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日蓮大聖人『御書』解説

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2017年 07月 15日

四十二、阿仏房と怨嫉の島

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 話を再び佐渡にもどそう。

 春の佐渡に陽が昇る冬の間、積もりに積もった道の雪がとけだしている。

 塚原三昧堂に向かう小道を青年が一人、身の丈以上の荷物を背負って歩いていた。富木常忍の養子、伊予房日頂(注)だった。二十一歳である。

 足どりが重い。すり切れた甲羅と脚絆が長旅であったことを如実に物語っていた。

彼は前方に日蓮が住む三昧堂を見つけ、ほっと安心したが、すぐに顔をこわばらせた。

前方に武士がいる。

「まて、どこへいく」

「はい下総国守護千葉様の家来、土木常忍の使いでございます。相州鎌倉からはるばるまいりました。日蓮上人へ荷物をとどけに」

伊予房が懐の書面を武士に見せた。

武士は横柄だった。

「中を見せろ」

武士が強引に荷物をおろさせ、一つ一つを点検した。

米の小俵、経巻、消息、紙、筆の束がでてきた。

伊予房が懇願した。

「鎌倉から半月かけてまいりました。日蓮上人が飢え死にせぬよう、はるばるきたのです。なにとぞご慈悲を」

武士は男の声には一瞥(いちべつ)せず黙々と作業を続けた。

三昧堂では日蓮と弟子たちが車座になってすわっていた。

中心に豆の盛られた皿がある。みなこの豆を見つめていた。

日蓮がため息まじりにこぼす。

「本間殿からの施食はこれだけですか。去年は作物の出来が悪かったようです。いたしかたあるまい」

伯耆房が各自の皿に豆をくばっていると表から声がした

弟子の一人が戸をあけ、現れた目の前の青年におどろいた。

「そなたは・・」

青年は奥にいた日蓮を見つけてほっとした。

「土木常忍の養子、伊予でございます。上人様、ご無事でしたか」

日蓮は走りよって肩や腕をつかんだ。

「よく来られた」

はなれ小島で知己に会うのはなによりもうれしい。強い味方に会ったようだ。

弟子が伊予房の荷から米を見つけて目をかがやかせた。また経典をとりだして床の間においた。

伊予房もしばし喜んだが、やがてしおれたように正座した。

「鎌倉の信徒は百人が九十九人退転いたしました。のこったのは土木常忍様、四条金吾様ほか十数名でありましょうか。まことに情けないことで・・」

日蓮が目をつぶって黙考する。

弟子たちも返す言葉がないのか、一言も声を発しようとしない。自分たちが懸命に耐えている時だけに、鎌倉の惨状はさすがにこたえた。

「まことにあやつらは上人様を信ずるようでありながら、上人がかくなったのを見て法華経を捨てたばかりか、かえって上人を教訓して我れ賢しといっております」

鎌倉の日蓮門下は壊滅した。

だが黙考していた日蓮はやおら目を見開き、静まり返っていた弟子たちに語りだした。

「なげくことはない。おのおの、唐土(もろこし)に竜門という滝があるのを存じているか。高きこと十丈、水がくだることは兵士が弓矢を飛ばすよりも早い。この滝に多くの(ふな)が集まり登ろうとしている。鮒と申す魚、登りつめたならば竜となる。百に一つ、千に一つ、万に一つ、十年二十年に一つものぼることがない。早い流れにおしもどされ、あるいは(わし)(たか)(とび)(ふくろう)に食われ、あるいは十丈の滝の左右に漁師がつらなる。あるいは網をかけ、あるいはくみ取り、あるいは弓矢でとる者もある。魚の竜となること、かくのごとし

弟子がいずまいを正した。竜のたとえは日本国一円に広宣流布するという大目的には忍耐が必要であることを示している。

「仏になる道はこれに劣らぬ。(ふな)が竜となるがごとし。このたびの難に耐えぬいて、だれが竜となるのであろうか」


 そのころ、おなじ佐渡の念仏寺に数百人があつまっていた。かれらはいつになく騒がしかった。

上座に念仏者の棟梁である印性房、ほか(べん)(じょう)房、(しょう)()房らの念仏僧がいる。かれらを囲んで念仏の強信者があつまっていた。この中に阿仏房という老人がいた。彼は承久の乱で佐渡に流された順徳天皇に付き添い、崩御後も天皇陵を守っていた

 みなはいきどおっている。

印性房がきりだした。

「聞こうる念仏の大怨敵、一切衆生の悪知識の日蓮がこの佐渡に流されている。なにとなくともこの島へ流されたる者が、命をまっとうしたためしはない。たとい生きていたとしても帰ったことはない。また打ち殺したとしても(とが)めはない。守護代、本間殿の屋敷の山野にある塚原三昧堂と申すところにいる日蓮のほかは弟子数人がいるだけだ。鎌倉とちがい、いかに日蓮が勇ましく力が強くとも、手助けする者は一人もいない所だ」

