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日蓮大聖人『御書』解説

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2017年 09月 18日

八十、法華講衆の誓い

日蓮は伯耆房に書をおくった。内容は熱原の信徒には、どんなことがあっても退転させてはならないというものだった。

退転とは自分を捨てることである。人として最後の誇りを失うことである。日蓮は数ある退転者の名をあげ、自分自身を見失ってはならないと説く。

彼のあつ()わら()の愚痴の者ども()はげ()まして(どす事なかれ。彼等には、たゞ一えん()をも()ひ切れ、よからんは不思議、わるからんは一定と()もへ。ひ()るしとをも()わば餓鬼道(注)()しえよ。()むしといわば八かん()獄(注)()しへよ。をそ()ろしゝといわばたか()にあへる()じ、ねこ()にあへるね()みを他人と()もう事なかれ。此はこまごまとかき候事は、かく()どし()月々日々に申して候へども、なご()()(あま)せう(少輔)(ぼう)()()房・三位房なんどのやうに候、をく()()う、物ををぼへず、よく()ふかく、う()がい多き者どもは、()れるう()しに水をかけ、そら()()りたるやうに候ぞ。 聖人御難事

(訳)

 かの熱原の無知の者たちには、声をかけ激励して、決しておどしてはなりません。彼らには、次のように、ただ一途に決心させなさい。善い結果になったならそれは不思議な事であり、悪い結果になったとしてもそれは定まっていたことだと思い切らせなさい。空腹にたえられなければ、餓鬼道の苦しみを教えなさい。寒いと言うなら八寒地獄の苦しみを教えなさい。恐ろしいというのなら、鷹にあった雉、猫にあった鼠を他人事と思ってはならないと教えなさい。

 このように細々と書いたのは、年々、月々、日々言って来ましたが、名越の尼や、少輔房、能登房、三位房などの退転した弟子信徒のように、臆病で、求道心がなく、欲が深く、疑い深い者どもは、漆を塗った物に水をかけ、空を刀で切るようなものなのです。


夜、伯耆房が平頼綱の屋敷にあらわれた。訴訟の当事者としてきたのである。彼は神四郎たちの安否が気がかりだった。

「百姓側の代表としてまいった。退転の真偽を確かめたい」

伯耆房が案内されたが、牢内の惨状を見て愕然とした。

せまい牢に二十人がつめられ、やせ細って横たわっている。まるで謀反人のあつかいではないか。

伯耆房があたりの臭気に鼻をおおい、牢役人に抗議した。

「これはいったいどうしたことですか。拷問ではないですか。この者らは罪人ときまったわけではない。あまりに理不尽ではないか。食べ物を与えてくだされ。牢をまともな所にかえてくだされ」

