をもへば我が善知識なりとをほせられしかば・さもやと・うちをもひき。其の後の大宝坊・白鷺池(びゃくろち)等の来会(らいえ)の大菩薩も・しかのごとし。此の大菩薩は彼等にはにるべくもなき・ふりたりげにまします。定めて釈尊の御師匠かなんどおぼしきを「令初発道心」とて幼稚のものども・なりしを、教化して弟子となせりなんど・をほせあれば・大ひなる疑ひなるべし。日本の聖徳太子は人王第三十二代・用明天皇の御子なり。御年六歳の時、百済(くだら)・高麗(こま)・唐土(もろこし)より老人どものわたりたりしを、六歳の太子・我が弟子なりと・をほせありしかば、彼の老人ども又合掌して我が師なり等云云。不思議なりし事なり。外典に申す、或者(あるひと)道をゆけば路のほとりに年三十計りなる・わかものが八十計りなる老人を・とらへて打ちけり。いかなる事ぞと・とえば此の老翁(ろうおう)は我が子なりなんど申すと・かたるにもにたり。
 されば弥勒(みろく)菩薩等疑つて云く「世尊・如来太子為りし時・釈の宮を出で伽耶城(がやじょう)を去ること遠からずして道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得給えり。是より已来(このかた)始めて四十余年を過ぎたり。世尊・云何(いかん)ぞ此の少時に於て・大いに仏事を作し給える」等云云。
 一切の菩薩・始め華厳経より四十余年・会会(ええ)に疑ひをまうけて一切衆生の疑網(ぎもう)をはらす中に、此の疑ひ・第一の疑ひなるべし。無量義経の大荘厳等の八万の大士、四十余年と今との歴劫(りゃっこう)・疾成(しつじょう)の疑ひにも超過せり。観無量寿経に韋提希(いだいけ)夫人の阿闍世王が提婆にすかされて父の王をいまし(禁錮)め・母を殺さんとせしが、耆婆(ぎば)月光に・をどされて母をはなちたりし時、仏を請じたてまつて・まづ第一の問ひに云く「我れ宿(むか)し・何の罪あつて此の悪子を生む。世尊・復た何等の因縁有つて提婆達多と共に眷属となり給う」等云云。此の疑ひの中に「世尊復た何等の因縁有つて」等の疑ひは大なる大事なり。輪王は敵と共に生れず、帝釈は鬼と・ともならず。仏は無量劫の慈悲者なり、いかに大怨と共にはまします。還つて仏には・ましまさざるかと疑うなるべし。而れども仏・答え給はず。されば観経を読誦せん人、法華経の提婆品へ入らずば・いたづらごと(徒事)なるべし。大涅槃経に迦葉菩薩の三十六の問ひもこれには及ばず。されば仏・此の疑ひを晴らさせ給はずば、一代の聖教は泡沫(ほうまつ)にどう(同)じ、一切衆生は疑網(ぎもう)にかかるべし。寿量の一品の大切なるこれなり。