生喩房があわせる。

「われらがあつまって弓で射殺(いころ)しては」

賛同の声があがった。

しかし弁成の意見はちがった。

「いや、なにはなくとも日蓮の首は斬られるはずである。ただ鎌倉殿の御台所がご懐妊であるから、しばらくは斬れないということだ。やがてかならず処刑されるはず」

阿仏房老人が皺をよせて怒った。

「そんな甘いことでどうする」

場内が騒然とした。結論がでない。

ここで印性房が提案した。

「守護代の本間様に申して成敗させましょう。それができなければわれわれが処分するまで」

賛同の声がこだました。

本間邸の前庭で黒衣の僧侶、武士、百姓らがさわいだ。本間の郎従が懸命になだめた。

客室に守護代本間重連(しげつら)と念仏者、地元の武士や百姓が対面した。

重連が困惑顔ですわっている。心配していたことが現実となってしまった。

阿仏房が興奮して訴える。

「守護代殿、日蓮を殺してくだされ、首を切って()くだされ。念仏は無間地獄という悪僧がこの島にいることが我慢ならぬ。けがらわしい。あの坊主を亡きものにするのが仏弟子のつとめじゃ」

賛成の声があがったが重連は動じない。

「ならぬ。このわしに幕府の罪人を処分する権限はない。いかにこの島の主とて、そのようなことはできぬ」

「ではわれらの手で始末する。たかが坊主一人だ。なんのことはあるまい」

「そうだ、殺せ、殺せ」

念仏者たちは興奮しきっていた。

ここで重連が懐から書面をとりだした。

「鎌倉殿より殺してはならぬとの副状がきている。軽んずべき流人ではない。あやまちあれば、この重連が責任をとらねばならなぬ。おぬしらが日蓮を斬るのは断じてならぬ」

低いうらみの声がひびいた。

阿仏房が床をたたいた。顔の皺が浮きでている。

「それでも守護代でござるか。われらはなんのために年貢をおさめているのだ。念仏衆のおかげでこの島はたもたれている。この島の皆が尊い阿弥陀を信じておるのだ。その阿弥陀様を火に入れ、水に流せという坊主に、とがめがないことがありましょうや」

場内の念仏僧から果てることのない激高がつづく。

重連がなだめた。

「おちつけ阿仏房。ひとつ良い方法があるぞ」

場内が一瞬静まった。

「そなたらは念仏を信じている。そこに念仏の敵があらわれたのだ。であれば念仏対法華宗の法論で日蓮を責めればよいであろう」

わが意を得たりと手をうつ者がいる。

「そうか、その方法があった」

「であれば早い方が良い。日取りは一月十六日、場所は日蓮上人が暮らす塚原三昧堂でどうだ」
「わかり申した。さすがは守護代様」

一同が勇んだ声で応じた。

だが一人、阿仏房がなお不満顔で腕をくんでいた。

重連の郎従は日蓮と対面し、念仏僧との法論のいきさつを説明した。

「貴殿と念仏者とで論争の対決の場をもうけよう。身の安全は、わが守護代が約束いたす」

ここで郎従がほほえんだ。

「だが相手は多勢、貴殿は一人。勝負は目に見えていると思うが、守護代殿のせっかくのお計らいである。逃げることはあいならん」

日蓮はにこやかだった。

「本望である。受けて立ちましょう。所詮、本懐をとげようと思えば対決にしかず。本間殿に伝えよ。存外のはからい、ありがたく思うと」

郎従はまじまじと日蓮を見ながら退出した。

日蓮は好機が到来したとばかり何度もうなずいていたが、弟子の中には不安な者もいた。島の全員が敵なのだ。島外の念仏僧も多数参集することは十分予測できた。いくら上人でも一対一ならともかく、多勢に無勢で、まともな法論にならないのではないか。

日蓮は弟子たちの心中を見とおした。

「心配せずともよい。臆病ならばいくさに勝てぬぞ。鎌倉で叶わなかった対決が、佐渡でできるのだ。なぜ喜ばぬ」

この法論の話は島じゅうに知れわたった。それだけではない、海峡をこえて越後、出羽、信濃まで伝わった。この時代、仏教への信仰について、いかに関心が高かったかを物語る。現代の大半の既成宗派が葬式仏教と化しているのとは雲泥の差である。

黒衣の僧侶が若芽の萌えはじめた道をすすむ。従者の若僧が首に経巻をさげていく。当時の一月十六日は今の二月中旬ごろである。佐渡の山々にはまだ雪がのこっていた。

佐渡行きの船には僧侶、檀那の他、法論見物を目当てに武士までもが続々と乗りこんだ。ある僧は船の上で経巻をひらいて読みふける。みな日蓮を打ち負かすために意気軒昂だった。念仏といわず、禅宗や真言の僧までがぞくぞくと佐渡ヶ島に集結していった。