牢役人は人ごとのようだった。

「それはできぬ」

「なぜ」

「左衛門尉様のご命令である」

「侍は百姓を殺すのか」

ちなみに平頼綱はこの六年後に恐怖政治をしく。頼綱は嫌疑ある者をとらえては牢屋敷に送りこみ、闇に葬った。帰らぬ人は数知れない。

伯耆房が格子にしがみついて百姓を励ました。

「みなさん大丈夫ですか。伯耆房ですぞ。評定の代表としてきました。みなさん、もうすこしの辛抱ですぞ」

百姓らはきわめてゆっくりとおきあがり伯耆房に哀願した。ほとんどが絶望にみちていた。信念をとおす目ではなかった。

「伯耆房様、わたしはころびます。もう限度でございます」

「法華経をはなさないと申しましたが、後悔しております。こんなひどい目にあうとは思いもよりませんでした」

「熱原の百姓にお伝えくだされ。念仏を唱えれば安穏であると」

伯耆房が決然と語った。

「退転はなりませぬ。みなさん、ここまできたのです。始めと終わりをとおしていきましょう。本末(ほんまつ)究境(くきょう)(とう)とあるではないですか」

百姓たちは聞かずにうめいた。

「ひもじいのでございます。なにも食べておりませぬ。お題目もあげることができませぬ。これ以上は無理でございます」

伯耆房は必死だった。

「耐えましょう。飢えに耐えて妙法を唱えましょう。ここで退転しては、もっとひもじい餓鬼道におちますぞ」

「寒い、寒い。ここは真冬のようでございます。とてもかないませぬ」

「法華経を捨てるならば、八寒地獄に堕ちてしまう。ここよりも寒い地獄があるのです。あまりの寒さのために、背中の皮がやぶけるほどの地獄があるのですぞ」

「左衛門尉様といい、ここの役人といい、死神のようでございます。とてもとてもおそろしくてかないませぬ」

伯耆房はそれでも説得する。 

「いいですか皆さん、死は一定です。生きている者はいずれ必ず死ぬことは定まっているのです。(きじ)は鷹に食われる。鼠は猫に食われる。肝心なのは何のために死ぬかです。今生の命は定まっていても、命は永遠に続くのです。仏になるための法華経を捨てたなら、何億年と地獄に落ち続けるのです。生まれても生まれても地獄が待っているのです。法華経を持ち続けたならば、必ず次の世で仏国土に生まれることができるのです。いかなることがあろうとも法華経さえ保っているならば後生善処は間違いないのです」

百姓が怒りだした。

「坊様、あなたは牢の外にいるからそのようなことがいえるのです。念仏を唱えれば、牢からでられます。楽になる。どうしてころぶのがいけないのです」

伯耆房がかみしめるようにいった。

「聖人は月々日々におおせでした。法華経を捨ててはいけないと。古参の弟子三位房は法華経を捨て、不慮の死を遂げました。みなさんはちがう。信心強盛だからここにきたのです。みなさん、ここが仏と凡夫の分かれ道ですぞ」

この時、神四郎、弥五郎、弥六郎の三人があらわれ、格子ごしに伯耆房の手をにぎった。

神四郎がすくわれたようにいった。

「伯耆房様。今のお言葉、身に( )みました。つぎの世でも忘れずにおります」

神四郎は伯耆房の目を長く長く見つめた。

だが牢役人が冷然とその手を解いた。

「刻限だ。出ていかれよ」

伯耆房がなおも格子にすがった。

「聖人に伝えることはないですか」

神四郎が正座して手をあわせた。

「ひとつだけ気がかりなことがあります。我ら亡き後、残された法華宗の者達の信心のことでございます。願わくば日蓮聖人に、残された者どものために御本尊様をお与え頂けるよう伯耆房殿からお願い頂けないでしょうか。これが叶うならばこの世になんの未練もございません。日蓮()()()()()聖人にお伝えくだされ。神四郎、弥五郎、矢六郎は最後まで南無妙法蓮華経を唱えていたと()

伯耆房の目に涙があふれた。この期におよんでなんという求道心か。

 兵士がむりやり伯耆房を引きはなした。

伯耆房は兵士に両脇をつかまれ、のけぞりながら叫んだ。

「神四郎殿の願い、伯耆房しかと承りました。必ず聖人に熱原の法華講衆の願いを伝え、ご本尊を賜りますぞ」

甲斐身延山中の日蓮の館にすべての弟子が参集した。

彼らは訴訟に出廷すると意気ごんだ。

まず四条金吾がはやる。

「聖人、某が評定に立ちます」

木常忍がとめた。

「いや、わたしが立とう。評定はこのなかでわたしが一番心得ている」

女丈夫の日妙が手をついた。

「聖人様、わたしも一言申しのべます。左衛門尉の横暴はだまっていられませぬ」

青年地頭の南条時光が立った。

「あの百姓らはわたしが引きうけます。評定で宣言いたします」

しかし日蓮は意外にも、にがい顔で弟子をとめた。

「ならぬ、ならぬ。相手は左衛門尉ですぞ。みなさんが評定にでれば、かならず咎めがある。竜の口とおなじ災いがある。ここは伯耆房にまかせるのです。左衛門尉といえども僧侶には手をださぬであろう」

日蓮は頼綱の追求を恐れて日秀と日弁の身柄を下総の富木常忍のもとへ移したばかりだった。臆病からではない。大切な弟子を危険にさらすのは、なんとしても避けたかったのだ。