 其の後・仏・寿量品を説いて云く「一切世間の天人及び阿修羅は皆今の釈迦牟尼仏は釈氏の宮を出で伽耶城(がやじょう)を去ること遠からず、道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を得給えりと謂(おも)えり」等云云。此の経文は始め寂滅道場より終り法華経の安楽行品にいたるまでの一切の大菩薩等の所知をあげたるなり。「然るに善男子、我れ実に成仏してより已来(このかた)・無量無辺百千万億那由佗(なゆた)劫なり」等云云。此の文は華厳経の三処の「始成正覚」阿含経に云く「初成」浄名経の「始坐仏樹」大集経に云く「始十六年」大日経の「我昔坐道場」等、仁王経の「二十九年」無量義経の「我先道場」法華経の方便品に云く「我始坐道場」等を一言に大虚妄なりと・やぶるもん(文)なり。
 此の過去常・顕るる時・諸仏皆釈尊の分身なり。爾前・迹門(しゃくもん)の時は諸仏・釈尊に肩を並べて各修・各行の仏なり。かるがゆへに諸仏を本尊とする者・釈尊等を下す。今華厳の台上・方等・般若・大日経等の諸仏は皆釈尊の眷属なり。仏三十成道の御時は大梵天王・第六天等の知行の娑婆世界(しゃばせかい)を奪い取り給いき。今爾前・迹門にして十方を浄土と・がうして此の土を穢土(えど)ととかれしを、打ちかへして此の土は本土なり、十方の浄土は垂迹の穢土となる。仏は久遠の仏なれば、迹化・他方の大菩薩も教主釈尊の御弟子なり。
 一切経の中に此の寿量品ましまさずば天に日月の・国に大王の・山河に珠の・人に神(たましい)のなからんが・ごとくして・あるべきを、華厳・真言等の権宗の智者とをぼしき澄観・嘉祥・慈恩・弘法等の一往・権宗の人人、且(かつ)は自(みずから)の依経を讃歎せんために或は云く「華厳経の教主は報身、法華経は応身」と。或は云く「法華寿量品の仏は無明の辺域(へんいき)、大日経の仏は明の分位」等云云。
 雲は月をかくし、讒臣(ざんしん)は賢人をかくす。人讃すれば黄石(おうしゃく)も玉とみへ、諛臣(ゆしん)も賢人かとをぼゆ。今濁世の学者等、彼等の讒義(ざんぎ)に隠されて寿量品の玉を翫(もてあそ)ばず。又天台宗の人人もたぼ(誑)らかされて金石・一同のをもひを・なせる人人もあり。仏・久成(くじょう)に・ましまさずば所化の少かるべき事を弁うべきなり。月は影を慳(おしま)ざれども水なくば・うつるべからず。仏・衆生を化せんと・をぼせども結縁(けちえん)うすければ八相を現ぜず。例せば諸の声聞が初地・初住には・のぼれども爾前にして自調自度なりしかば未来の八相をご(期)するなるべし。しかれば教主釈尊始成ならば今此の世界の梵帝・日月・四天等は劫初(こっしょ)より此の土を領すれども四十余年の仏弟子なり。霊山・八年の法華結縁の衆、今まいりの主君にをもひつかず・久住の者にへだてらるるがごとし。
 久遠実成あらはれぬれば東方の薬師如来の日光・月光・西方阿弥陀如来の観音勢至・乃至十方世界の諸仏の御弟子・大日・金剛頂等の両部の大日如来の御弟子の諸大菩薩、猶教主釈尊の御弟子なり。諸仏・釈迦如来の分身たる上は諸仏の所化申すにをよばず。何に況や此の土の劫初(こっしょ)より・このかたの日月・衆星等、教主釈尊の御弟子にあらずや。

 而るを天台宗より外の諸宗は本尊にまどえり。倶舎(くしゃ)・成実・律宗は三十四心・断結成道(だんけつ・じょうどう)の釈尊を本尊とせり、天尊の太子が迷惑して我が身は民の子とをもうがごとし。華厳宗・真言宗・三論宗・法相宗等の四宗は大乗の宗なり。法相・三論は勝応身ににたる仏を本尊とす、天王の太子・我が父は侍(さむらい)と・をもうがごとし。華厳宗・真言宗は釈尊を下げて盧舎那(るしゃな)の大日等を本尊と定む、天子たる父を下げて種姓(すじょう)もなき者の法王のごとくなるに・つけり。浄土宗は釈迦の分身の阿弥陀仏を有縁の仏と・をもうて教主をすてたり。禅宗は下賤の者・一分の徳あつて父母をさぐるがごとし。仏をさげ経を下す、此皆本尊に迷えり。例せば三皇已前に父をしらず、人皆禽獣(きんじゅう)に同ぜしが如し。
 寿量品をしらざる諸宗の者は畜に同じ・不知恩の者なり。故に妙楽云く「一代教の中・未だ曾て遠を顕さず。父母の寿(いのち)知らずんばある可からず。若し父の寿の遠きを知らずんば復父統(またふとう)の邦に迷う。徒(いたずら)に才能と謂うとも全く人の子に非ず」等云云。妙楽大師は唐の末・天宝年中の者なり三論・華厳・法相・真言等の諸宗・並びに依経を深くみ(見)、広く勘えて寿量品の仏をしらざる者は父統の邦に迷える才能ある畜生とかけるなり。「徒謂才能」とは華厳宗の法蔵・澄観・乃至真言宗の善無畏三蔵等は才能の人師なれども・子の父を知らざるがごとし。
 伝教大師は日本顕密の元祖、秀句に云く「他宗所依の経は一分仏母の義有りと雖も・然も但愛のみ有つて厳の義を闕(か)く。天台法華宗は厳愛(ごんない)の義を具す。一切の賢聖・学・無学及び菩薩心を発(おこ)せる者の父なり」等云云。真言・華厳等の経経には種熟脱の三義・名字すら猶なし、何に況んや其の義をや。華厳・真言経等の一生初地の即身成仏等は経は権経にして過去をかくせり。種をしらざる脱なれば超高(ちょうこう)が位にのぼり、道鏡が王位に居せんとせしがごとし。