 彼らは自分たちの宗義を攻撃する日蓮に我慢ならなかった。この機会に日蓮をたたきつぶして意気揚々と引きあげるつもりである。いくら仏教の都、鎌倉から来たとはいえ、日蓮一人に宗論で敗れることなど、微塵も考えなかった。

陽がかたむく。

阿仏房の大きな屋敷は日本海が一望できる小高い畑の中にあった。

阿仏房は還俗前の名を遠藤為盛といった。そのむかし順徳上皇が承久の変に敗れ、佐渡に配流になったときの従者という。小柄ながら筋骨たくましかったが、なにより特筆すべきは、九十ちかくの高齢であったことだ。年齢のわりに、きわめて若々しかった。

その阿仏房が土間で一心に刀をといでいる。

妻の千日尼と子の盛綱は、いつもとちがう緊張を漂わす阿仏房を心配そうに見ていた。ふだんは温和で穏やかなのだ。

阿仏房が刃をとぎながらいった。

「心配せずともよい。明日で決着がつく。もちろん日蓮は敗れるにきまっている。そのときはこのわしが斬ってすてる」

殺気立っている。妻の千日尼はこれまでこんな夫は見たことがないと感じた。

「お前様、日蓮を害すれば幕府からおとがめがあるとのことです。それでよいのですか」

阿仏房がひたすら刀をとぐ。

「この島に悪魔がやってきたのだ。生かしてはおけぬ。わしが弥陀如来にかわって成敗するのだ」

一月十六日、法論の日がきた。

塚原三昧堂のまわりは花が咲き、春の気配がただよっていた。

広場はおびただしい人でうめつくされた。岡の斜面にも人がすわり、あたかも超満員の劇場になっている。

土地の百姓も集まりだした。百姓たちは見知らぬ日蓮を物怪(もっけ)や天狗のように思っていた。物怪とは怪物のことである。

「日蓮は恐ろしい顔をしておるということじゃ。目がらんらんと黒光りしているというぞ」

「それに声は虎のようにおそろしいというぞ」

 得体のしれない恐怖が百姓たちにある。
 対決の時が近づくにつれ、群衆が三昧堂にむかって一様にわめきだした。みな日蓮への憎悪にとりつかれている。


 外からの喧騒が三昧堂にひびく。

中では日蓮が目をとじ、正座していた。

伯耆房も日蓮のそばでじっと正座している。ほかの弟子たちは三昧堂の壁の隙間から外の様子を伺う。

「上人、たいへんな人だかりです」

「僧侶は佐渡のみならず、越後、越中、出羽、奥州、信濃からもきておりますぞ。これほどの大勢ではとても勝ち目は・・」

伯耆房がしかった。

「さわぐな、おちつけ。上人を見よ、恥ずかしくないのか」

扉がひらき、守護代の郎従が顔をだした。

「お時間でござる」

日蓮が目を開き、立ちあがった。

伯耆房が日蓮のすぐうしろについた。ほかの弟子もおそるおそるついていった。

日蓮が堂からでて縁側をおりた。伯耆房がすかさず先導する。

群衆の罵声は頂点に達した。

日蓮が庭に敷かれた畳にすわる。対面するのは念仏の僧、印性房である。

佐渡守護代、本間重連が一段高い縁側にすわり、両者を見おろした。

それでも群衆の怒声がおさまらない。武士が開会を告げたが聞こえないほどだ。

念仏の僧侶がふくみ笑った。勝利は自分たちのものと思ったであろう。

しかし、がなり立てる声がさすがに引いてきた。日蓮はこの機をのがさない。

「静かにされるがよい。おのおの方は仏の教えを聞くために来られたのであろう。めったにない機会である。みな仏の弟子の一分ならば、静かに法論を聞いてはいかがかな。感情的になっては、得られるべきものも得られなくなりますぞ」

ふたたび群衆が激高した。

重連が部下に指示した。部下はとくにわめきちらす者の素首をつかんで外へつまみだした。

 ようやく広場が静寂となった。



             四三、塚原問答の勝利 につづく


中巻目次


 伊予(伊予房) 

 後の六老僧の一人、伊予阿闍(あじゃ)()日頂。大聖人滅後は日興上人を慕い(おも)()本門寺の学頭になった。尚、日蓮は文永十年七月六日に土木殿(富木常忍)に宛てた消息で「伊与房は機量物にて候ぞ、今年留め候い(おわ)んぬ」と伊与房の才知を評価され、佐渡にそのまま留め置くことを記されている。



by johsei1129 | 2017-07-15 18:01 | 小説 日蓮の生涯 中 | Trackback | Comments(0)


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