だがここにいる弟子たちは、日蓮の指示を聞かなかった。

大田乗明がいきりたつ。

「いいえ聖人、同心の衆がいま牢にいるのです。これがだまっておられましょうか」 

池上宗仲がつづく。

「おねがいでございます。一文不通の百姓たちに、これほどの信心があったのです。助けないでいられましょうか。なにとぞわれらにもお手伝いを」

弟子たちが日蓮に反抗している。はじめてのことだった。

日蓮は食いさがる弟子たちに感動した。

「おのおのがた、法華経に身命を捨てると申されるのか・・」

この時、大田乗明が立ちあがって誓いはじめた。

それは法華経勧持品(かんじほん)の一節だった。

 「ただ願わくは(うらおも)いしたもうべからず。
 仏の滅後の後
恐怖(くふ)
悪世の中において、我等(まさ)に広く説くべし」

つづいて一人また一人と続いて唱えていく。

「諸の無智の人の悪口(あっく)罵詈(めり)等し及び(とう)(じょう)を加うる者あらん、我等(まさ)に忍ぶべし。

 悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲(てんごく)(いま)だ得ざるをこれ得たりと()い、我慢の心充満せん。

(あるい)()(れん)(にゃ)(のう)()にして(くう)(げん)に在って自ら真の道を行ずと()いて、人間を軽賤(きょうせん)する者有らん。

 利養に貪著(とんじゃく)するが故に、白衣のために法を説いて、世に()(ぎょう)せらるることをうること、六通の羅漢(らかん)の如くならん。

 この人悪心を(いだ)き、常に世俗の事を(おも)い、名を()(れん)(にゃ)()って、好んで我等が(とが)を出さん。(しか)も是の如き言を()さん。
 この諸々の比丘等は利養を貪るをもっての故に外道の論議を説く。
 自らこの経典を作って世間の人を
(おう)(わく)す。
 名聞を求むるをもっての故に分別して是の経を説くと。

 常に大衆の中にあって我等を(そし)らんと欲するが故に国王大臣、()羅門(らもん)居士(こじ)及び余の比丘衆に向かって誹謗して我が悪を説いて、これ邪見の人、外道の論議を説くと謂わん。

 我等仏を敬うが故に(ことごと)くこの諸悪を忍ばん。
 これに軽しめて、汝等は皆是仏なりと言われん。
 かくの如き
驕慢(きょうまん)の言を皆(まさ)に忍んでこれを受くべし。

濁劫(じょつこう)悪世の中には多く諸の恐怖(くふ)あらん。
 悪鬼其の身に入りて、我を
罵詈(めり)毀辱(きにく)せん。
 我等仏を教信して当に
忍辱(にんにく)(よろい)を着るべし。

 この経を説かんがための故にこの諸の難事を忍ばん。
 我身命を愛せず、唯無上道を惜しむ。

 我等今世に()いて仏の所属を護持せん。世尊、自ら正に知しろしめすべし。
 濁世の悪比丘は仏の方便
随宜(ずいぎ)の法を知らずして悪口して顰蹙(ひんしゅく)数々(しばしば)(ひん)(ずい)せられ塔寺を遠離(おんり)せん。
 是の如き衆悪をも仏の
(ごう)(ちょく)(おも)うが故に、皆正にこの事を忍ぶべし。

 諸々の聚楽城邑(じゅらくじょうゆう)に、其れ法を求むる者有らば、我等其の所に到って仏の所属の法を説かん。
 我は是世尊の使いなり。衆に処するに
(おそ)るる所なし。我当に善く法を説くべし」

 最後に弟子の全員が合唱した。

 「願わくは仏、安穏に住したまえ。我世尊の前、諸の来たりたまえる十方の仏に於いて(かく)如き誓言を発す。仏、自らわが心を(しろしめせ」


       八十一、日蓮、出世の本懐たる本門戒壇の大御本尊を建立 につづく




下巻目次





餓鬼道

常に飢渇の苦の状態にある鬼。腹は山のように大きく、のどは針の穴のように小さいとされ、絵像などで飢渇の苦の表現がなされている。人中の餓鬼は十界の一つ・餓鬼界のことで、餓鬼の業因によって行くべき道のゆえに餓鬼道という。

八寒地獄

八種の極寒の地獄のこと。この中の前四種はあまりの寒さに思わず悲鳴を発する地獄で、後四種は極寒のために背中が裂けて青蓮華・紅蓮華・赤蓮華・白蓮華のような姿になる地獄である。



by johsei1129 | 2017-09-18 09:39 | 小説 日蓮の生涯 下 | Trackback | Comments(0)


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