 宗宗・互に種を諍う。予・此をあらそはず、但経に任すべし。法華経の種に依つて天親菩薩は種子無上を立てたり、天台の一念三千これなり。華厳経・乃至諸大乗経・大日経等の諸尊の種子、皆一念三千なり。天台智者大師一人・此の法門を得給えり。華厳宗の澄観・此の義を盗んで華厳経の心如工画師(しんにょくえし)の文の神(たましい)とす。真言・大日経等には二乗作仏・久遠実成・一念三千の法門これなし。善無畏三蔵・震旦(しんたん)に来つて後、天台の止観を見て智発し、大日経の心実相・我一切本初の文の神(たましい)に天台の一念三千を盗み入れて真言宗の肝心として其の上に印と真言とをかざり、法華経と大日経との勝劣を判ずる時、理同事勝(りどうじしょう)の釈をつくれり。両界の漫荼羅(まんだら)の二乗作仏・十界互具は一定・大日経にありや、第一の誑惑(おうわく)なり。故に伝教大師云く「新来の真言家は則ち筆受の相承を泯(みん)じ、旧到(くとう)の華厳家(けごんけ)は則ち影響(ようごう)の規模を隠す」等云云。
 俘囚(えぞ)の嶋なんどに・わた(渡)て・ほのぼのという・うた(和歌)はわれよみたりなんど申すは、えぞてい(夷体)の者は・さこそと・をもうべし。漢土・日本の学者又かくのごとし。良諝(りょうしょ)和尚云く「真言・禅門・華厳・三論乃至若し法華等に望めば是接引門(しょういんもん)」等云云。善無畏三蔵の閻魔(えんま)の責めにあづからせ給ひしは此の邪見による。後に心をひるがへし法華経に帰伏してこそ・このせめをば脱(のがれ)させ給いしか。其の後、善無畏・不空等・法華経を両界の中央にをきて大王のごとくし、胎蔵(たいぞう)の大日経・金剛の金剛頂経をば左右の臣下のごとくせし・これなり。日本の弘法も教相の時は華厳宗に心をよせて法華経をば第八にをきしかども、事相の時には実慧(じって)・真雅(しんが)・円澄(えんちょう)・光定等の人人に伝え給いし時、両界の中央に上のごとく・をかれたり。
 例せば三論の嘉祥(かじょう)は法華玄十巻に法華経を第四時・会二破二(えに・はに)と定(さだむ)れども天台に帰伏して七年つかへ「廃講散衆(はいこうさんしゅう)して身を肉橋(にくきょう)」となせり。法相の慈恩は法苑林(ほうおんりん)・七巻・十二巻に「一乗方便・三乗真実」等の妄言多し。しかれども玄賛の第四には「故亦両存(こやくりょうぞん)」等と我が宗を不定になせり。言は両方なれども心は天台に帰伏せり。華厳の澄観は華厳の疏(しょ)を造りて華厳・法華、相対して法華を方便とかけるに似たれども「彼の宗・之を以て実と為す。此の宗の立義・理通ぜざること無し」等とかけるは悔い還すにあらずや。弘法も又かくのごとし。亀鏡(ききょう)なければ我が面をみず、敵なければ我が非をしらず。真言等の諸宗の学者等、我が非をしらざりし程に・伝教大師にあひたてまつて自宗の失(とが)をしるなるべし。

