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日蓮大聖人『御書』解説

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2017年 07月 15日

四十一、大難をこえる道

佐渡の三昧堂では、日蓮が弟子たちを前に法華経の講義をしていた。

日蓮が経机の法華経をひろげる。

床の間には経巻がうず高くつまれていた。鎌倉をはなれるとき、運びこんだものだった。また土木常忍から送られた諸教や竜樹の大智度論もあった。
 肝心(かなめ)の弘教が叶わない()()流罪の身だからこそ、日蓮はひたすら研鑽を続ける。日蓮は心を迷わせまいとして弟子には決して口にしなかったが、心の内ではそう遠くない日に鎌倉に戻れる日がくると確信していた。

伯耆房が身じろぎせず、一言も聞きもらすまいと日蓮の説法をいていたが、弟子の中には連日の山菜、薪採りなど不慣れな仕事に疲れたのか、こっくりと居眠りをはじめた者がいた。

日蓮はかまわず講義をつづける。

「仏法は勝負を先とし、王法は賞罰をもととせり。このたびの流罪は必ずこの国土に報いがある。法華経の行者を難にあわせた報いは、必ず現証としておきる。それでなければ仏法ではない。それでなければ南無妙法蓮華経と唱える値もない」

 幸いなことに四条金吾ら信徒たちの送った食料や銅銭が佐渡にとどいた。

 日蓮は四条金吾に感謝の消息をおくった。さらに遠くはなれた弟子檀那を気づかった。日蓮が手塩にかけて育てた彼らは今どうしているのか、強盛な祈りをこめて消息にしるす。荒ぶる日本海の孤島・佐渡と、悠久の大海原・太平洋を臨む鎌倉で師弟の思いが、強く引きあっていた。

 是へ流されしには一人も()ふ人もあらじとこそおぼせしかども、同行七八人よりは少なからず。上下のくわて(資糧)(おのおの)の御計らひなくばいかゞせん。是(ひとえ)に法華経の文字の(おのおの)の御身に入り(かわ)はらせ給ひて御助けあるとこそ(おぼ)ゆれ。( いか)なる世の乱れにも、各々をば法華経(じゅう)羅刹(らせつ)助け給へと、湿(しめ)れる木より火を出だし、(かわ)ける土より水を(もう)けんが如く強盛に申すなり。事(しげ)ければとゞめ候。『呵責謗法滅罪抄

いっぽう京都御所ではかがり火がまばゆく光っていた。

巫女がこのあかりの中を踊った。
 薄化粧をした娘が白と赤の衣装で踊る。鎌倉にはない都の優雅さだった。

楽人が神楽をかなでた。

京の公家と武士が踊りをながめていた。

武士の代表は時宗の腹違いの兄、北条時輔である。

彼は鎌倉をはなれ、公家を管理する南六波羅探題南方に赴任した。ていの良い鎌倉からの所払いのようなものだった。だが今はにこやかに娘たちの踊りを楽しみ、酒を飲んでいた。

巫女が誘うようなまなざしで時輔を見つめた。

公家が厚化粧の顔で時輔にささやく。

「ほんに今宵は楽しいかぎり。鎌倉殿のお兄さまにおこしいただき、まことにうれしゅうごじゃる」

時輔は北条の者への世辞とわかってはいたが、さすがに頬がゆるみ笑みを浮かべる

「この時輔、京と鎌倉との橋渡しになり、天下の平安に心をつくす覚悟でござる。今宵はお招きいただき、かたじけのうござる」

公家が感心した。

「ほんに時輔様は慎み深いお方でごじゃるな。幕府をお継ぎになるやもしれぬ身であるのに、こわいまでのご謙遜ぶり。(みかど)もさぞ頼もしゅうお思いでごじゃろうて」

目付役の武士が両者を牽制するように咳ばらいした。彼は時輔の動静を監視し、逐一鎌倉に報告していた。

「これは、これは、お目付け役がおられては時輔様も本音は語れませぬかのう」

公家は独り言のように嫌味を効かせながら袂を口にして上品に笑った。横にならんだ公家たちも互いに顔を見合わせ微かに笑う。

時輔はすっかり酔ってしまっていた。

「ご冗談めされますな。わたくしは執権時宗の兄とはいっても嫡子ではない。失礼ながら、鎌倉から見れば六波羅探題は無位無冠も同然の身であります」

公家が上目使いに時輔を見た。

「さりながら明日はだれにもわからぬ身。蒙古の件も御沙汰が揺れ動いているとのこと。ここで鎌倉殿に万が一のことでもあれば・・」

目付の武士が再度咳ばらいをしたが、公家は気にしない。

「そのときは帝が時輔様の後ろ盾になるかも・・」

公家たちが冗談めかして笑う。

目付がたまらず時輔にささやいた。

「殿、そろそろお帰りの支度を」

時輔はわかったとばかり二度三度うなずく。

「本日はお招きいただき、かたじけのうござった。最後に一言。わたくしは時宗殿のあとを継ぐつもりは毛頭ございませぬ。武家の大将ともなれば、このような楽しみを味わう暇もございませぬので」

公家が言い訳がましくつぶやいた。

今のは酒宴の席のほんの戯言(ざれごと)でごじゃる本気にされてはこわい思いをいたしまする」

 いあわせた公家たちは、今度は皆で大笑いした。

時輔はなにごともなかったかのよう御所を後にした。


時輔は六波羅の邸宅にかえり、ひとり板敷の間にはいった。

だれもいない。

部屋には灯心だけが頼りなげにともっていた。

時輔はにこやかだった顔を瞬間にくもらせ、仁王の面になった。そしていきなり怒声をあげて刀をぬいた。十文字に空を斬りながら、部屋の中をさまよい、大剣をふりまわした。

「公家にまでなめられておるわ」

宙を切る音が「ビューン」と鳴りひびく。
 やり場のない怒りだった。

父親の時頼には生まれたときから冷遇され、後継の座は嫡子の弟に奪われた。時宗が執権となってからは鎌倉にいられず追いやられた。幕府は執権の兄である自分をまったく認めようとしない。くわえて今夜の屈辱だった。幕府にひれ伏す公家どもにまで嘲笑されるとは。

 だがいまの時輔は刀をふりまわすしかない。ここで時宗に反旗をあげれば、待ち受けていたかのように殺される。九郎判官義経と同じ運命をたどることになる。

それがわかっているだけに、くやしさがこみあげた。


           四
二、阿仏房と怨嫉の島 につづく





by johsei1129 | 2017-07-15 17:07 | 小説 日蓮の生涯 中 | Trackback | Comments(0)
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