 されば諸経の諸仏・菩薩・人天等は彼彼の経経にして仏にならせ給うやうなれども、実には法華経にして正覚なり給へり。釈迦・諸仏の衆生無辺の総願は皆此の経にをいて満足す、今者已満足(こんじゃいまんぞく)の文これなり。予・事の由(よし)を・をし計るに、華厳・観経・大日経等をよみ修行する人をば・その経経の仏・菩薩・天等・守護し給らん。疑ひあるべからず。但(ただ)し大日経・観経等をよむ行者等、法華経の行者に敵対をなさば、彼の行者をすてて法華経の行者を守護すべし。例せば孝子・慈父の王敵となれば父をすてて王にまいる、孝の至りなり。仏法も又かくのごとし。法華経の諸仏・菩薩・十羅刹、日蓮を守護し給う上、浄土宗の六方の諸仏・二十五の菩薩・真言宗の千二百等・七宗の諸尊・守護の善神、日蓮を守護し給うべし。例せば七宗の守護神、伝教大師をまほり給いしが如しと・をもう。
 日蓮案じて云く、法華経の二処・三会の座にましましし日月等の諸天は、法華経の行者出来せば磁石の鉄を吸うがごとく、月の水に遷(うつ)るがごとく、須臾(しゅゆ)に来つて行者に代はり、仏前の御誓ひをはたさせ給べしとこそをぼへ候に、いままで日蓮をとぶらひ給はぬは日蓮・法華経の行者にあらざるか。されば重ねて経文を勘えて・我が身にあてて身の失(とが)をしるべし。

 疑って云く、当世の念仏宗・禅宗等をば・何なる智眼をもつて法華経の敵人・一切衆生の悪知識とはしるべきや。
 答えて云く、私の言を出すべからず。経釈の明鏡を出して謗法の醜面(しゅうめん)をうかべ、其の失をみせしめん、生盲(いきめくら)は力をよばず。
 法華経の第四宝塔品に云く「爾(そ)の時に多宝仏、宝塔の中に於て半座を分ち釈迦牟尼仏に与う。爾の時に大衆、二如来の七宝の塔の中の師子の座の上に在して結跏趺坐(けっかふざ)し給うを見たてまつる。大音声を以て普(あまね)く四衆に告げ給わく、誰か能く此の娑婆国土に於て広く妙法華経を説かん。今正しく是れ時なり。如来久しからずして当(まさ)に涅槃に入るべし。仏・此の妙法華経を以て付属して在ること有らしめんと欲す」等云云。第一の勅宣なり。
 又云く「爾(そ)の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して偈を説いて言(のたまわ)く、聖主世尊・久しく滅度し給うと雖も・宝塔の中に在して尚法の為に来たり給えり。諸人・云何(いかん)ぞ勤めて法に為(むか)わざらん。又我が分身の無量の諸仏・恒沙(ごうしゃ)等の如く来たれるは法を聴かんと欲す。各妙なる土・及び弟子衆・天人・竜神(りゅうじん)、諸の供養の事を捨てて法をして久しく住せしめんが故に此に来至し給えり。譬えば大風の小樹の枝を吹くが如し。是の方便を以て法をして久しく住せしむ。諸の大衆に告ぐ、我が滅度の後、誰か能く此の経を護持し・読誦せん。今仏前に於て自ら誓言を説け」第二の鳳詔(ほうしょう)なり。

 「多宝如来および我が身、集むる所の化仏、当に此の意を知るべし。諸の善男子・各諦(おのおの・あきら)かに思惟せよ、此れは為(こ)れ難事なり、宜しく大願を発(お)こすべし。諸余の経典数・恒沙(ごうしゃ)の如し。此等を説くと雖も未だ為(こ)れ難しとするに足らず。若し須弥(しゅみ)を接(と)つて他方無数の仏土に擲(な)げ置かんも・亦未だ為れ難しとせず。若し仏の滅後に・悪世の中に於て能く此の経を説かん、是則ち為れ難しとす。仮使劫焼(たとい・こうしょう)に乾れたる草を担い負うて中に入つて焼けざらんも亦未だ為れ難しとせず。我が滅度の後に若し此の経を持ちて一人の為にも説かん、是則ち為れ難しとす。諸の善男子・我が滅後に於て誰か能く此の経を護持し読誦せん。今仏前に於て自ら誓言を説け」等云云。第三の諌勅(かんちょく)なり。第四・第五の二箇の諌暁(かんぎょう)・提婆品にあり、下にか(書)くべし。

 此の経文の心は眼前なり。青天に大日輪の懸(かかれる)がごとし、白面に黶(ほくろ)のあるに・にたり。而れども生盲(いきめくら)の者と・邪眼の者と・一眼のものと・各謂自師(かくい・じし)の者・辺執家(へんしゅうけ)の者はみがたし。
 万難をすてて道心あらん者にしるしとどめてみせん。西王母がその(園)のもも(桃)・輪王出世の優曇華(うどんげ)よりもあいがたく、沛公(はいこう)が項羽(こうう)と八年・漢土をあらそいし、頼朝と宗盛が七年・秋津嶋(あきつしま)にたたかひし、修羅と帝釈、金翅鳥(こんじちょう)と竜王と阿耨池(あのくち)に諍(あらそ)えるも此にはすぐべからずとしるべし。日本国に此の法顕るること二度なり、伝教大師と日蓮となりとしれ。無眼のものは疑うべし・力及ぶべからず。此の経文は日本・漢土・月氏・竜宮・天上・十方世界の一切経の勝劣を釈迦・多宝・十方の仏・来集して定め給うなるべし。
 問うて云く、華厳経・方等経・般若経・深密経・楞伽(りょうが)経・大日経・涅槃経等は九易の内か、六難の内か。
 答えて云く、華厳宗の杜順(とじゅん)・智儼(ちごん)・法蔵・澄観(ちょうかん)等の三蔵大師、読んで云く「華厳経と法華経と六難の内。名は二経なれども所説・乃至理これ同じ。四門観別・見真諦同のごとし」法相の玄奘(げんじょう)三蔵・慈恩大師等、読んで云く「深密経と法華経とは同じく唯識(ゆいしき)の法門にして第三時の教・六難の内なり」三論の吉蔵等読んで云く「般若経と法華経とは名異体同(みょういたいどう)・二経一法なり」善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵等、読んで云く「大日経と法華経とは理同じ。をなじく六難の内の経なり」日本の弘法、読んで云く「大日経は六難・九易の内にあらず。大日経は釈迦所説の一切経の外・法身大日如来の所説なり」又或る人云く「華厳経は報身如来の所説。六難・九易の内にはあらず」此の四宗の元祖等かやうに読みければ、其の流れをくむ数千の学徒等も又此の見をいでず、
 日蓮なげいて云く、上の諸人の義を左右(さう)なく非なりといはば、当世の諸人面(おもて)を向くべからず。非に非をかさね、結句は国王に讒奏(ざんそう)して命に及ぶべし。但し我等が慈父・雙林(そうりん)最後の御遺言に云く「法に依つて人に依らざれ」等云云。不依人等とは初依・二依・三依・第四依・普賢(ふげん)・文殊等の等覚(とうかく)の菩薩が法門を説き給うとも、経を手ににぎらざらんをば用ゆべからず。「了義経に依つて不了義経に依らざれ」と定めて、経の中にも了義・不了義経を糾明(きゅうめい)して信受すべきこそ候いぬれ。竜樹菩薩の十住毘婆沙(じゅうじゅうびばしゃ)論に云く「修多羅黒論(しゅたら・こくろん)に依らずして修多羅白論(びゃくろん)に依れ」等云云。天台大師云く「修多羅と合う者は録して之を用いよ。文無く・義無きは信受すべからず」等云云。伝教大師云く「仏説に依憑(えひょう)して口伝を信ずること莫(なか)れ」等云云。円珍智証大師云く「文に依つて伝うべし」等云云。
 上にあぐるところの諸師の釈、皆一分・経論に依つて勝劣を弁うやうなれども、皆自宗を堅く信受し先師の謬義(みょうぎ)をたださざるゆへに、曲会私情(こくえ・しじょう)の勝劣なり、荘厳己義(しょうごん・こぎ)の法門なり。仏滅後の犢子(とくし)・方広、後漢已後の外典は仏法外の外道の見よりも・三皇五帝の儒書よりも邪見・強盛なり、邪法・巧(たくみ)なり。華厳・法相・真言等の人師、天台宗の正義を嫉(ねたむ)ゆへに、実経の文を会して権義に順ぜしむること強盛なり。しかれども道心あらん人、偏党(へんとう)をすて自他宗をあらそはず、人をあな(蔑)づる事なかれ。

[開目抄(下) 本文] その二に続く




by johsei1129 | 2019-10-12 11:23 | 開目抄(御書五大部) | Trackback | Comments(0)


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